34 おだやかな冬の日々。青天の霹靂
初めての同性の友人となったミズホとは、定期的にごく小さな茶会をひらくようになった。場所はエヴァンス伯爵家であったり、ジェイド公爵家であったり。
話す内容は一般的な令嬢が好みそうな流行やゴシップではなく、それぞれの専門分野を。
すなわち、イゾルデからは騎士団の内情について。ミズホからは、とくに北方貴族の力関係や、王都の若き国王オーディンについて。
互いに互いの知見が非常に有益とあって、ふたりの仲は日増しに深まっていった。
そのことに、客分としてジェイド家に滞在するロドウェルは微妙な顔をする。
「――いえ、たまには俺も茶会に呼んでいただけますし、麗しいご令嬢がたをいちどきに視界に収められるのは眼福ですが。まるで勉強会のようですよね」
今日もミズホを迎え、午後のティータイムを和気藹々と過ごしたところだ。
伯爵家の馬車に乗り込む彼女を見送ってからの一言。
ロドウェルの言葉に込められた真意にイゾルデは目を細め、ほんの少し口角を上げる。
「勉強会ですよ。かたちはたまたま茶会ですが、私は彼女を特別な友とも師とも思っています」
「親友ってわけですね」
「ええ。卿――ロドウェル殿とオーウェン先生のように」
「おや。そう見えましたか?」
片眉を上げた橙髪の青年は楽しげに表情を寛げた。その顔は何より雄弁で、イゾルデは深々と頷く。
「見えますね。だって、オーウェン先生が気兼ねなくぞんざいに扱う同輩格など、貴方くらいです」
「……褒めてくださってるんでしょうか?」
「前向きなのも卿の魅力ですよ」
「! ナチュラルに呼び方を降格させないでください……!」
「可笑しいですね。尊称ですのに」
「イゾルデ嬢〜〜」
哀れっぽく肩を落とす青年に、イゾルデはクスクスと笑った。
放っておけば、えんえん『良いですか、ふつう、蝶よ花よと愛でられる令嬢の話す内容はですね……』などとズレた熱弁を奮いかねない。(※だいぶん、彼の為人が掴めてきた)
それにしても――と、ロドウェルが雪のちらつく灰空を眺める。視線を南の方角へ。
「ハワード閣下はお戻りが遅いですね。将軍としてではなく、陛下の結婚にまつわる三公招集ですから。急な話でしたし、予定が押しているのかな」
「だと、いいのですが……」
イゾルデもまた、南の空を仰いだ。
* * *
ゼローナには三つの公爵家がある。起源が古い順に北方のジェイド家。南方のカリスト家。東方のエスト家。
通常であればいずれかの姫が王家に嫁ぐのだが、今上陛下のオーディンは先王が夭折し、十代半ばでの即位を強いられた。現在は十八歳。イゾルデよりもひとつ年上である。
もし、イゾルデに兄弟姉妹がいれば王妃となるよう打診が来てもおかしくなかった。
が、それはそれ。
陛下は今年の周辺国外遊の折、とうとう理想の姫を見初めたらしく――
「カリスト公爵領に近い小国の王女だそうですね」
「っ、ええ」
カンッ、カアン!!! と、木剣が乾いた音を立てる。ほぼ日課となった午後の剣術稽古だ。互いにふさわしい服に着替え、状況としては騎士団舎とあまり変わらない。
れっきとした公邸の中庭。いまは催事もなく、枯芝が地面を覆うのみの修練場と化している。
少しずつ、イゾルデはロドウェルの剣をいなせるようになったが、純粋な技量も膂力もまだまだだ。余裕綽々で片手での対応に徹する長身の副参謀殿に、とにかく無心に打ちかかっていた。
できれば無言でいたいところだが、話しかけられれば答えてしまう己の律儀さがうらめしい。
呼吸を整え、再度踏み込む。
横薙ぎの剣を弾かれると予想したうえで体をひねり、反動を利用して逆方向から斬りつけた。これも余裕で受け止められる。
「ぐっ……」
「いいですね、今の太刀筋。うまいフェイントでした」
「そういうのは! 斬られてから言ってください!」
「物騒だなぁ、我が姫は」
「物騒で結構!」
「おっと」
膠着状態の剣をぐるりと回転させ、相手の手を狙うもあっさり軌道修正された。今度は下段での鍔迫り合い。
こっちは両手なのに……と、イゾルデは歯噛みする。
「力で負ける相手に、力で競り合うのは、良策とはいえません、ね!」
「あっ!!」
カンッ……!
手が痺れ始めていたのもあるだろう。
イゾルデの剣はみごとに弾かれ、斜め後ろに投げ出されるように尻餅をついた。すかさず喉元に切っ先を突きつけられる。
「はい死んだ」
「物騒なのはどっちです……」
「はは、まぁまぁ」
剣をどけ、息も乱さず、爽やかな笑顔で手を差し出すロドウェルをひと睨み。
イゾルデは素直に手を預け、引き上げてもらった。
何となく、彼はふだんの言動に反して不意打ちで距離を詰めることがない。いわゆる『実力行使』をしない慎重派と肌で感じていた。だからこその信頼。だからこその気安さがある。
――我が姫、と。
時おり冗談めかして使われる呼び名に、彼なりの自己主張を感じるだけ。それもロドウェルの優しさなのだろう。
(このひとも。立場的に『婚約者候補』を貫きながら、肝心の選択権は委ねてくれる……)
剣の腕だけでなく、処世の立ち回りも見習うところが多い。正直、結婚相手云々ではなく人間として一目も二目も置ける御仁だった。(※ただし癖は強い)
礼を告げ、ぱんぱんと衣服に付いた草きれや汚れを叩く。飛ばされた剣を拾いに行くと、後ろから声をかけられた。
「どうします? もう一戦しますか?」
「いえ、雪がまた降ってきましたし。この辺で」
振り向き、乱れた前髪をかきあげると、妙に邸が騒がしいなと気づいた。案の定、執事のひとりが慌てたように駆けてくる。
「たっ、大変ですお嬢様! グランツ子爵」
「どうしたの」
彼もまた、軽く息を切らせていた。
ぴん、とイゾルデの嗅覚が働く。
――突発的な出来事。急ぎの知らせ。
――……早馬ではない。蹄の音は聞こえなかった。では。
小型竜を受け入れるための塔はここからかなり離れている。まず、間違いないなと腹を括った。
「大叔父様に何か?」
年齢はロドウェルよりやや上だろうか。執事が「はい」と答える。
「エヴァンス公爵領より王都側で、魔獣の“土蛇”が大量に現れたと。討伐の影響で道が広範囲で割れ、復旧に時間がかかるとの仰せです」
「何だと。では応援を?」
「いいえ、グランツ子爵。旦那様からは、『人手は必要ないが、新年の宴には間に合わない』と」
「えっ」
――――察した。
唐突に察してしまったイゾルデは、ぽかん、と口を開けた。
「準備は我々、使用人でも進めて参りましたが、急きょお嬢様に宴での公爵代理を務めてほしい、とのことです」




