間諜X(1)
今日から3日連続の投稿です。
お楽しみいただけますように………
「デューイ!」
「ジェラルド、久しぶりね」
ジェラルドが満面の笑みで“ガシッ”と音がしそうなほどの熱い抱擁を交わす。
カレンは呆気に取られた。
話には聞いてはいたが、目の前の光景に頭がついていかない。
“デューイ”と呼ばれ、ジェラルドと抱きしめ合うのは、どこから見ても文句のつけようのない優雅な貴婦人だ。
が、その実は…れっきとしたダヴィネス軍の騎士であり…男性だった。
デューイは男性とわかってはいても、見た目も声も女性そのもの。カレンは複雑な気分になる。
「…姫様、口、口開けっ放しになってる」
隣にいたアイザックが、カレンの顔を見てボソリと呟いた。
「あ!」
カレンは慌てて手で口元を隠した。
その様子を見てジェラルドが笑う。
「デューイ、紹介しよう。妻のカレンだ」
と、貴婦人=騎士のデューイがカレンへと視線を向けた。
カレンはドキリとする。
「あら…あなたがお噂の領主夫人ね?」
ハニーブロンドを優雅にアップにし、ヘーゼルの瞳は興味深そうにカレンを見る。
その口元には極上の笑みを浮かべて…。
「お初にお目にかかります。カレンと申します」
カレンは完璧な淑女の礼を取った。
「…ふっ、」
デューイはカレンの様を見るとおかしそうに笑いを耐え、細長い指で口元を押さえた。
…?
カレンはなぜ自分が笑われたのかわからない。
すると、デューイはドレス姿のまま、突然その場でカレンに向けて騎士の礼で跪いた。
「レディ カレン、私のような者に礼は不要です。このような“ナリ”ですが、私はダヴィネスに身を捧げ、我が国とジェラルドに忠誠を誓った騎士。どうかレディの僕としていかようにもお使いくださいませ」
「!」
カレンは驚いた。
デューイは、先ほどとは別人のような低い男性の声…恐らく地声だろう…でカレンに臣下の挨拶を述べたのだ。
跪いたままカレンを見上げると、その優美な唇にニッコリと微笑みを湛え、次いで立ち上がりカレンへと一歩近づいた。
「失礼します、レディ」
デューイは、軽く混乱するカレンの瞳を覗いたかと思うとその右手を取り、唇を付けないスマートな紳士のキスをした。
「…以後、お見知りおきを、レディ カレン」
貴婦人姿のデューイは、パチリとカレンにウィンクを投げたのだった。
・
デューイはダヴィネス軍の優秀な工作員だ。
元は貴族の令息であったが、後継者ではなく、余多いる兄弟姉妹の末っ子で穀潰しだったところを、ジェラルドの父…前辺境伯の薦めでダヴィネス軍の騎士となった。
デューイの特性を見抜いた前辺境伯は、彼を工作員として育て上げた。
その働きの数々は、ダヴィネス軍の勝利を有利なものへと導いた。
腕の立つことはもちろん、語学の才能や変装の巧みさ、その的確で大胆な判断力など、今ではその世界でその存在を知らぬ者はいないとまで言われている。
カレンはこの話をジェラルドから聞いた時、いったいどんな方なのだろうと興味をそそられた。
ジェラルドが彼のことを話す際、親しみと敬愛を持っていたこともあったが、実際のところ生え抜きの工作員など会ったこともなかったからだ。
ストラトフォードの実家では父侯爵の仕事の関係上、諜報員は存在したが、カレンの知るところではなかった。
ダヴィネス領内のみばかりか、各領地や遠く国外にまで活動は及ぶので滅多にダヴィネス城へは帰還しないが、この度数年ぶりにまとまった休暇を取るとこのとで、カレンはデューイに会うのを楽しみにしていた。
・
「本当に、本当にビックリしました…」
デューイと挨拶を交わした翌日の朝食の席で、カレンはジェラルドに言った。
夕べは遅くまで、デューイの無事の帰還を称えるため飲み明かしたらしいが、ジェラルドはいつものとおりだ。
ジェラルドはカレンの言葉に微笑む。
「デューイは変装の達人なんだ。年齢も性別も越えて」
確かに。昨日の姿は並の令嬢など霞むだろう。
「デューイ卿は当分ダヴィネス城でゆっくりなさるのですか?」
「そうだな。彼は根っからの根なし草のような所があるが…長年の功績を称えて、その意味でも好きなだけここに留まってもらいたい」
心からの労いの言葉だろう。
カレンは頷いた。
・
翌日の午後。
夏草の揺れる、馬場を出た先のなだらかな丘、1本の大きな木の下にカレンはいた。
敷物の上に座り、本を読んでいる。
少し離れて、アンジェリーナが愛犬の狼犬ヴィトと戯れて遊ぶ。
北部の小部族カシャ・タキから贈られた狼犬はこの一年ですくすくと成長した。アンジェリーナの背丈を越える日も、そう遠くはないだろう。
ふと、本を読むカレンの視界に影ができた。
?
