アルク・ティムシーというドエム29
「…嫌だ」
震える声と共に、デイビットの目からぽろりと涙が零れた。
「嫌だ…お前と離れるなんて、嫌だ…行くな…行くな、クレア…嫌だ…」
そのまま堰を切ったかのように、ぼろぼろ涙を零して泣きだすデイビットに内心戸惑う。
いつも強気だったデイビットが、まさかこんな風に泣くとは思わなかった。
正直想定外だ。…それだけ惚れさせてしまったということか。すまんね。罪な魔性の女で。
「――泣かないで、デイビット」
私はそんなデイビットを慰めるようにそっと抱きしめた。
「私だってデイビットと離れるのは辛いわ…だけど、私はまだ子どもだから、お父様に従わなきゃいけないの」
ぎゅっとしがみついてくるデイビットの耳元で、聞き分けが悪い子供に言い聞かせるがごとく優しく囁く。
「デイビット…さよならだけど、これっきりじゃないわ。きっと、また会える。お父様の言葉に従わなくてもいいくらい、大きくなった頃に、きっとまた会えると信じているわ。その時は、誰に気兼ねをすることもなく、二人で一緒に遊びましょう?」
……まぁ、無理だろうけど。
言葉とは裏腹に、内心小さく舌を出す。
貴族と平民の身分差は大きい。年齢を重ねれば重ねる程、そう簡単に接触できるような存在じゃなくなっていく。数年後に再会出来たとしても、今の様な親しい関係を構築するのはまず無理だろう。というか、する気もない。
そもそも、私が偽名を名乗っている時点で、デイビットが私を後々見つけ出す可能性は低い。お父様も滞在中の服装が、お忍び用の普段よりは若干グレードが落ちる物ばかりのものばかりなことを考えると、個人を特定出来るような証拠を残しているとは考えにくい。設定としては地方有力貴族ってとこか。
お父様が常に身につけているボレア家当主紋、カン・タ・リルラが彫られた指輪だけが気がかりだけど、まあカン・タ・リルラの紋の詳しい形態って、王族や一部の有力貴族しか知らないしね。この村で、あの紋からお父様の正体に気付けるような人はまずいないはず。何も心配することはない。
「大人になったら、また、会える…?」
そんな私の本心など当然知らないデイビットは、涙で濡れた顔に僅かな希望を滲ませて、私を見た。
「ええ、また、会えるわ。信じてさえいれば」
「じゃ、じゃあ、約束してくれ…!!」
デイビットは弾かれたように私の胸の中から離れると、服の袖で流れる涙をぐいと拭いとった。
そして酷く真剣な表情で私を見据えると、両手で私の手を握り締めた。
「約束してくれ…今度、今度会った時は、きっと――…」
頬を赤く染めて、躊躇うように言葉を呑みこんだあと、思い切ったように衝撃の言葉を発した。
「きっと――きっと、俺のお嫁さんになってくれると、そう約束してくれ…っ!!」
………わっつ?
張り付けていた悲しげな笑みが、無様に引きつった。
「お、お嫁さん!?」
「…ああ、そうだ…!!今度会ったら、俺と結婚してくれると、そう約束してくれ!!」
顔を真っ赤にしながら、さらに大声でプロポーズの言葉を叫ぶ、デイビットに思わず後ずさる。
さ、流石子供の恋。恋人とかそういう段階すっ飛ばして、いきなりプロポーズとか展開が早過ぎるわ……。すごいな。このぶっ飛ばし感。
てか、簡単に嫁だとかなんとかいうけれどさ…。
「……無理よ」
「…っ何でだよっ…!?」
「だって、私は貴族で、デイビットは平民だもの」
私はあくまで悲しげな表情を取り繕ったまま、そっと視線を伏せてみせた。
「貴族と平民の結婚は、とても難しいわ…でも、私はお父様も、お母様もとても大切だから、家を捨てることは出来ないの。私は、貴族をやめられない。…だから、デイビットのお嫁さんにはなれないわ」
だから、さっさと諦めて。うん。束の間の幸せな夢だったと思って、私のことは忘れなさい。デイビットよ。
だが、そんな私の言外の思いを裏切り、デイビットはそう簡単に引き下がらなかった。
「じゃ、じゃあ…っ!!」
「じゃあ?」
「俺が、貴族になりゃあいいだろ…!!」




