48.スポットライトと小さな影
場の空気が一変した。
ホテルのフロントに足を踏み入れたとたん、周りからざわめきが起こり、驚きと好奇の視線がユエル様達に集中した。ホテルの従業員さん達をはじめ、その場に居合わせた来客達のほぼ全員が、ユエル様達の存在に気づくや、一斉にこちらに顔を向け、ひそひそと囁き合う。
それもそのはず。
ユエル様、アリアさん、イスラさんのお三方は、ただ立っているだけでも目立ち、人の注意を引きつけるのだ。外国人だから、というだけじゃない。三人のいる場にスポットライトが当たっているかのような目立ちぶりだ。
そもそもお一人ずつでいらしても注目を浴びるのに、類い稀なる美形が三人も揃って、注目されないわけがないのだ。とくに今夜はドレスアップしているから、なおのこと。それに、アリアさんのゴージャスとしか言いようのない金髪や、ユエル様の白銀の長髪はそれだけでも物珍しく、人目を引く。
そのうえ、一種独特の、現実離れした雰囲気が三人にはある。
なんとも表現しがたい「オーラ」とでも言うんだろうか。それは「吸血鬼」という、異質な存在ゆえの「オーラ」かもしれない。恐ろしくも惹かれ、魅せられてしまう。そんな強力な吸引力がユエル様達にはある。
あちらこちらから注がれる視線の流れ矢に当てられてるわたしは、どうにもこうにも居たたまれない。お三方に比べたら、わたしなんて平凡そのものの容姿で、傍にいる価値すらない気がしてしまうのだ。わたしのことなど誰も気に留めてなどいないと思うのだけど、視界に入っているだけでも、なんだか申し訳ない気分になってしまう。じろじろ見られるのに慣れていないせいもあって、居心地は決して良くない。
アリアさんはといえば、不躾ともいっていい視線など、まったく意に介してないようだった。人目を浴びるのに慣れっこになってるのかもしれない。
「昨日はメインゲートから入ってこれなくてゆっくり見られなかったけれど、クラシックで素敵なホテルだわ。フロアの調度品もステンドグラスも、レトロなインテリアがいいわね。創業は明治初期だったかしら?」
アリアさんは辺りを見回し、ほくほくと微笑んだ。アリアさんはやはり華やかなところが好きみたいで、終始にこやかにしている。それはイスラさんも同様で、注目の的になってるのも、当然のごとくと、軽く受け流してた。
一方ユエル様は、ホテルに着いた頃から……ううん、ここに来る前からずっとそうだったけれど、やや気を張り詰めたような面持ちで口を閉ざしている。招待状をホールスタッフの男性に渡す時もひどくつっけんどんで、見ているこちらがはらはらしてしまったくらい。もともと誰にでも愛想がいいという方ではないから、いつも通りのユエル様といえば、そうとも言える。それでもやっぱり普段以上に人目を鬱陶しがってる様子ではあった。
不機嫌そうにしていてもユエル様の美貌が崩れるなんてことはまったくなく、愁いを含んだ険しい表情がかえって人目……とくに女性達の視線を集めてるようだった。さすがに安易に近づいてくる女性達はおらず、遠巻きに眺めてひそひそ話をするくらい。これもある種の「美青年効果」なんだろうなって、わたしは頭のすみっこでぼんやり思ったりした。
アリアさんとイスラさんに再び視線を戻した。
アリアさんの本日のお召し物は、真っ青なサテン地のドレス。インディゴブルーというのかもしれない。虹の光彩を含ませたような煌びやかな質感のドレスは、アリアさんの緩やかに波打つ金髪と明るい青の瞳によく似合って、とても綺麗だ。ミディアム丈のドレスは体のラインを美事になぞり、女のわたしですら目のやり場に困ってしまうくらい。
とくに人目を引く胸元……深いV字のホルターネックと、大腿がちらりと覗く裾には、チュールレースが施してある。繊細なレースと薔薇模様の刺繍がアクセサリー代わりになのか、ネックレスやチョーカーは着けていない。それがかえって胸元の白さを際立たせている。真珠のようなアリアさんの素肌は宝石よりも眩しく、目を奪う。豊満な胸元やくびれた腰、すらりと長い脚をスリットの部分から惜しげもなく晒し、アリアさんはまるで海の女神のような絢爛たる佇まいだ。
イスラさんも、当然のことながら正装していた。スーツではあるのだけど、ユエル様同様に少しラフな感じだった。やや光沢のある黒いスーツで、かっちりとしたフォーマルスーツじゃなく、ネクタイもスカーフも巻いてない。シャツも靴も、全部を黒で揃えてた。いかにも伊達っぽくてかっこいい。
