第百三十二話 忘れ得ぬ記憶
『こんな世界に放り出されて、寂しい思いをしたんでしょう? レイトさん、あなたも私と一緒になりましょう。そしていつまでも仲良く暮らすんです』
あそこにいるのはミアじゃない。ミアの力を取り込んだだけの、魔女神の使徒。
それでも頭に響いてくる声は、俺の知っているミアのもの。時々天然で、けれどいつも優しく、温かかった。
――死んじゃうかもしれないゲームなんて、作る人にも理由があったと思うんです。
よくそんなことが言える、と思った。心が荒んでいたときは『聖女』という職業にすら素直な見方ができなかった。
彼女の優しさがどこまでも揺らぐことのない信念だと分かったときに、その感情は敬意に変わった。
――レイトさんたちみたいに優しい人は、私のために怒ったりしちゃいけないんです。
ゲーム内で出会った他プレイヤーに裏切られて傷ついても、ミアはそう言った。
彼女には生きていて欲しかった。魔神アズラースとの戦いで役目を決める時も、ミアを死なせるつもりはなかった。
魔力が尽きるずっと前から、ミアは自分に防御魔法を使っていなかった。『聖女』の自己犠牲は魔法の威力を上げる――俺がそれを知ったのは、ミアが魔神の呪いで石になったそのときだった。
『私もイオリさんも、ソウマさんも、レイトさんのことが大好きだったんですよ?』
『……神崎君……辛くても、耳を貸してはいけない。彼女は、君の友人の姿を模しているだけだ』
「いえ……あそこにいるのは、俺の知っている、俺の一番大事な仲間です」
『だが、ここで彼女を止めなくては……っ』
『はい。だから、止めます』
ミアも、イオリも、ソウマも。必ず止めてみせる――取り戻してみせる。
『……神崎君、笑っているのか?』
「俺は一度死んでるんです、綾瀬さん。それでもこうして仲間と会えているのは、やっぱり嬉しいんですよ。どんな形であっても」
『一度、死んで……神崎君、君は……いや……』
何かを問いかけようとした綾瀬さんが、言葉を飲み込む。こんな時に笑う俺をおかしいと思っても無理はない――だが。
『一度は死んだ身、カッコええこと言うやん。私は嫌いやあらへんよ、神崎君。けどな、死んだら全部それでおしまいやから。簡単に死なせへんよ』
「夜雲さん……」
『私のことも名前で呼んでくれるんや。ナギともども、神崎君には責任取ってもらわんとね……と、冗談は置いといて。あの女の子を助けるには、まず龍の部分と女の子の同調を乱したらなあかん』
龍の背に融合させられているミア――『聖女』の防御結界の力は、常に龍とミアを含めた全体を守り続けている。
『悪魔にはほとんどの状態異常が効かへん。ただ、あの女の子は元は人間なんやから、魂を揺さぶることはできるかもしれん……文字通り、心を動かすことで』
「心を……動かす……」
「玲人さんっ、鱗獣は私たちに任せてください! 玲人さんはあの人のところに……っ」
「かわすだけだったらなんとか……っ、時間は稼げそうですっ……!」
「あと少しだけなら持たせられるわ……射撃隊、牽制をっ!」
「ここは通さないっ……!」
「トリガーハッピーって奴だな……うぉぉぉぉっ……!」
雪理たちの攻撃を魔力ブーストした『エレメントグラム』で増幅し、『Dレジストルーン』で魔法抵抗を下げて叩き込む――次々と押し寄せる『鱗獣』を押し留めることができている。
それでも一撃受ければ致命傷を負う相手であることに違いはない。一秒でも早く決着しなければ――「エレメントグラム」のオーラ消費もブーストの影響で大きくなっている。
(どうすればいい……何をすればミアに届く……っ)
必ず方法はある。その答えが見えかけている。
黒栖さんは『セレニティステップ』を使っている間、敵の標的にならなかった――敵が音で標的を判別しているなら、全ての攻撃を阻む防御結界でも音は通っている。
『さあ、私と一緒に行きましょう。こっちにはソウマさんと、イオリさんもいます。また、四人で一緒に……』
「俺は行けないよ、ミア」
遠く隔てられた距離。それでもミアは俺を見ていて、視線が交わされている。
俺はもう一度『ステアーズサークル』で高台に上がる。ミアに近づく機を狙うなら、この位置でなくてはならない。
「言っただろ……ログアウトして皆で会いたいって。このログアウトした現実が元と違っていても、守らなきゃならない人はここにいるんだ」
