第1章:運命の出会い
帝国の第一皇太子、リュシアン・ヴァルデンハイトは、完璧な男として知られていた。
剣も魔法も政治も芸術も、人の上に立つ者として非の打ちどころがない。
だがその性格は――悪魔のように冷たい、と恐れられている。
側近が失敗すれば容赦なく切り捨て、貴族令嬢が微笑んでも興味を示すことはない。
“冷徹な皇太子”――それが彼に与えられた二つ名だった。
だが、そんな彼の運命はある春の日に変わる。
その日、彼が出会ったのは、帝国大公家の娘、アメリア・ローレンス公女。
アメリアは春風に金糸のような髪を揺らしていた。
淡いミルクティーブロンドの髪を緩く編み込み、薄い青のリボンを結んでいる。
瞳はやわらかな湖の色――澄んだライトブルー。
その瞳が微笑んだだけで、空気が柔らかくなるようだった。
肌は雪のように白く、声は鈴の音のように清らか。
誰にでも穏やかに接するその姿から、彼女は「春の精霊」と呼ばれることもある。
だが本人に自覚はなく、常に控えめで、周囲を立てることを忘れない。
決して派手ではないのに、気づけば人々の視線を集めてしまう――
そんな、不思議な魅力を持つ女性だった。
「……婚約の話など、形だけのものと思っていたのに」
馬車の窓から見える宮殿を見上げながら、アメリアは小さく息を吐いた。
彼女はまだ知らなかった。
この訪問が、帝国史を動かす恋の始まりになることを――。
玉座の間。
そこで彼女を待っていたのは、漆黒の髪と紅い瞳を持つ皇太子リュシアン。
冷たく整った美貌に、誰もが息をのむ。
しかし、その紅の瞳がアメリアを捉えた瞬間――
氷のような瞳が、ほんの一瞬で熱を宿した。
「……リュシアン殿下、はじめまして。アメリア・ローレンスでございます」
深く一礼するアメリアに、リュシアンはわずかに息をのんだ。
彼の胸の奥で、何かが弾けるように鳴った。
(……美しい、では足りない。これは――)
“愛しい”という感情を、初めて知った瞬間だった。
彼は静かに立ち上がり、アメリアのもとへ歩み寄る。
玉座から自ら降りる姿に、周囲の家臣たちは息を呑んだ。
皇太子が自ら一歩寄るなど、今まで誰にもなかったことだったからだ。
「顔を上げてくれ。……アメリア」
名を呼ばれた瞬間、アメリアの胸が小さく跳ねた。
初対面の相手に名前を呼ばれるとは思っていなかったから。
だがその声は、驚くほど穏やかで、どこか優しい。
「君が来るのを待っていた」
「え……?」
「他の誰でもない、君がいい。婚約は形式ではない。正式に、私の婚約者として迎えたい」
その言葉に、玉座の間の空気が一瞬にして張り詰めた。
アメリアの唇がわずかに震える。
「そ、そんな……お会いしたばかりなのに……」
「一目で決めた。理由などいらない。私は、君を選ぶ」
それはあまりにも真っすぐで、逃げ場のない言葉だった。
冷徹で誰も寄せつけなかった皇太子が、初めて見せた熱。
その眼差しに射抜かれ、アメリアは何も言えずにただ頷いた。
――こうして、帝国中を驚かせる婚約が成立した。
その日から、リュシアンの態度は一変する。
誰に対しても冷たかった彼が、アメリアの前では穏やかに微笑み、
家臣にまで柔らかな言葉をかけるようになったのだ。
「殿下……最近お優しいですね」
「アメリアがいるからだ」
彼は当たり前のようにそう言い、アメリアの頬に触れる。
その仕草ひとつで、侍女たちの頬は赤く染まり、
誰もが確信した――
皇太子には、アメリアしか合わない。




