第23話 月明かりの下で
春も深まり、王都の夜は穏やかな風が吹いていた。
アメリアは用件を終えたあと、ふと窓の外に灯る執務室の明かりに気づいた。
夜も更けているというのに、まだその部屋だけが光を放っている。
「また……遅くまでお仕事をされているのね」
心配になったアメリアは、そっと廊下を歩き出した。
扉の前に立ち、軽くノックする。
「リュシアン様、まだお仕事中ですか?」
「……アメリアか。入っていい」
返事の声は低く、少しだけ疲れていた。
部屋に入ると、机の上には積み上がった書類と、かすかに冷めた紅茶。
彼は窓際に立ち、外の月を眺めていた。
「今日は……随分と遅くまでなのですね」
「明日の会議資料を整えていただけだ。もう終わる」
「それなら……お休みになった方がいいですよ」
そう言いながらアメリアはカップをそっと手に取り、紅茶を注ぎ直す。
その静かな仕草を見つめるリュシアンの横顔は、どこか遠くを見ていた。
「……アメリア」
「はい?」
「俺が、“悪魔の皇太子”と呼ばれていることは知っているな」
突然の言葉に、アメリアの手が止まった。
「……ええ。でも、あれは誤解です。皆さんが勝手に言っているだけで──」
「誤解ではない」
リュシアンの声は静かだった。
けれど、その奥に、かすかな痛みが滲んでいた。
「幼いころから、俺は他人を信用しなかった。裏切られる前に切り捨てる――それが当然だと思っていた。
父上は優しすぎた。民を想い、側近を信じ、誰にでも顔を向ける――そのせいで周りは簡単に惑わされていた。
国を守るには、感情に流されず、冷静でなければならないと悟ったのだ。
だから、俺は自らを冷徹に、無慈悲に演じるしかなかった」
アメリアはその言葉を聞き、静かに手を伸ばす。
「リュシアン様……あなたは決して悪魔ではありません。
寂しさや重責に耐えていた、ただの人なのです」
彼女の手が、冷たい指先に触れる。
リュシアンは一瞬驚きながらも、そっと抱き寄せた。
「……お前にそう言われると、心が少し揺れるな」
アメリアはその胸に顔を寄せ、そっと微笑む。
月明かりが部屋を満たし、静寂の中に二人だけの呼吸が響く。
「アメリア……お前と出会う前の俺は、孤独だった。
誰も信じられず、誰も心に入れられず、ただ冷徹であるしかなかった」
「でも今は?」
「今は……お前がいる。お前だけだ」
リュシアンはそっとアメリアの頬に手を当て、低く囁く。
「もう、お前だけを見ている。誰にも渡さない」
そのまま、アメリアの唇に触れ、軽くキスを落とす。
強さと優しさを兼ね備えた抱擁に、アメリアは小さく息を漏らした。
「リュシアン様……」
「アメリア……お前が俺を人間に戻してくれたんだ」
夜の静寂が二人を包み、月の光はその胸の奥に、そっと温かさを灯した。




