第5のカレンとレディ“D”(3)
数日後、カレンはラックとジョイスの家を訪ねた。
今日はラックの非番で、家にはラックとジョイス、ヒルダが居た。
昨日、ラックに今日のおとないのことを告げると、いつもの調子で「…どうぞ」と言われた。
キッチンのテーブルに座ったカレンは、先日のお礼を言うと、コホンと咳払いをした。
「実は、提案があります」
3人は顔を見合わせた。
テーブルにはジョイスとヒルダが座り、ラックはキッチンにもたれて立ったままだ。
「ジョイスのブレンドしたお茶を、『レディD』の商品として売りたいと思いまして…」
「「え!?」」
ヒルダとジョイスが同時だ。
『レディD』とは…レディ ダヴィネス、領主夫人…つまりカレンがセレクトしたダヴィネス産の品々で、数年前にカレンがローンチしたブランド名だ。
今やダヴィネス城や城塞街で知らぬ者はいない。
城塞街の雑貨屋の一角で展開しているが、これがなかなか好評で、ちょっとした贈り物やお土産として人気が高い。しかも良品質のためリピーターも多く、王都からの注文も少なくない。
商品は、カレンの見出したレースを施したハンカチーフ、それにイニシャルや花の刺繍が入ったものや、北部視察の際に出会った岩塩と花々の香り高い入浴剤など、いずれもダヴィネスの手仕事を生かした品々だ。
収益は作り手に還元したり、更なる商品開発に生かす形にしている。
カレンは常に新たな商品を探しており、ジョイスの作るハーブティはそれにうってつけなのではないか、と思い至ったのだった。
「ダヴィネスのハーブはとても質がいいので、何かの形で商品にできないかとずっと思っていて…」
「やります」
!?
食い気味で返事をしたのはジョイスだった。
ジョイスの言葉に、ラックとヒルダもビックリ眼でジョイスを見る。
「…ほんとに? ジョイス、協力してくれますか?」
「はい。喜んで」
ジョイスは満面の笑みで、興奮しているのか顔が紅潮している。
「ちょい待てよ、お前本気か? 城の薬房とのやり取りとはワケが違うぜ」
それはそうだが…
カレンは少し考える。
「そうですね…薬房では、薬効第一の研究だと思います。でも『レディD』は、あくまでお客様に喜んでいただくための商品です。商品を通じてダヴィネスのこと…ここ(ダヴィネス)の素晴らしさを知ってもらって、日常に潤いをもたらすお手伝いをしたいと思っています」
「でしたら、今丁度作っているフェイスクリームもあります! ちょっと取ってきます」
と、ジョイスが席を立ちかけた。
「ジョイス!」
ラックがそれを制した。
「大きな声を出さないで、ラックッ」
今度はヒルダだ。
ジョイスはスゴスゴとまた席に着いた。
「…あの、ラック、あなたは反対…なのよね?」
カレンは遠慮がちに聞く。
「いや、そうではないですが…」
ラックは戸惑っている様子だ。
「ラック、私、やりたいわ」
「ジョイス…」
カレンは良く似た顔の2人のやり取りを眺める。
「あのねラック、私…こんな風に引きこもってるけど、誰かの…何かの役に立ちたいって思ってるのよ。もちろん、薬房からの依頼の仕事もやりがいはあるわ。でも、私はもうダヴィネス城の薬師になることは諦めたの」
「……」
ラックは黙ってジョイスの話を聞いているが、表情は険しい。
「この前、レディがここへいらした時に、私のブレンドしたハーブティを美味しいって言ってくださって、とっても嬉しかった…」
ジョイスはカレンに微笑んだ。
「もちろん、ラックやヒルダや、村の皆に喜んでもらえたら嬉しいわ。でも、もっと沢山の人に喜んでもらえるなら…ちょっとおこがましいけど、こんな私でも誰かを幸せにできるのなら…やってみたいの」
ジョイスは、生き生きとしている。
「…あたしは賛成」
黙って話を聞いていたヒルダが発した。
「ヒルダ…」
「だって、ジョイスはまだ若いわ。今のままじゃもったいなくって。やりたいって言うのなら、いいじゃないさ。自分の得意なことを生かせる機会だよ。しかも、レディのお墨付きで」
「ヒルダ、ありがとう」
ジョイスは涙ぐむ。