『……レイトさんはそんなふうに、こんな世界の人たちにも優しくして……そういうところが、私はずっと……』
《名称不明の魔人による攻撃 スキル名不明》
音が通るということは、ミアと龍からの音もこちらに聞こえるということ。
『ずっと、大嫌いでした。本当は誰よりも、他人のことだけを考えているところが』
言語化されていない、それでも何かを伝えてくる音――音波を防ぐ程度の防御では防げない。
(聖女の歌……全ての戦闘行為を停止させる、最上級の神聖魔法。だが今は違う……)
《神崎玲人のパーティ全体が封印状態》
《名称不明の魔人の支配下にある魔物の全能力が向上 血気状態》
ミアのスキルは効果を捻じ曲げられ、虐殺のための歌となる――だが。
「私のスキルは使えなくてもいい……神崎君、君に賭ける……!」
《綾瀬柚夏が特殊スキル『サクリファイス』を発動 神崎玲人の封印状態を解除》
綾瀬さんが後ろから両手で俺の耳を塞ぎ、スキルを使ってくれた――正確には、俺が受けるはずだった封印を肩代わりしてくれた。
《神崎玲人が強化スキル『マルチプルルーン』を発動 魔力消費8倍ブースト》
《神崎玲人が回復魔法スキル『クリアランス・スフィア』を発動》
「私もこれで行ける……もう一度封印されん限りはな……っ!」
俺の魔法が生きていれば、全員の状態異常を一気に解除できる――これで夜雲さんも切り札のスキルを使えるようになったようだ。
だが、ミアはすぐにもう一度『聖女の歌』を使う。そのために生じる、スキルのクールタイムが最後のチャンスだ。
『ハル、俺が思い浮かべたメロディを共有する! 思い切り歌ってくれ!』
『で、でも……私の歌には、そんな力は……』
『あいつが忘れてるのなら思い出させてやる……俺たちには必ずできる!』
《神崎玲人の強化魔法スキルレベルが12に上昇》
《神崎玲人の特殊魔法スキルレベルが10に上昇》
《神崎玲人が固有スキル『呪紋創生』を発動 要素魔法の選定開始》
《強化魔法スキル レベル12 『スペルレゾナンス』》
《回復魔法スキル レベル8 『ブレッシングワード』》
《特殊魔法スキル レベル10 『シンフォニックスフィア』》
『呪紋師』ではなく『創紋師』ゆえに使える、レベル限界を突破した魔法。『スペルレゾナンス』はスキルに『共鳴』効果を付与して、通常よりも効果を上昇させる。
『ブレッシングワード』は歌に神聖属性を付与するため。そして『シンフォニックスフィア』は、音を収束させて球体に変える力を持つ。大部隊の魔法を収束させて極大威力に変える、そんな力を持っている。
『レイトさんを支えられるのは私たちだけです。その人たちでは、私の前に立つこともできない……』
「うっ……ぁぁ……!!」
ただ、龍と対峙するだけ。それだけで、ハルは苦しそうに喉を押さえる。
《名称不明の人物がスキル発動に失敗》
『私の歌は誰にも止められない。レイトさんは寂しがることはありません……あなたの守るべきものは、この世界には……』
「ミア。俺はお前を取り戻す……お前が好きだった歌は、そんなものじゃない」
『……何、を……言って……』
《名称不明の魔人が魔力チャージ開始 周囲空間からの魔力枯渇》
鱗獣たちが消えていく――ただ龍の本体を守るためではなく、鱗獣のもう一つの役割は、周囲の魔力を吸収し、龍に収束させることだった。
龍が顎を開く――このままチャージが終われば、俺たちはその攻撃を防げない。俺の防御魔法だけでは、全員を守り切れない。
『――玲人、ハルッ、諦めないで!』
『私達がここにいます……っ、ハルさんは、一人じゃありません!』
「そうだ……っ、俺たちは一人じゃない! 顔を上げて前を見ろ、桜井ソアラッ!」
なぜ、その名前を呼んだのか――いつから、彼女だと分かっていたか。
そんなことはどうでもいい。
どんな形で出会っていたとしても、俺は一緒に戦った名前のことを忘れない。
「……あなたのことをもっと知りたいです、ミアさん……っ、レイトさんの仲間だった、あなたのことを……!」
《神崎玲人と名称不明の人物によって、未登録のスキルが発動しました》
未登録――違う、俺はこのスキルを知っている。
《神崎玲人のステータスが名称不明の人物にリンク》
(リンク……そうだ。リンクブースト……!)
