第3話 皇太子殿下の隣で
朝日が差し込む宮廷の中庭。
白亜の回廊に小鳥の声が響くその日、アメリアは皇太子リュシアンの朝の謁見に同行するよう命じられていた。
王族に仕える身としては何度も見た光景のはずだったが、今日は違う。
彼の婚約者として、隣に立つのは初めてだった。
アメリアは鏡の前で小さく息を整える。
今日のドレスは、春を思わせる淡い桜色。胸元には小さなパールが連なり、袖口は薄絹で透けるように軽やかだった。
腰を締める白銀のリボンが、彼女の細い体を一層華奢に見せている。
彼女自身は特別なつもりではなかったけれど、その姿は誰が見ても清らかで、まるで光の精のようだった。
「……皇太子殿下、おはようございます」
少し緊張した声で挨拶すると、謁見の場で振り返ったリュシアンの鋭い瞳が、一瞬にしてやわらぐ。
周囲の家臣たちは息をのんだ。
普段なら冷たく命令を下すだけの彼が、まるで恋人に微笑むように表情を和らげたのだ。
「アメリア。今日もよく似合っているな。その色は、君の瞳によく映える」
「そ、そんな……ありがとうございます、皇太子殿下」
頬を染めたアメリアは、彼の視線から逃げるように俯く。
だがその頬の赤みさえ、リュシアンの心を掴んで離さない。
「……だから名前で呼んでほしいと言っただろう?」
「え……」
「殿下ではなく、リュシアン、と」
小さく囁かれた声に、アメリアの心臓が跳ねた。
公の場で名前を呼ぶなど、到底ありえないことだ。
けれど、その瞳が優しく細められた瞬間、逆らう言葉は出てこなかった。
「……り、リュシアン様」
その名を口にした瞬間、彼の口元が確かにほころんだ。
周囲の家臣たちはさらにざわめく。
「殿下が……笑った……?」
「信じられん……」
そんな囁きが遠くで響く中、リュシアンはただ穏やかに彼女の手を取った。
「君が隣にいるだけで、私の一日は穏やかになる。不思議だな、アメリア」
「わ、私はただ……婚約者としての務めを――」
「務め? いいや、私は君が好きでたまらない。務めなど関係ないさ」
不意に真っ直ぐ告げられた言葉に、アメリアは言葉を失う。
彼がどれほど冷徹な男か、まだ知らない。
だからこそ、その優しさをまっすぐ信じてしまうのだ。
謁見の間を出たあとも、彼は終始アメリアの手を離さなかった。
まるで、ほんの少しでも距離ができれば彼女が消えてしまうかのように。
その様子に、従者たちは目を見張った。
「殿下にあれほど穏やかな笑みがあったとは……」
「まるで別人のようだ」
けれど、リュシアンにとっては当然のことだった。
彼にとって世界は冷たく灰色で、ただ一人――アメリアだけが色を与えてくれる存在なのだから。




