よみがえる思い出
「ジェラルドの子供の頃、ですか?」
「ええ」
「そうですね…」
ダヴィネスの雪深い冬。
領地内の視察も一段落し、静かな季節となった。
屋内で過ごすことの多い長い冬、その夜長に、カレンはたまにジェラルド、フリード、アイザック達とカードをしたりお酒を酌み交わすことがある。
今では当たり前のようになったが、誘われた当初、カレンは仲間に入れてもらえたようでとても嬉しかった。
今日は、珍しいお酒が手に入ったからとディナーの後に撞球室へ集まっている。
途中ジェラルドが席を外した際に、カレンがフリードとアイザックへ、ジェラルドの少年時代のことについて尋ねてみたのだ。
「うーん、基本的には今と変わってませんね」
「だな」
フリードとアイザックはグラスを傾ける。
「真面目で正義感が強く律儀で面倒見もいい…加えて圧倒的なカリスマ性とリーダーシップ…」
「誉めすぎじゃね?ま、その通りだけどさ」
フリードの言葉にアイザックは苦笑する。
「幼い時から剣を振り回して、馬を駆って…次の領主への道を着実に、でしたが」
フリードはふむ、と考える。
「なんだかこう答えると少し面白味に欠けますね。何かカレン様の喜びそうなエピソードは…」
「あ、あの話はどうだフリード?」
「あの話?」
「北部でさ、初めてサウナに入った時のことだよ…」
と、アイザックはニヤリと笑う。
「ああ、…そうですね、確かにジェラルドにしてはかなりやらかした話だ」
フリードも面白そうだ。
「北部で?」
カレンは続きを聞きたくて話を促す。
「ええ、あれは確か…ジェラルドが12、3才の頃で…」
フリードが話し始めた。
・
北部での戦いの後、ダヴィネス軍は豪雪に閉ざされ、長らく足止めされた状態だった。
北部城塞は堅牢な造りで、大きな湖に面している。
騎士になって間もなくの元気盛りのジェラルド達は、閉じられた雪と氷の世界に退屈を強いられた。
大人達の楽しみと言えば酒とサウナで、特にサウナは健康面においても騎士や兵士達の疲れを癒しており、大きな戦いの後は欠かせない習慣だった。
「おいジェラルド、お前達もサウナに行ってこい」
前辺境伯は、見るからに暇をもて余しているジェラルド、フリード、アイザックにもサウナを勧めた。
北部の先輩騎士に連れられ、いくつも並ぶサウナ小屋へと案内された3人は、ひとつの小屋へと入り初めてのサウナを体験した。
「俺はあんま得意じゃなかったな、サウナ。あれ以来入ってない」
アイザックが当時を振り返る。
「そうですか?私は大変気に入りましたよ」
フリードは意外そうな顔だ。
「そういやお前、北部に行ったら必ず入ってるよな」
「ええ、大量の汗をかくと血の巡りが良くなるようで、体がスッキリします」
フリードは楽しそうだ。
へぇ…カレンは興味深く聞く。
サウナの話は聞いたことがあるが、入ったことはない。もし次に北部へ行ったなら、是非入ってみたいと思った。
「…それで、先輩騎士に倣って、我らは我慢強くサウナ小屋に留まっていたんですが…」
フリードは続けた。
ジェラルドがたまらず小屋を出て、目の前の冬のアラハス湖へ飛び込んだ。
続いてアイザックも湖へ飛び込む。
二人はしばらく冷水に身を浸していたが、湖の水は身を切るほどに冷たい。
冷たさを感じはじめ、ジェラルドはサウナ小屋へと戻った。
しかし、何を勘違いしたか、元の小屋ではなく別の小屋へと入ったのだ。
アイザックが止める間もなかったらしい。
そこは…女性達のいるサウナ小屋だった。
「え?」
カレンは目を瞬く。
「経験したことのない熱さと冷たさで、頭がぼーっとしてたんでしょうね」
フリードはクックと笑う。
サウナは全裸で入るものだ。
女性のいるサウナ小屋に足を踏み入れたジェラルドは、はじめはなんのことかわからなかったらしく、呆然とした。
運悪く、そのサウナ小屋には北部をまとめるローレンス卿の奥方とご令嬢達がいた。
突然のことで、互いに絶句したという。
「ジェラルド様、そのまま舞われ右で出て行ってくださいませ」
ローレンス卿の奥方はごく冷静に言ったという。
ジェラルドは言われるがまま、女性達のサウナ小屋を出ると、そのまま湖へドボンと入った。
「あん時のジェラルドの顔は忘れられねーよ」
アイザックはケラケラ笑う。
その後、ジェラルドは冷水に当てられ高熱を出したとのことだった。
(当てられたのは冷水にだけだったかどうかはわからないが…とはアイザック談)