普段はカジュアルな格好を好んでいるらしいイスラさんらしく、スーツ姿も着こなしが軽く、けれどフォーマルな席で浮いてしまうほどの軽さはない。
イスラさんの腕に、アリアさんはさりげなく手をかけ、連れ立って歩いている。一見、恋人同士風であるけれど、不思議とそうは見えない。
「そうそう、イスラ、首尾はどう?」
「ああ。うん、ま、大丈夫だろ。やれるだけはやったさ」
わたしとユエル様の前を歩くアリアさんとイスラさんは、何か秘密めいた話をしていた。声はあまりひそめておらず、自然と耳に入ってきた。
パーティー会場であるバンケットホールへ案内されている、その道すがらのこと。ホテルのフロントから離れた所にあるようで、ホテルの従業員さんが道案内をしてくれ、その後についていった。ユエル様はわたしの一歩後ろにいる。
「イレクにやらせれば手っ取り早かったんだが。幻術の力は、イレクの方が格段に強いからな。アレの事も細かく指示できただろうし……」
「仕方ないわ。イレクにはまだやることがあるんだもの。あら、考えてみたら、イレクが一番活躍してるわね? 細やかに気をつかって、本人は平気そうだけど、どうなのかしら?」
「忙しく立ち回ってる方が気も楽だろうさ。今回のことは、あいつにとっても色々と予想外だったはずだ。俺も驚いたが」
「さすがに気づいてたのね、イスラ?」
「まーね、これでも父親だし。ちょっとばかり複雑だけどな」
「そうねぇ。まだ深みにはまる手前、引き返せる段階でよかったわよね」
「自分でさっさとブレーキかけてたからな」
「それでも戸惑ったでしょうね」
「だからこそ、さっさとケリをつけてやりたいわけさ。このままじゃ辛いばっかりだろ。イレクだってそう考えてるからこそ協力的なんだ。あいつの気持ちも汲んでやらなくちゃな」
「まぁ、優しいのね、パパ」
「ちぇっ」
アリアさんはくすくすと愉しげに笑い、イスラさんは照れくさそうに舌打ちをする。
二人が何を話しているのか、よくは分からない。
イレクくんのこと? だけどなんだろう、気にかかる。イレクくんのこともだけど、イレクくんだけのことではない気がして。
何か企み事でもあるんだろうか。
イスラさんはここへ来る前に「準備万端にして」と言っていた。そのイスラさんにアリアさんが「首尾」を確かめた。何事かを確認し合ったらしいことは分かる。その「何事か」にイレクくんも関わっているんだろうか。名前を出したということは?
今夜のパーティーに関する「何事か」のような気がする。だけどそれがなんなのかはさっぱり予想がつかない。パーティーで余興でも行うのかと一瞬考えたけれど、あり得ないと即座にその考えを否定した。だってイスラさんは、「無料で酒が飲めるだけ」のパーティーだと言ってた。
「何か」、というこの曖昧な言葉ばかりがわたしの頭の中でぐるぐる回っている。
アリアさんとイスラさんだけじゃない。ユエル様も「何か」をわたしに隠している。隠し事されているってことだけは、分かる。わたしだってそこまでは鈍くない……つもりだ。
わたしだけが何も知らされずにいる。
淋しいような悲しいような、もやもやして、心にかかる靄がどうしても晴らせない。いじけた気分に陥ってしまう。
どうしてわたしには何も話してくれないんだろう。
――少し、不満だった。
けれど、そんなさもしい考えをもっちゃいけないって、自分を諌めた。
きっと「何か」理由があるんだ。わたしには話す必要がないことだから、話さないだけ。隠しているとか、そんなのではなくて……。きっと、そう。
胸が、チクリと痛んだ。下唇を噛み、俯く。痛みを別のところにすり替えても、胸の疼きは治まらなかった。
一度ぎゅっと目を閉じ、それから顔をあげた。そして振り返り、ユエル様を見やった。
ユエル様は少し距離をおいて、わたし達の後をついてきていた。何かに気を取られている風に視線を定めずにいる。パーティー会場の入り口に着いても、まるで関心を払わない。いかにも億劫そうで、けれどユエル様のその表情に、ちょっとだけホッとした。いつもの、面倒くさげなユエル様の表情だったから。
「ユエル様」
声をかけると、ユエル様はこちらに顔を向けてくれた。ユエル様は額にかかる銀の髪を物憂げにかきあげ、緑の瞳にわたしを映す。
「うん? なに、ミズカ?」
「あの、……――」
