エピローグ 永遠の光の下で
春の光が王都の街並みを包み込み、王城の尖塔が白く輝いていた。
結婚から五年。かつて“冷徹の皇太子”と呼ばれたリュシアンは、今やこの国の象徴として人々に慕われていた。
だが彼にとって、王としての誇りよりも何よりも大切なのは――ただひとりの妻、アメリアだった。
朝の執務室。
机に山積みになった書類を前に、リュシアンはいつものように黙々と筆を走らせていた。
そこへ、扉の向こうから柔らかなノックの音がする。
「入っていいぞ」
扉を開けたのは、淡い桃色のドレスを纏ったアメリアだった。
クリーム色の髪を緩く結い、胸元には彼が贈った紅い宝石のブローチ。
彼女が微笑んだだけで、部屋の空気が柔らかく変わる。
「お仕事……まだ終わらないのですね」
「あと少しで片づく」
「少し、休んでくださいませ」
彼女の声は、春の風のように静かで優しかった。
リュシアンは筆を置き、立ち上がる。
「……お前がそう言うなら、従うしかないな」
そのまま、そっとアメリアの腰に腕を回す。
「もう……侍女が見ていますわ」
「構わない。俺の妻だ」
顔を寄せ、彼女の頬に口づけを落とす。
昔ならば考えられないほどの甘さに、アメリアは頬を染めながらも笑った。
「リュシアン、本当に変わりましたね」
「お前が変えたんだ。俺の世界を、温かくしてくれた」
窓の外では、春の花々が風に揺れている。
ふとアメリアが視線を向けると、庭先に小さな影が見えた。
「アリアが遊んでいるわ」
「……また花冠を作っているな」
金の髪を揺らしながら、三歳になる娘アリアが一心に花を編んでいる。
笑顔はアメリアそっくりで、いたずらな瞳はまるでリュシアンそのもの。
「アリア」
リュシアンが声をかけると、小さな足でぱたぱたと駆け寄ってきた。
「お父様! お母様にこれ、あげるの!」
アリアが差し出したのは、色とりどりの花で作られた冠。
「まあ……ありがとう、アリア」
アメリアがしゃがみ込み、花冠を受け取ると、アリアは誇らしげに笑った。
「お母様、いちばんきれい!」
リュシアンはその光景を見つめながら、静かに目を細めた。
「……俺は昔、王という存在に感情を持つなと教えられた。
だが今は、こうして思う。愛を持つ王であることの方が、どれほど強いか」
アメリアは優しく彼の腕に手を重ねた。
「リュシアン、あなたはもう十分に強いわ。誰よりも優しい王様です」
彼は彼女を見つめ、ゆっくりと微笑んだ。
「アメリア……俺がこの国を守れるのは、お前がいるからだ」
「私は、ただそばにいるだけです」
「それでいい。お前が笑っていてくれるだけで、すべての価値がある」
そのとき、アリアが無邪気に割って入った。
「お父様、お母様、また抱っこして!」
リュシアンは笑い、軽々と抱き上げる。
「俺の小さな姫。お前もお母様のように強く、優しく育て」
「うん! でもお父様みたいにかっこよくもなる!」
「はは、それは難しいな」
アメリアが笑いながら、二人を見つめた。
その光景は、彼女がずっと夢見ていた“普通の幸せ”そのものだった。
――あの頃、皇太子の冷たい瞳の奥に見た孤独を、今は誰よりも温かく包み込めている。
リュシアンはアリアを抱いたまま、アメリアの肩を抱き寄せた。
「お前と出会わなければ、俺はきっと――ただの空っぽな王で終わっていた」
「違いますわ。出会ったからこそ、今のあなたがいるのです」
「そうだな」
彼は小さく頷き、アメリアの額に口づけた。
窓の外、春の空は青く澄み、花々の香りが風に流れていく。
三人の笑い声が重なり、王城はまるでひとつの家庭のように温かかった。
その夜、月明かりの下で、二人は静かにワインを傾けた。
「……あの頃の俺は、悪魔と呼ばれていたな」
「もう誰もそんなふうには言いませんよ」
「いや、時々は言われてもいいかもしれない」
「え?」
「お前を奪った悪魔として、な」
「……もう、そういうことを真顔で言うのはずるいです」
アメリアが笑うと、リュシアンは満足そうに彼女を抱き寄せた。
「何があろうと、俺はお前を離さない。お前と娘がいるこの世界が、俺のすべてだ」
「ええ。ずっと、共に生きていきましょう」
静かな夜風がカーテンを揺らし、二人の影がひとつになる。
永遠に続くような幸福の中で、彼らはそっと唇を重ねた。
――冷徹な皇太子と呼ばれた男は、今では誰よりも優しい王となり、
かつて公女と呼ばれた少女は、国の光となる王妃となった。
そして二人の愛は、どんな時代が過ぎても変わらず、
王城の空に咲く春の花のように――永遠に輝き続ける。




