28 プロポーズの行方
砦で過ごしたあの夕べ。
あのとき、ユーハルトはたしかにイゾルデだけを見つめて、黒目がちな瞳に熱を宿していた。
それからすぐに唇を引き結び、痛みを堪えるような表情をした。中途半端に伸びた髪に触れて「ごめん」と。
一瞬、何を謝られたのかわからなかった。
(……髪を切ったこと? そんな、些細なことなのに)
イゾルデは、とっさに返す言葉を失った。ユーハルトは泣きそうに見えたのだ。
抱擁も可能な距離で、それ以上は詰められず。
やがて、ユーハルトの手は離れていった。水気を含む髪の雫が彼の指を濡らしていた。
それを、きゅっと握りしめて。
* * *
「嫌われていたわけではない……とは思うのですが。私は、結婚の対象にはなれなかったようです」
「嫌う? まさか。馬鹿げている。あの坊主…………っと、失礼。魔法士ユーハルトは、うちの実家でも貴女だけは守りたいという意志に満ちていた。あれが恋愛感情でなくて何なのです」
「何、と言われましても」
イゾルデは、いよいよもって困り果てた。
意思表示は既に終えた。好意はあったとしても婚約はできない。
それが彼の偽らざる本心ならば、これ以上想いを募らせるわけにいかないではないか。
思い切るには、まだまだ時間が必要だが……。
切り替えるように頭を振る。
「ユーハルトは幼馴染です。情かな……と」
「う〜ん」
「グランツ卿?」
「ねえ、イゾルデ嬢。おれは他の候補者ほど若くも清廉潔白でも、紳士でもありませんが」
「自分で仰るんですね」
「ええ」
自信たっぷりに片頬を緩ませるロドウェルは、言葉通りどこか策士で腹黒くも映る。――が、振っ切れて清々しい。その正直さにイゾルデは吹いた。
「ふっ……! おかしな方ですね。卿は、野心がおありだから私との婚約を望まれたのでしょう? 言い出しは大叔父様でも」
「ひどいな。こう見えて本命には滅法一途なのに」
「それ、精霊の乙女にも言えます?」
「いや、それは……勘弁してください」
「ははっ」
思いがけず笑えたことに、イゾルデ自身がびっくりする。
笑った直後、はたと気がついて視線を伏せる少女に、ロドウェルは思案顔になった。おもむろにその手をとる。
イゾルデは狼狽した。
「え」
「じゃあ、こうしましょう。幸い冬は長い。おれも急ぎません。ランドールもオーウェンも辞退したことですし」
「え、ええ……?」
ロドウェルは、イゾルデの手を自身の胸に当てさせた。それから真顔になる。
「――野心があるのは否定しない。でも、貴女と婚姻したい気持ちは本物だ。一生大切にします。妻になってもらえれば」
「ぐ、グランツ卿」
「いつかは素直に名前で呼んでいただきたいものですね。さて、行きますか」
「は!? ど、どこに」
「可愛いなあ。食堂ですよ」
「〜〜ッ……!? もう!! 何なんですか貴方は」
「貴女の右腕にも夫にもなりたい男です。エスコートしましょうか?」
「結・構・です!」
「あっはははは」
手を振り払い、さっさと扉に向かうイゾルデに、ロドウェルは視線を和らげる。付かず離れずの距離であとに続いた。
――――――――
翌日。
非番のはずのロドウェルは、外出の旨をしたためた手紙を起床時のイゾルデに届けさせた。年始の宴の前にやっておくことがあるのだという。
さもあらん、と、イゾルデは侍女に頷いた。手水や洗顔を済ませ、普段着に着替えると化粧台に連れて行かれる。
「お嬢様。御髪を少し揃えましょうか? そのほうが綺麗に伸びますよ」
「ん」
言われて、ようやく肩に付き始めた紺色の毛先をつまむ。鏡のなかのアンバランスな自分を、じっと見つめた。
――――無理に想いを断ち切ることはできない。
でも、形から前を向くことなら。
「わかった。任せるわ」
* * *
「清廉潔白じゃないんだがな……」
ぶつぶつとぼやきながら馬を駆る。伴も付けず、ロドウェル・グランツはコナー伯爵邸へとやって来た。
用向きを騎士団の業務について、と適当に述べればユーハルトが会わないわけがない。職権濫用ともいう。
取り次ぎを申し出た家令は、何とも複雑そうな顔をした。
「いやはや。騎士の方々はお休みの日も大変な忙しさですね。お疲れ様でございます」
「はあ」
「どうぞこちらへ」
案内を受けたのは一階応接間。なんと、そこには。
「…………もてもてだな、ユーハルト・コナー」
「グランツ副参謀? あんたもか」
「ようこそロドウェル。気が合いますね」
「ロドウェル殿まで……!!」
三者三様、言いようも顔色もさまざまな青年たちがいた。
何らかの茶番めいた経緯は察していたらしい家令は、去り際にぼそりとこぼす。「ランドール様もオーウェン様も、昨日からお泊まりです」
「なるほど」
深く頷いたロドウェルは、したり顔でつかつかと入室した。もはや挨拶も口上もない。空いていたユーハルトの隣の席に腰をかけ、強引に肩に手を回す。体を捻り、ぐいっと引き寄せた。
「うわ!」
「――やれやれ、おれも聞かせてもらおうか。一体、どういう了見で彼女を傷付けた?」