ユエル様はわたしの目を見、穏やかに微笑んでくれた。わたしを不安がらせまいとしてくれてるのだろう。ユエル様のその優しさが嬉しくもあり、……どうしてだろう、苦しくもあった。戸惑い、言葉が続かない。
このところ、ずっとこうだ。ユエル様に見つめられると、鼓動が速くなって、顔も熱り、気もそぞろになってしまう。心が怖じけてしまう。ユエル様に目を据えられない。
ユエル様から目を逸らしちゃ、だめ。また心配をかけてしまう。
自分にそう言い聞かせて、なるべく明るい声を作って語を継いだ。
「パーティー、盛況ですね。すごく賑わってて……やっぱり、ちょっと緊張してきました」
「緊張するほどでもないだろうに。まぁ、たしかに人は多いようだが」
ユエル様は小さく笑って、改めてパーティー会場を一瞥した。
パーティー会場は、ユエル様達が予測していた通り、立食ビュッフェだった。円卓もいくつか設置されてて、すでに多くの人達がその円卓を囲んで軽食をとりながら歓談していた。壁際のソファーに腰かけて談笑してる人達もいるし、グラスを片手に会場内を練り歩いている人達もいて、雑然と賑わっている。場内に流れるバックグラウンドミュージックは、管弦楽団の生演奏だ。室内楽曲、というんだろうか。一曲終わると、パラパラと拍手が起こる。良くも悪くも、仰々しくなく、まとまりもない、和んだ雰囲気のパーティーだ。
「うーん、けっこうな人数がいるわねぇ。三百人くらいは収容できるホールだから、そうねぇ、ざっと見て、二百人はいるかしら?」
会場を眺めやって、アリアさんがそう言った。たしかに、そのくらいの人数はいそう。老若男女、様々な人がいる。その中には、外国人と思しき人たちもいた。
会場内に、パーティーの主催者もいるはず。だけど誰がそうなのか、分からない。主催者は、桜町亜矢子さんの父親ということだけど……。
そういえば、当の亜矢子さんはどこにいるんだろう。招待状の送り主でいらっしゃるのだから、亜矢子さんに挨拶した方がいいのじゃないかしら?
「ユエル様、あの……、亜矢子さんをお探ししなくていいんですか?」
遠慮がちにユエル様に尋ねた。
「……ああ、それなら」
ユエル様は軽く顎をしゃくった。わたしは小首を傾げてから、振り返って後方に目をやった。「あ」、と思わず声が漏れた。
亜矢子さんだ。綽然とした足取りでこちらに近づいてくる姿が見えた。
「お、あれが噂の桜町亜矢子嬢か」
イスラさんは額に手を当て、それほど遠くないところにいる亜矢子さんを眺めやった。
亜矢子さんは赤いチュールレースのドレスをまとい、しゃなりしゃなりと歩いてくる。
「勿体つけた登場の仕方をするね。どっかからか俺達の様子を眺めてたんだろうよ。……いかにもって感じだな」
何がどんな風に「いかにも」なんだろう。イスラさんの口調は珍しく皮肉げで、不愉快そうにも聞こえた。いかにも居丈高なお嬢様っぽい、という感想を持ったのかもしれない。
やがて、亜矢子さんはわたし達の元に辿り着いた。
背を向けたままじゃ失礼だろうと、わたしは急いで体を反転させ、亜矢子さんの方に向き直った。それから、ユエル様の前から退こうとしたのだけど、ユエル様に肩を掴まれ、止められてしまった。ユエル様の手を払いのけるわけにはいかず、結局ユエル様と亜矢子さんの間に立つ羽目になった。
ユエル様の片手は、わたしの肩に置かれたままだ。
「ユエル様、ようこそおいでくださいました」
にっこりと、亜矢子さんは鷹揚に微笑んだ。ユエル様は一言も返さない。それでも亜矢子さんは気分を害する様子もなく、今度はアリアさんとイスラさんに目を向けた。
「そちらのお二方、アリアさんとイスラさんでしたわね? お二方とも、ようこそ当ホテルへ」
アリアさんは「お招きありがとう」と優婉な微笑みを返し、イスラさんは愛想もそっけもなく「どうも」と短く応じた。
――どうして。
疑問が浮かんだ。
アリアさんのこともそうだけど、どうして亜矢子さんはイスラさんのことを知ってるの? 一面識もないはずなのに。イスラさんも剣呑な顔をしてる。
ユエル様が事前に紹介していたとは考え難い。そんな時間的余裕はなかったはずだもの。
ちらりと、肩越しにユエル様を振り返り見る。ユエル様は柳眉をしかめている。
肩をすぼめたまま、わたしは視線を前に……亜矢子さんの方に戻した。
こういうの、「前門の虎、後門の狼」って言うんだろうかって、見当違いなことを頭の隅でちらりと考えてしまった。




