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それからまもなく、エラの父親がトーマスを引き連れて応接間にやってきたので3人は口をつぐんだ。トーマスはラウルを見て嫌そうに顔を顰めたが、その後はにやにやとした笑いを浮かべてエラを見つめている。ラウルは彼の視界からエラを消し去りたかったがぐっと我慢した。
「マリー、エラに祝福してもらったか?お前は政略結婚であることを嫌がっていたが、エラはこんなに幸せそうだから安心しただろう?」
エラは父親のことをよく知っていたので、ここで何を言っても彼が話を聞きはしないだろうから余計なことは言わずに黙っていたが、隣に座っているラウルには彼女が怒りのあまり、身体に力を入れたのを感じていた。
「いいえ、お父様…お姉様と私は違いますもの」
しかしマリーは勇敢だった。母親に愛されて育ったというのもあるかもしれないが、彼女は父親に反抗することをまったく恐れていない。
「マリー、お前は世の中の道理というものを全く分かっていない」
「お父様、これはでも横暴すぎますわ…!私は既に婚約しているんです」
「何をバカな…相手は取るに足らない庶民だろう?トーマスとは比べ物にならないではないか」
トーマスは話の行方をにやにやしながら聞いていたが、ふとラウルを暗い瞳で見ると、のんびりと口を開いた。
「まぁ、そこまで言うならマリーは解放してあげても俺は構いませんけど」
「トーマス、それでいいのか?」
「だってマリーは跳ねっ返りだし、まぁそういう女を躾けるのもやぶさかではないが」
彼の顔に浮かぶ下品な笑顔が、更に顔いっぱいに広がった。
「マリーがどうしても嫌だっていうなら、エラになんとかしてもらいましょうか」
「――お姉様に?どういう意味!?」
マリーが悲鳴のように叫ぶが、エラは黙ってじっと男の顔を見つめた。
「くく…俺が気に入っているのは、その顔だよ、エラ…実に、いい」
それからトーマスはくいっと顎をしゃくって、ラウルを指し示す。
「田舎にひっこんでたマリーが知らないのは当然だけれど、この男が愛人を囲っていたのは街中で噂だったわけだし、そんな男より、俺のほうが当然いいと思わないか?こいつと離婚して、俺と一緒になればいい」
ラウルがぎりっと膝の上で握っていた手に力をこめた。
(―――やはりか)
こいつは街でエラに再会して、なんとか彼女を手に入れようと画策したってわけか。マリーはエラをおびき寄せる餌に過ぎない。
「俺だったらエラの価値をちゃんと分かって輝かせることが出来る」
ここがシールズ家の応接間でなかったらいくらでもこの男に言い返せるが、ラウルはエラに采配を任せようと決めているからそれでも口を開かなかった。だからといって何も感じないというわけにはいかない。ぎりりっと更に手に力を込めて真っ白になったラウルの手を、エラがそっと上から包んだ。
「トーマス、夫婦のことは夫婦にしか分からないと思わなくて?」
「はっ、笑止だな、エラ。こいつがお前の悪口を言いまわっていたことは街中みんな知ってるんだぜ?それを何を今更、私達は分かり合ってますって顔をするんだ」
勿論その噂は父も知っているだろうが、知っていてエラを放置していたことをなじられたくないのか、彼はだんまりを決め込んでいる。勿論彼が黙っているのは婚前契約書のことも関係しているだろうが、父になんの期待もしていないエラにはどうでもいいことである。トーマスは、婚前契約書については知らないに違いない。父がブラウン家からの援助を切り捨てるとは到底思えないから、これ以上言わなくてもいいけれど――しばらくしてエラはふっと笑みを浮かべた。
「トーマス、私達は愛し合っているの、貴方には分からないでしょうけれど。私はこの人と絶対に別れません。誰がなんと言おうが」
ぎゅっとエラの手に力が込められる。彼女の手は、微かに震えている。きっと今までエラが父やトーマスに口答えをしたことはなかったのに違いない。今、彼女は妹や、ラウルのために、彼らと初めて闘っている。エラの背筋はぴんと伸び、神々しいまでにその横顔は凛々しい。ジェームズにどれだけ辱めをうけようが、彼女はずっとこうやって頭を高くあげていた。この姿こそがラウルが惚れたエラの真の姿だ。
予想外の娘の反撃に、ぽかんとする父や、信じられないという顔をしているトーマスの顔を見ながらエラは再び口を開く。
「ジェームズのことをこれ以上何か言うなら、ブラウン家が黙ってはいません」
その言葉に父がさっと顔色をなくす。
そう、今やエラは、エラ・シールズではなく、エラ・ブラウンとしてこの席に座っているのだ。そしてブラウン家からの金銭的援助なしではシールズ家の家業は成り立たないのはここにいる誰よりも父がよく分かっているはずだ。
「お、お前、父親を脅すのか?」
「脅してなんかいませんわ、お父様。私は真実を述べただけですから」
聞き分けのない子どもを諭すように、エラは平坦な言葉を紡ぐ。
「マリーをトーマスと結婚させるなんて、私としては到底見過ごせません。マリーに想い人がいるなら尚更です。私が今日ここにジェームズと来たのは、ブラウン家としての考えを伝えにきたのです」
エラがきっぱりそう言うと、父は項垂れた。
「ジェームズ、そうよね?」
「ああ」
エラがちらりとラウルを見て、どうぞ、と微かに頷いた。彼女の許しを得たので、ラウルは口を開いた。
「トーマス・スミソニーについて俺たちが何も知らないとでもお思いですか?」
彼のその一言で、目の前のトーマスからみるみる血の気が失われていった。
ラウルはトーマス・スミソニーについて総力をあげて調べ上げていた。ブラウン家の情報網を以てしたら赤子の手をひねるより簡単なことであるが、そもそもトーマスという男は杜撰な詐欺をいくつも重ねてシールズ家の売上を掠め取っていた。トーマスは優秀な人材だったかもしれないが、一皮剥くとただの詐欺師に過ぎない。商才はあるが残念ながら人を見る目がない父親はそれを見落としていたことを指摘されると、顔を真っ赤にして怒り狂ったが後の祭りである。
警察に観念したトーマスを突き出した。マリーとの婚約は勿論ご破算になり、父の気が変わらないうちにと彼女を田舎に送り返す手はずを整えた。
「お姉様…本当にありがとう」
馬車に乗ったマリーが涙ながらにお礼を言うので、エラは微笑んだ。
「お母様によろしくね」
「ええ。お手紙を書くわね…私の結婚式も是非来てほしいの」
「もちろん。貴方のお相手も是非紹介して」
マリーは本当に嬉しそうに笑い、子供の頃のマリーの笑顔と重なった。エラは妹の乗った馬車を見送ると、深いため息をついて、同じく隣で立っていたラウルに少しだけ寄りかかった。
「ありがとう。貴方がいてくれてどれだけ心強かったか」
彼がそっとエラの手に自分の指を絡めた。
「帰ろうか」
「ええ」
エラは帰りの馬車の中でラウルに呟いた。
今では私達が住んでいる家だけが、私の帰る場所だわ、と。
ここまで読んでくださってありがとうございます。
思ったより、エラウルのその後が浮かんできてしまい、
番外編が長くなってしまいました。
とりあえずひとまずここで一区切りとさせていただきます!
読んでくださった方々、本当にありがとうございました。
あとひとつだけ、エラウルの番外編を書きたいとは思っています…
いつかそっと付け加えるかも知れませんのでそのときは
読んでやって頂けると嬉しいです。




