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第九十五話 先輩と後輩

『ちょっと遅くなりそうだから、もう少し待っていてね』


 雪理からそんなメッセージが入る――女の子は身支度に時間がかかるのだろう、ということで俺は時間を潰すために訓練所の外に出た。


「あっ、いらっしゃいましたね。良かった、今日のうちにお会いしたかったんです」


 声をかけてきたのは古都先輩だった。すでに辺りは暗くなっていて、街灯の明かりを彼女の眼鏡が反射している。


「すみません、ここまで足を運んでいただいて」

「いえいえ、さっき黒栖さんたちともお会いしたんです。装備の完成品を取りにきていただきましたので」

「黒栖さんも気に入ってましたよ。良い装備をありがとうございます」

「素材を持ち込んでくれた神崎君のおかげです。ファクトリーでは、ランクの高い装備品を作ると技術開発が進みますし……それに『洞窟』で見つかった鉱脈の件も、工場長がすごく感謝していました。もちろん私たちもです」

「工場長……ファクトリーの長、っていうことですか?」

「はい、生産科の三年生から代々選ばれています。ファクトリーは独立採算な側面もありますから、他に大人の責任者もいますが」

「なるほど。古都先輩に改めて言うつもりだったんですが、俺は学園の設備に投資できるなら是非やりたいと思ってました。でも、素材の提供という形でも協力できるんですね」

「制度としてはそうなんですが……それでも、それを本当にしてしまう人がいるなんて、思ってもみませんでした。あの日、カツサンドと牛乳をお渡ししたのは運命だったんじゃないかと……なんて」


 古都先輩との出会いを思い出す。あのカツサンドは有り難かったし、今でも味が忘れられない。


「またファクトリーでできることがありましたら、いつでもお知らせください。アドレスを交換してもいいですか?」

「はい、よろしくお願いします」


 古都先輩のコネクターと俺のブレイサーを近づけるだけで、アドレス交換が完了する。コネクターに触れながら、古都先輩はふわりと笑った。


「本当は……もっと前に、交換しておければよかったんですが」

「もっと前に……あ、あれ……?」


 ――れいくん、私もうすぐ引っ越しちゃうんだ。


 ――またお手紙書くね。いつか、私が戻ってきたら……。


 初めから今まで、気がつかなかったのは、記憶の中の姿と今の彼女が重ならなかったから。


「ほなみ……姉ちゃん?」


 昔俺の家の近所に住んでいた、年上の女の子。たまに遊んでもらうくらいの関係だったが、俺は彼女を慕っていた。


 忘れてしまうほど幼い頃のことだった、と言えばそれまでだ。だが、俺が忘れていたのは――忘れなければと思ったのは、彼女からは手紙が届かなかったから。


 古都帆波。彼女の名字は、確か昔とは違う――引っ越していった理由も、それに関係があるのだろうか。


「……ご、ごめん、俺、すぐに思い出せなくて……」

「……はぁ~。もうちょっと我慢したかったのに、どうしても言いたくなって……ごめんね、玲くん」

「やっぱり……そうだよな。先輩は、俺に会ったときに気づいて、言おうとしてたんだ」

「玲くんが忘れてるなら、それも仕方ないと思ったから。でも、こんなに活躍してるのを目の前で見たら、やっぱり言わなきゃって……そんなふうに思う資格、私にはないのにね」