ヒルダは手を回してジョイスの肩を撫でる。
「ううん。あんたはよく頑張ってるよ。よくここまで頑張った。だから…好きなようにしたらいいさ…頑固な兄貴はほっといて」
と、少し意地悪な目付きでラックを見やった。
「俺は…」
ラックは腕組みをする。
「俺はただ、ジョイスが心配なだけだ。また誰かに傷つけられやしないかと…」
「それはそうだけど、それとジョイスの挑戦は関係ないでしょ?」
ヒルダの言葉に、ラックはぐっとなる。
確かに、ラックの心配は最もだが、目の前のキラキラと目を輝かせたジョイスは、まさにその名の通り、喜びと期待で満ちている。
「商品については、主に私が対応します。あと、レディ ベアトリス・モイエやレディ パメラにも相談にのってもらっているの。…お金やその他の事務的な細かなことは城の文官のアイリス・モナハンが。具体的な作業は街の女性達にも関わってもらっているわ。『レディD』については、携わっているのは、ほぼ女性です」
カレンは少しでもラックの懸念を拭えれば…と、念のために付け加えた。
「ラック…」
ジョイスはラックへ“お願い”という顔をした。
ラックははあーっと大きなため息をついた。
「わかった、わかったからそんな目で見るな」
ラックは自身のアッシュブロンドをクシャクシャと触った。
可愛い妹にせがまれては否とは言えないようだ。
カレンは、見たことのないラックの様子や兄妹ならではのやり取りを微笑ましく見る。
「ったく、ザックの言ってたとおりだ」
ラックはボソリと呟くと、カレンに向き直った。
「わかりましたレディ……コイツのこと、よろしくお願いします。なんせ何年も世捨て人みたいな生活してたんだ、社会復帰はおいそれとはいかないと思うけど…」
「あら、いいのよ。ジョイスのペースで。嫌なことは嫌って言ってもらいたいし…私もその方が安心だから」
「私、ハーブティのサンプルをいくつか持ってきます!あと、フェイスクリームも」
言いながら、ジョイスは2階へと急いで上がった。
「ちょっと落ち着きなって、ジョイス!…あの子のあんな嬉しそうな顔、本当に久しぶりに見たよ…」
ヒルダは呆れながらもしみじみとする。
「ねえっ? ラック??」
ラックは静かに「ああ」と言った。
「ありがとうございます、レディ…ジョイスはきっと変わります。いい方向に…」
途中からヒルダは赤い目だ。
「ええ。そうなるよう、私も努めます。2人ともありがとう。これからもよろしくお願いします」
∴
カレンは2階から戻ったジョイスからサンプルを受け取った。
「ジョイス」
「はい、レディ」
「私が言うことではないかもだけど…でも、」と前置きをした。
「ダヴィネス城に属してもそうでなくても、あなたは立派な薬師よ。誰かの役に立ちたいと思う心こそ、その表れだと私は思います」
カレンは、ジョイスの瞳を真っ直ぐに見つめる。
「…レディ…ありがとうございます……!」
カレンは微笑むと馬車に乗り込み、ダヴィネス城へと帰った。
3人は馬車を見送る。
「ねえ、さっき『ザックの言ってたとおり』って言ってたけど、なんのことなの?」
ヒルダがふいにラックに尋ねた。
「んー? あぁ、ザックと呑んでる時、ヤツがボヤいてたんだよ…『姫様はたまにとんでもないことをしでかす、でも』」
「ははっ、でも?」
「『俺達とは違う目でダヴィネスを見てる。まったく敵わない』」
「…そっか…うん、その通りだね……」
3人は、遠ざかっていく馬車を、いつまでも見送っていた。
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《Lady D》新商品のご紹介
☆ハーブティ 3種
have a good night sleep─ぐっすり
refreshing─スッキリ
relax─まったり
・ダヴィネス産ハチミツのセットも有り
☆フェイスクリーム『joys』
野生のベリーの種子、様々なハーブから取れる精分を使用した、コックリとしたテクスチャのクリーム。乾燥からあなたのお肌を守り、輝く素肌へと導きます。