「それは…!」
カレンは驚きで目を見開いた。
夫人はともかく、ジェラルドより年上の年頃の令嬢達の裸を目にしたのだ。
そのまま責任を取れと結婚を迫られてもおかしくはなかったが、そこは夫人がうまく取り成してくれた。
その後、令嬢達と顔を合わせると気まずそうなジェラルドだったが、よく知る仲の年上の令嬢達は、カラカラとあっけらかんとしており、弟扱いのジェラルドに懐深く対応したと言う。
「あのジェラルドが…女性に気まずそうに…」
カレンは少年のジェラルドを想像すると微笑ましく、思わずクスリと笑った。
「そんなに楽しい話?」
ふいにジェラルドが部屋に戻り、3人はハッとするが、フリードとアイザックはニヤニヤしている。
「…なんだ?私の話か?」
今のジェラルドは、女性の裸体を見たくらいでは眉ひとつ動かさないだろう。
「…私も会ってみたかったです。少年時代のジェラルドに」
カレンはポツリと呟いた。
「昔の話をしていたのか」
ジェラルドは椅子に腰かけると、フリードとアイザックを軽く睨んだ。
そして、隣に座るカレンの顔を見ると微笑む。
「カレン、会っている」
「え?」
これにはフリードとアイザックも「は?」と反応した。
「い、いつですか?どこで?」
カレンは全く記憶にないのだ。思わずジェラルドの方へ前のめりに体を向けた。
ジェラルドはカレンを見るとふっと笑う。
「確か…父について王城へ行った時かな…まだ代替わりする前だ」
とすると、「今から14.5年前ですか…」フリードは思案する。
カレンはもちろんデビュー前だ。
王女の遊び相手をしていた頃になる。
「あなたは庭でマーガレット王女殿下の遊び相手をしていて、ボールが回廊まで飛んできたんだ」
マーガレット王女は幼い頃からお転婆だったので、よく庭でカレンと遊んでいた。
「たまたま通りかかった私は、そのボールを拾い上げた。すると、侍女ではなくあなたが息を切らせてボールを追いかけてきた」
~
ふいに横から飛んできた柔らかなボール…回廊を父と歩いていたジェラルドは、足元に転がるボールを屈んで拾い上げた。
と、パタパタと元気よく、一人の少女が駆けてきた。
ダークブラウンの艶やかなロングヘアをなびかせ、息を切らしている。その元気な行動とは逆の、身なりや雰囲気からして見るからに高位貴族の令嬢だが、その薄碧の瞳はキラキラと輝き、頬は薔薇色に染まっていた。
一瞬、背景が霞むほどに全身から生気が漲っている。
ジェラルドは、このような少女に会ったことはなく、釘付けになった。
ジェラルドがボールを手にしているのを認めた少女は、少し離れた位置で立ち止まり、ジェラルド達を見た。
「あ、あの…」
その少女…カレンは見るからに戸惑っていた。
ジェラルドの隣に立つ父…前辺境伯は、体も大きく厳めしい顔立ちに髭を蓄え、鋭い眼光をしており、黒い軍服の威厳のある礼装姿は子供には近より難い存在だ。
ただ、隣の騎士は、立派な体格ながらもまだ少年の面差しを残しており、不思議そうな顔でカレンを見ていた。その顔立ちは端正で、深緑の目が美しい。
「ジェラルド」
いつまでもボールを渡そうとしないジェラルドに父が声を掛ける。
「あ、はい」
ジェラルドはハッと我に返ると、少女には近付かず、ボールを少女の足元までコロコロと転がした。
少女はジェラルドの行動にほっとしたのか、足元まできたボールを拾い上げると、ニコリと微笑み、まるで淑女のような整った礼を二人に向けて取り、パタパタと駆けて行った。
遠くから「かレーン」という幼女の声が聞こえる。
ジェラルドはなおも、カレンのいた方を見ていた。
「…珍しいな、お前が異性に興味を持つのは」
父辺境伯が、ニヤリと笑いジェラルドへ話す。
「……」
ジェラルドは何も言い返せない。
「…あのような少女を初めて見ました」
正直な感想だった。
父は笑みを浮かべながら、誰ともなしに話す。
「恐らく…王女の遊び相手の…ストラトフォード侯爵の2番目の令嬢だろう…確かに、辺境にはおらんな」
顎髭に手を充てながら続ける。
「しかしあの幼さにしては美しい礼であったな…あれはまさしく淑女の礼だぞ。付け焼き刃では身に付かん。さすがにあの遣り手の娘だけのことはあるわ」
もはや独り言のようになった。
ストラトフォード侯爵家…ジェラルドもよく知る、中央政治の重責を担う名門貴族だ。