「……手紙は、俺も出さなかったから。先輩が転校した先の住所、教えてもらえなくて」


 先輩と連絡を取ってはいけない理由が、何かあるのだろう。その何かを、俺は自分の親から聞き出せなかった。


「お母さんは今も別の街に住んでて、私だけここに転校してきたの」

「そうだったのか……先輩は、どうして生産科に?」

「牧場で働いたりするのが夢だったから。今は、それ以外のことも勉強してるけどね」

「……それでまた会えたのなら、良かった。俺はなんていうか、何となくで冒険科にいるようなものだけど」

「玲くんにも色々あったんだね、って思ってた。物凄く強くなっちゃって……三日会わざれば、ってことなのかな」


 体感では三年間だが、この現実では実際に三日間だった――なんて言っても、冗談のようにしか聞こえないだろう。


「えっと……私も玲くんじゃなくて、神崎くんって呼ぶから。帆波姉ちゃん、は封印にしておこっか」

「封印……そ、そんなに嫌かな。というか、子供の頃じゃないんだからってことか」

「生産科の人として玲くん……神崎くんに接する方が、気が引き締まると思うんだけど……神崎くんはどう、ですか?」


 昔のように戻れたら、と思う気持ちは無くもないが、幼馴染みと高校で再会したら、それなりに他人行儀になるのが普通か――それは人によるか。


「そうだな……じゃなくて、そうですね。古都、先輩」

「……ふふっ。素直な後輩で、先輩は嬉しいです」

「はは……俺は素直とかとは縁遠いと思うんだけど。いや、思うんですが」

「ありがとう、神崎くん。本当は、先輩風を吹かせるようなこと全然できないんだけど……神崎くんは、もう学園の有名人で、エースみたいな人だから」

「交流戦でエースとして活躍するのは、雪理……折倉さんだと思います」

「風峰学園のプリンセスをそうやって名前で呼べる男子は、神崎くんだけですよ。二、三年生でも『様』をつけている人が多いくらいなんですから」

「それは……確かに、俺も出会い方が違ってたらそう言ってたかも……」

「どんな出会い方だったんですか? 気になります……もしかして、王子様みたいに折倉さんを助けちゃったとか」


 王子様というところを除外したら、だいたい合っていると言えなくはない――のだろうか。雪理が見せた勇気に感化されて、オークロードと戦ったというだけだが。


「……本当にそうみたいですね。さすがです、神崎くん」

「い、いやその……まあそれはいいとして。こんなご時世ですから、古都先輩も何かあったらすぐ俺を呼んでください。魔物と戦ったりするのは俺の仕事なので」

「生産科でも身を守るための授業はあるんですよ? 冒険科と同じくらいには」

「先輩も特異領域(ゾーン)に入ったりするってことですか」

「はい。私の職業はお薬に関係するものなので、ポーションなどでパーティをサポートしています」


 それは先輩のイメージ通りというか、なんとなく薬剤師とか、医療系の職業が似合っていそうではある。


「惚れ薬などについても、素材をいただければ合成を承りますよ」

「い、いや、そんなことは考えてませんが……」

「冗談です。神崎くんはそんなものが無くても慕われていますからね」

「それもあまり自信を持ってはないんですが……いや、持ってはいけないというか」

「……そういうところも良いのかもしれないですね、逃げられると追いかけたくなるって言いますし」

「せ、先輩……さすがにそれはからかってると分かります」


 古都先輩はくすくすと笑う――こんな悪戯っぽい顔もする人だとは。女性はみな小悪魔である、という説を唱えたくなる。


「では、またご用向きがありましたら。私は寮に戻りますね」

「はい、ありがとうございました」


 古都先輩が帰っていく――一人でこの街に帰ってきたということなので、寮生活をしているということか。


 その後訓練所から皆が出てきて、校門で解散することになった。伊那さん、社さんが先に帰っていく――やたらと楽しそうだが、更衣室で何かあったのだろうか。


「玲人、待たせてしまってごめんなさい」

「ああいや、さっき古都先輩が来てくれて挨拶してたんだ」

「それは良かったです、玲人さんとお話したいと言っていらっしゃったので……」


 雪理と黒栖さんも、こちらに伝わってくるほど機嫌がいい。


 訓練は部活ではないが、充実した部活の時間を終えたあとはこんな感じなのだろうか――と思う。疲れは魔法で取ってしまったが、気持ちが清々しい。


「神崎様、先ほどのことなのですが……お嬢様と黒栖様が有効を取った件について、『お願い』はどうされますか?」

「っ……揺子、急に何を……」

「あ、ああ、そんな話もしてたな。二人は何かしたいこととか……」

「あるわ」

「あ、あります……っ」


 動揺している様子だったわりに雪理は即答で、黒栖さんも同じ返事をする。軽く話を振ったつもりだったが、どうやらこれは真剣(ガチ)のようだ。


「……でも、いいの? 揺子を仲間はずれにしているみたいなのだけど」

「私のことはお構いなく。いずれ有効を取ることができたときには……いえ、そのようなことは腕を磨いてから考えるべきですね」

「わ、私は……えっと、その、あの、良かったら……」

「落ち着きなさい、黒栖さん。私もついているから」


 黒栖さんは深呼吸をする――見ているこっちにも緊張が伝わる。そして、ついに彼女は、前のめりぎみにこう言った。


「れ、玲人さんと、出掛けたいです……っ」

「ああ、勿論いいよ」

「本当ですか……!? 良かった……あの『有効』は運が良かっただけなので、それで玲人さんにお願いなんてしていいのかって……」

「そんなことないよ、いい動きをしてた。黒栖さん、すっかり度胸がついて頼りがいがあるよ。チャンスを逃さない雪理も」

「私のほうこそ実力で当てられたわけじゃないのだけど……ごめんなさい、社さんの話に便乗してしまって」


 俺も楽しみだと思っているのだから、社さんをどうこう言えなかったりする。


 そして妹に留守番をさせるのはどうなのかという件については、雪理から申し出てくれた提案で解決することになるのだった。

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