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ジョイスの名を冠したフェイスクリームのシンプルな処方は大変好評を博し、寒冷な地におけるレスキュークリームとして、後々まで引き継がれることとなる。
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弓技場の端にあるだだっ広い場所に、カレンとラックは居た。
カレンは長弓に矢をつがえると、ラックがその矢じりに火を移した。
燃え盛る矢を素早く弾くと、カレンは上方へと放った。
矢は炎の尾を引きながら大きく弧を描き、かなり離れたこんもりと盛られた藁山へと刺さり、ボウッと炎が上がる。
「お見事…長弓も大丈夫そうですね」
「あとは…実践かしらね」
カレンとラックは肩を並べて燃え盛る藁山を見る。
「いえ、レディに出動願うのはよっぽど戦況が切迫した時か…俺かエルメ卿が出動できないか…殺られた時か…そうならないことを願いますが。ま、それもジェラルド様の考え如何ですよ」
ラックは水の入った桶を持って藁山に向かう。
カレンもついて行く。
ラックは桶の水を燃える藁山へザバッっとかけた。炎は一瞬で消え、黒い炭となった藁から白い煙が上がる。
「…ラック」
「はい?」
ラックは後ろのカレンへ振り返った。
「あなたの身分を騎士に戻すことができなくて…ごめんなさい」
「?」
カレンは、ジョイスのこともだが、ラックのことも気に掛かっていた。
もし可能ならば、ラックを元の騎士の身分へ戻せないものかと。
しかし一度下った正式な処分を覆すのは、おいそれとはいかない。
ラックは、カレンの言葉に一瞬真顔になった後…盛大に笑い出した。
「ラック?」
「はははっ、いやすみません、レディ。でも、ははっ」
ラックは空になった桶を小脇に抱えると、元居た場所へと歩く。カレンも隣を歩く。
「…レディ、俺は騎士に戻りたいとは思ってません」
「…本当に?」
ラックは立ち止まり、カレンへと顔を向けた。
「ええ。今の射手隊の身分で満足していますし…俺には合ってると思ってます」
相変わらずの飄々とした態度だが、それでも先ほどのような笑いをカレンは初めて見た。
今のラックも、以前ほどの素っ気なさは感じない。
「俺は…」
ラックは弓技場を見渡す。昼時なので、他の隊員達の人影もまばらだ。
「この第5部隊が好きですよ。訳アリの俺を受け入れてくれて、放っておいてくれた。何年もここで過ごすうちに、射手のなんたるかを知れて、俺はラッキーだったと思っています…それはやっぱ、引っ張ってくれたエルメ卿に感謝ですよ」
カレンはすっきりとした表情のラックの横顔を見つめる。
「…そう」
ラックが心からそう思うなら、カレンの言うことは何もない。
「領主夫人の指導もできましたし」
いつの間にか、ラックはカレンへと顔を向けていた。
珍しく微笑んだラックの濃い青い瞳に、カレンは微笑み返した。
「おおーーい、お二人さんよぉ、ランチに行くぞ~」
離れたところから、老エルメが二人に声を掛けた。
エルメの横には、幾分顔をしかめて腕組みをしたネイサンが立っている。
「ね、ラック、今日は私たちと同じテーブルでランチを取らない?」
「…お断りします」
「なぜ?」
「俺、メシは一人で静かに味わいたいんで」
カレンはいつもの調子のラックに「やれやれ」と息を吐くが、それでもラックの気持ちを聞けたからか、そこまでガッカリはしない。
足取りも軽く、食堂へと向かった。
食堂への道すがら、ネイサンはラックに近づくとコソリと話し掛けた。
「…レディとの距離が近いですよ…気をつけてください」
ネイサンの言葉に、ラックは眉を上げた。
「俺はレディの指導者だぜ。時と場合によるな」
「は?」
ネイサンの顔を見たラックはニヤリと笑い「腹がへった。早く行こうぜ」と、ネイサンの背中をバンと叩いた。
久しく見たことのなかった元先輩騎士ラックの笑顔に、ネイサンは一瞬呆気に取られたが、すぐに元に戻ると「ったく」とブツブツ言いながら、ラックと肩を並べて歩みを進めたのだった。




