第22話 王都散策と、ふたりの午後
婚約式から数週間。
王宮の中もようやく穏やかさを取り戻し、春の陽光が差し込む日が増えていた。
政務に追われていたリュシアンが、久々に半日だけ予定を空けたという。
「今日は王都を歩こう。少しくらい気分転換が必要だろう」
「え? リュシアン様が……お忍びで?」
「お忍びではない。正式な外出だ」
その一言に、アメリアは思わず目を瞬かせた。
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アメリアは鏡の前で、少しだけ悩んでいた。
婚約式のときとは違い、今日は「皇太子妃候補」としてではなく、
ひとりの女性としてリュシアンと過ごす日。
白ではなく、淡いピンクベージュのワンピースドレスを選んだ。
胸元に控えめなレース、袖口には春らしい小花の刺繍。
いつもより少しだけ緩くまとめた髪に、
リュシアンが以前くれた小さな真珠の髪飾りを差す。
「これなら……派手すぎない、かな」
緊張の面持ちでつぶやいた瞬間、扉がノックされた。
「アメリア、準備はできたか?」
扉を開けたリュシアンは、いつもよりも穏やかな雰囲気だった。
深いネイビーのロングコートに、グレーのシャツと黒の手袋。
皇太子の威厳を保ちながらも、どこか街に溶け込む柔らかさをまとっている。
「いつもより落ち着いて見えるのに、目が離せません」
アメリアの言葉に、リュシアンはふっと笑った。
「それは褒め言葉として受け取っておこう。行こうか」
そう言って差し出された手に、アメリアはそっと手を重ねた。
王都の中央通りは、昼を過ぎても賑わっていた。
行き交う人々がざわめき、やがて小さな歓声が上がる。
「……あれ、皇太子殿下じゃない?」
「お隣の方は……婚約者のアメリア様よ!」
アメリアは少し身を縮めたが、リュシアンはいつも通り落ち着いている。
「離れるな。人が多い」
「で、でも……皆さん見てます……!」
「見せてやればいい。俺の隣に誰がいるのかを」
低く響く声に、アメリアの頬が熱くなった。
通りを抜け、市場に着くと、
果物や花を売る露店が並び、春の香りに包まれていた。
「アメリア、これを」
リュシアンが手に取ったのは、深紅の小さなベリー。
アメリアが味見用に差し出すと、
彼はそのまま指先ごと口に含みそうになり、
「りゅ、リュシアン様っ! 人前です!」
「……そうか、残念だな」
と、淡々としながらもどこか楽しそうに呟く。
その姿に、アメリアは思わず笑ってしまった。
次に立ち寄ったのは花飾りの店。
淡い色の花々の中で、リュシアンが選んだのは深い赤の薔薇。
「これがいい。今日のお前に似合う」
「え……派手では?」
「お前の頬の色と同じだ」
そう囁かれ、アメリアの心臓が跳ねた。
彼はそのまま、髪にそっと飾りをつける。
「……完璧だ」
「リュシアン様……人前です……」
「もう慣れろ」
穏やかな声に、周囲の視線などどうでもよくなってしまう。
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昼食には、小さなカフェを訪れた。
アメリアは白い陶器のカップを両手で包みながら微笑む。
「こうして外で紅茶を飲むの、久しぶりです」
「俺は初めてだ。……公務以外で、こうして出歩くのはな」
「でも今日は楽しそうですね」
「お前が隣にいるからだ」
そのまっすぐな言葉に、アメリアは視線を逸らす。
街の喧騒の中、二人だけの時間が、まるで止まったかのように静かだった。
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夕暮れ。
王都の屋根が夕日に照らされて赤く染まる。
アメリアが立ち止まり、小さくつぶやいた。
「……綺麗ですね」
「そうだな。けれどお前の方が綺麗だ」
リュシアンはアメリアをそっと抱き寄せた。
「こうして外を歩くのも悪くない。
だが──次は人の目を気にせず歩ける場所がいいな」
「そんな場所……?」
「あるさ。俺の作る国に」
その言葉に、アメリアは微笑んだ。
冷徹と呼ばれた皇太子の瞳に、いま確かに温かい光が宿っていた。