見上げると、一人の騎士が微笑んでカレンを見下ろしている。
「やあ」
「……あ! デューイ卿…」
「隣、いいかい?」
「どうぞっ」
突然のことでカレンは驚いたが、敷物の場所を空けた。
今日のデューイは、キリリとしたダヴィネスの騎士姿で腰にはロングソードを携えている。ハニーブロンドの長い髪はひとつにくくられていた。
化粧を落とした素顔は、意外にも男性的で若々しかった。
「…私の顔、気になるかな?」
カレンは意識せず、デューイの顔を観察していたことに気づく。
「ごめんなさい! 昨日とは雰囲気が違って…不躾でした」
「ははっ、昨日のは『貴族のお妾風』かな、つい最近まで王家の仕事を請け負って王都にいたから」
「…そうなのですね…」
二人は黙って夏のダヴィネスの景色を眺める。
「…アンジェリーナ様と遊んでる狼犬…ヴィトだっけ?」
二人の視線の先には、アンジェリーナとヴィト、護衛のティムが遊んでおり、ニコルとハーパーはその様子を笑って見ている。
「ええ」
「本当だったんだね、あのヴァン・ドレイクから狼犬を譲られたというのは」
「あの…たまたまです」
たまたまと言うにはあまりにも大きな出来事だよ、とデューイはカレンに微笑む。
昨日と同じ魅力的な笑顔だ。
「ヤツらの…カシャ・タキの間者とは私も幾度となく相対したが、本当に抜け目がない。…だから君とヴァン・ドレイクのことは、すぐには信じがたかった」
「……」
カレンはどう返していいのかわからず黙っている。
「そもそも、筆頭侯爵家のご令嬢がジェラルドと結婚とは…予想もしてなかったよ」
「あの…王都にいらっしゃっていたということは、私のことも?」
デューイはクスリと笑う。
「もちろん知っていたよ。“孤高の侯爵令嬢”は我らの仲間内でも有名だったし」
カレンは「え?」と少し驚く。
「フリードからの依頼で君のことは一通り調べたからね」
ヘーゼルの瞳を輝かせる。
…いったいどんな話なんだろう。カレンは困惑の面持ちだ。
「やり取りするうちに、ウィリス卿からは何度もヘッドハンティングの話があったし」
「まあ!」
「でも私はあくまでダヴィネスの騎士が本分だ。丁重にお断りしたよ」
カレンは兄の性急さに呆れた。
「ちょっとせっかちだけど切れ者だからね、君のお兄さん…ストラトフォード家は安泰だよ」
「恐れ入ります…」
カレンは、デューイに何もかも知られているようで、落ち着かない。
早く話題を変えたかった。
「…ここへは当分おられるとジェラルドに聞きました」
「うん。仕事が一段落着いたし、部下が散らばって頑張ってくれてるしね。ここへは何年も帰ってなかったから…それに」
デューイはカレンを見る。
「?」
「君をじっくり見てみたかった。ジェラルドと結婚した君を」
「??」
デューイのヘーゼルの瞳は読めない色だ。
カレンは疑問が増した。
「数年ぶりに帰ったら、ジェラルドはおろか、フリードにアイザックさえも相手を見つけて幸せそうだ。街も賑わってるし…時の流れを感じるよ…なんだか取り残されたような気になる」
デューイの目は、カレンを通り越して、どこか遠い所を見ているようだ。
「…君とジェラルドの仲睦まじさは、我が国では結構有名なんだよ。知ってるかな」
「…あの、はい、お恥ずかしながら…」
「確かめたくなったんだ」
「え?」
「君がジェラルドにふさわしいかを、ね」
…え?
カレンは目を瞠き、デューイはその顔を見て、面白そうに微笑んだ。




