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エラは長い長いため息をついた。
義母は自分で自分のことをよく分かっている。
この数年彼女を近くで見続けていたエラは、義母が明晰な頭脳を持っていることに気づいていた。しかし残念なことに、なまじ義父よりも優れた能力があるために彼女は夫を頼りがいがない人だと思っている。それが義両親夫婦の仲がうまくいかない理由の1つではないかとエラは推測していた。
彼女はとても優秀であるがゆえに、『家』への責任感も、夫や子供への期待も生半可なものでは満足できない人だ。義父がかつて不倫に走ったのも、常に完璧を求める義母に追い詰められて息がつまったように感じたからではないかと想像がつく。義母は他人を寛いだ気持ちにさせるような人ではなく、そして猜疑心が強い。エラを嫁にと誰よりも望んだのは義母だと聞いているが、そのエラにでも『他人』だからと、ギリギリまで息子の身代わりのことを知らせなかったのは、義母らしい判断だ。
アンドレイが一度エラに冗談めかして言っていたことがあるーー兄があそこまで『家』から逃げ回るのは、母の期待から逃れるためだと。自分は次男で母がそこまで期待していないからほどほどで良かったが、幼い頃から母の兄への執着は自分が見ていても怖くなるほどだった、と。彼は続けて、だから、母が婚約者に望んだエラを兄は拒否するのかも知れない、と言っていた。
義母が悪いのだと、彼女に全ての責任を負わせるつもりはない。義父との関係も義母だけが責を負う必要はない。彼女のブラウン家への思いも否定するつもりもない。ジェームズ自身にも問題は多々あった。
けれど、義母の強い意思、理想の押しつけと執着、溺愛が結果的にジェームズをじわじわと追いつめていったのかもしれない、とどうしてもエラは感じてしまうのだ。
とはいえ義母を断罪するつもりはエラにはなかった。
義母が自分に示した通り、所詮、自分たちは他人だからだ。
「いいえ、お義母さま、愚かなのはジェームズただ一人です」
彼女が事実に即したことだけを告げ、暗に彼女を責めない旨を匂わせると、聡い義母は意味を汲み取り、瞳をうるませて俯いた。
「エラには本当に…ひどいことをしたわ…私はずっとジェームズが貴女を本当に愛してくれたら良いと、思っていたのに」
エラは何も答えられなかった。婚約した当初から義母が彼女に目をかけてくれていたのは伝わっていたし、彼女は…悪い人ではないのだ。けれど、自分は彼女にとっては息子と家を助ける駒にしか過ぎないのも明らかな事実であり、2人には分かり合えないであろう、大きな隔たりがある。
「私を赦してとは言えないわ…でも本当にごめんなさい」
義母がそう言って部屋を出ようとドアに向かい始めたので、彼が声をかけた。
「約束は、守っていただけますね?」
彼女はゆっくり振り返ると、頷いた。そうしてそのまま義母が応接間を出ていくと、エラは彼と2人きりになった。
「貴方は…私のことを知っていたの?」
「ああ、かなり昔から…」
彼女は彼を眺めた。
今こうやって改めて見てみると、ジェームズより精悍で、知的な顔立ちをしているこの男はどうあっても別人としか思えない。彼女が最初に感じ続けていた違和感は間違ってはいなかったのだ。やがて状況証拠によって、この男をジェームズと認めざるを得なくて、有耶無耶になってしまったが。
「あの人は君をジェームズの嫁にと昔から考えていたからね。ジェームズがめんどくさがって行かないパーティに連れて行かれた時に、君がいたりすると、彼女は将来の希望を俺に話していたよ。君は幼い頃からずっと…美しかったな。よく庭園で花を愛でていたのも俺は見ていた」
彼が思い出すように瞳を細めた。
「俺はずっとジェームズが羨ましかった。君のような素敵な女性を妻に迎えることが出来て。それがお金の力であってもね」
彼は腕を組むと、壁にもたれかかった。
「ジェームズと君が結婚した日、教会の前で君たちを眺めていたよ。君はこの世のものとは思えないくらい綺麗だったけれど、ずっと寂しそうな、諦めたような顔をしていたから…きっと幸せじゃないんだろうなって思った。あいつを殴りたかった。俺が側にいたらあんな悲しそうな顔はさせないと、思っていた…叶わない願いだと知っていたけどね」
そう言うと、彼は自嘲気味に嗤った。
「俺が、気持ち悪い?」
エラはそう尋ねられて、驚いた。
「どうして……?」
「気持ち悪くないか、一方的に想われて」
「そんな、ことは…」
「それにこの数ヶ月、俺みたいな他人が夫として君の隣にいたんだからな。…君に正体を明かすのを止められていたとはいえ…悪かった、ずっと騙していたこと」
今まで夫として側にいた彼はジェームズではなく、エラにとって見ず知らずの他人だった。でも、自分は夫として神の前で誓ったジェームズのことも、見ず知らずの他人と同じくらいしか知らなかった。
「全てが明らかになったら、君に軽蔑されるのは分かっていたんだが…それでも少しの間でもいいから、君の側にいたかった」
俺のこと、気持ち悪いよな、と彼はまた言った。
エラは首を横に振った。
今までジェームズだと思っていたから、変わってしまった彼の変化が怖くて、怯えていた。でも本当はジェームズではなかった、と知って、彼女の心に最初に浮かんできたのは…。