ハル――名前を隠していた桜井ソアラ。彼女は性別まで偽り、鷹森さんが心配でこのゾーンに入ったということだ。
彼女と『アストラルボーダーβ』で会っていたこと、短いながら交流を持ったこと。それが今に繋がっているかは分からないが、ゲームの中にしかないと思っていた『リンクブースト』が発動している。
「歌える……こんなにレベルが違う相手でも。レイトさんと皆さんがいれば、怖くない」
俺のステータスが、今だけソアラと共有されている。レベル130ならばミアと対峙することができる――こんなことが可能になるなんて。
『ただ、立っていられるだけ……あなたの歌は、私の歌にかき消されて……』
「いいえ……っ、届かせてみせます! レイトさんが教えてくれた、あなたの好きな歌を!」
《名称不明の人物が支援スキル『シンパシーソング』を発動》
ソアラが歌い始める。その姿に、ゲームの中で見た彼女が重なって見える――しかし。
『っ……あ……あぁ……止めて……そんな、歌、私は……っ、知らな……』
「ソアラさん、もう少しだ! ミアには聞こえてる!」
『玲人、私たちにもできることは……っ』
「……っ、みんなで……一緒に歌ってください……ミアさんのことを想って……!」
《神崎玲人のパーティが『シンガー』に対する支援行動『合唱』を発動》
『ぁ……あぁぁぁっ……私は……レイトさん……っ、あぁぁぁぁっ……!!』
ただ祈ることしかできない。ソアラと共に、皆で共有した歌を歌う――たとえ下手でも喉を嗄らして、ひたすらに願いながら。
《名称不明の魔人に何らかの異常が発生》
《チャージされた魔力が暴走します――ただちに脱出してください》
「――ウチと衛理の符術で短距離転移はできる。みんなは逃がすけど、神崎君はっ……」
「――うぉぉぉぉっ……!」
「分かった、ちょっとだけ待ったる……っ」
「姉上っ……またそんな無茶を……!」
龍の全身が発光を始める。全方位に向けて放たれる膨大な魔力の閃光を避けながら、俺は魔力で足場を作り出す『ステアーズサークル』を駆使してミアのところを目指す。
《名称不明の魔人による攻撃》
「ぐっ……あぁ……ミア、こっちだ……手を伸ばせ……!」
無数の攻撃を防御結界で防ぎ続け、魔力の直撃を避け続ける――もう少しで届くのに、最後の距離が遠い。
『……レイト……さん……私は、もう……』
「俺がお前を連れ戻すと言った! だから絶対にそうするだけだ……っ!」
《神崎玲人が特殊魔法スキル『キネシスルーン』を発動 魔力消費XX倍ブースト》
崩れ去る龍の身体からミアの身体を分離させる。そのために使ったのは呪紋師の初歩――物を動かすために使うスキルだった。
ミアの身体を抱きとめたその瞬間、俺は叫ぶ――生き残りたい、その一心で。
「――夜雲さんっ!」
《斑鳩夜雲が陰陽術スキル『式符・表裏一対』を発動》
《名称不明の魔物が自己崩壊 魔力暴走が発生――》
夜雲さんのスキルで転移するその間にも、イズミの声が聞こえていた。
腕の中にいるミアを決して失わないように願いながら、意識はその場を離れた。