「運と縁が巡れば、お前にも望みはある。さ、行くぞジェラルド」
「はっ」
ジェラルドには父の言葉の意味はわからなかった。
二人は回廊を後にした。
~
「初耳ですよ」
「なんで今まで黙ってたんだ?」
フリードとアイザックは追及の手を弛めない。
カレンは驚き過ぎて、びっくり眼のままだ。
「はは」
ジェラルドはカレンの顔を見ると、笑いながらその柔らかな頬に人差し指をなぞらせ、優しくつまんだ。
「実は私も、つい先日思い出した」
「え?」「は?」「どういうことだ?」
3人が同時だ。
「アンジェリーナとボール投げをして遊んでいる時にふと既視感を覚えて、記憶が一気によみがえったんだ」
「まぁ、カレン様とアンジェリーナ様はよく似てますから…」
「そんなことって…あるのか…」
3人は狐につままれたようだ。
「驚いた?カレン?」
「…はい…でも私、覚えてなくて」
カレンは少しいたたまれないような、残念な気持ちになる。
「それはそうだ。まだほんの少女だったんだから…」
ジェラルドはそう言うが、カレンはなんとももどかしい。
しかし記憶を呼び起こしても、やはり思い出せない。
しゅんとなる。
「あ!これでわかった!わかりましたよ!」
フリードが急に大きな声を出した。
「なんだ?」「なにがだ?」「?」
「ずっと謎だったんですよ。いくら忙しいとは言え、どんな縁談にも一切興味を示さなかったジェラルドが」
「ほんとに忙しかったぞ」
ジェラルドは少し不満そうだ。「それで?」フリードの話の続きを促す。
「ジェラルド、『無意識の意識』とは恐ろしいものですよ…」
フリードは神妙な顔をして腕組みをする。
「俺にもわかるように説明しろって」
アイザックはつまみのカナッペをペロリと食べると、グラスの酒を一気にあおった。
「つまりですね…」
フリードは得意気に持論を展開する。
「ジェラルドの中の結婚相手の基準は、ズバリそもそも【カレン】様だったってことですよ。それも無意識に」
「…そうなのか?」
ジェラルドは他人事のようだ。顎に手をやった。
「なんだそりゃ?」
アイザックも懐疑的だ。
「まさか…」
カレンもよくわからず、ハテナマークが頭に浮かぶ。
「親父さんもあながち間違ったことは言ってなかったってことで…ま、これは私が大変納得したのでそれでいいんです。さ、飲み直しましょう!」
フリードは上機嫌で、皆のグラスへ酒を注いだ。
・
「あなたは、ちっとも変わらない」
「いくらなんでも、ちっともってことはないです」
カレンはジェラルドの言葉にクスクスと笑う。
フリードとアイザックとの飲み会を終えた二人は、寝室でそれぞれの寝支度をしながら話す。
「でも…」
「?」
「私も覚えていたかった…ジェラルド様のこと」
ジェラルドはふっと笑うと、ベッドに腰かけるカレンに近寄り片手で頬を包んだ。
「それはいいと言った…それに、本当は私だけの秘密にしておくつもりだったんだ」
「そうなのですか?」
ジェラルドは頷く。
「あなたがいて、アンジェリーナが生まれて…思い出が甦ってより一層輝いた。こんなに嬉しいことはないぞ」
と、カレンの額にキスを落とした。
「運と縁と…父にも感謝しとくか」
「ま!」
カレンは呆れながら笑う。
ジェラルドの思い出に、お義父様もいらっしゃることが嬉しかった。
「あ、ジェラルド様、私、もし今度北部へ行けたなら、是非サウナに入りたいです」
寝具に入りかけたジェラルドが一瞬固まる。
「…カレン、もしかして、フリード達から聞いた?」
「ふふ」
ジェラルドのサウナやらかし事件のことだ。
ジェラルドはまいったな…と、髪をかきあげた。
「あれは事故だったんだ」
「ええ、わかってます…あ!」
カレンの目が笑っているのを見ると、ジェラルドは強引にカレンを腕の中へ収めた。
「今度北部へ行ったら…私と一緒にサウナへ入る?」
「別々ではなくて?」
「一緒にだ」
カレンは、ん…と考えた。
「…のぼせちゃいます」
「なぜ?」
「だって…」
言いかけて、カレンはしまったと即座に悔いた。
ジェラルドは面白そうにカレンを見下ろす。
「カレン…いくらなんでも、サウナ小屋では…私でも身が持たない」
「わ、わかってます!もう、意地悪ですジェラルド」
カレンはしてやられ、ぷんとして恥ずかしがる。
ジェラルドは口の端で微笑むと、カレンの頬に手を添えて、深い口付けを始めた。
思い出は、いつも懐かしさと少しの寂しさを伴う。




