第九十八話 小さな魔獣
日曜日――部活で出てきている生徒がいるからか、学園は意外と賑やかだった。
「私も再来年は、お兄ちゃんとこうやって毎日通うんだね」
「学園前の上り坂、きつかったろ」
「ううん、あれくらいなら全然。私こう見えても体力あるから、持久走とか得意だし」
「いろいろと優秀だよな……勉強方面はどうだ?」
「成績も良いほうだよ。あんまり言うと自慢してるみたいだから、控えめにしておくね」
この言い方だと学年上位も普通にありそうだ。彼女は何を持ち得ないのだ、とか中二病的なことを考えてしまう。
「……あれ? あの人、何してるのかな」
「ん……」
あれは――姉崎さん。ジャージ姿の彼女が、駐輪場近くの茂みに向かって座っている。
「ちっちっちっ。出ておいでー」
茂みの中に何かいるのだろうか。学園には結界が張られているが、無害な動物なら中に入ってくることもあるのか――それとも、元から学園内にいたのか。
姉崎さんはバッグから何か取り出している。食べ物で釣ろうとしているようなので、やはり生き物を見つけたようだ。
「ほーら、トレーニーの栄養補給にぴったりなプロテインバーだぞー。美味ちいでちゅよー……あー、何やってるんだろあーし」
「姉崎さん」
「はひゃぃっ……!?」
気を遣って音を立てないように近づき、声のボリュームを落として話しかけたが、姉崎さんを思った以上に驚かせてしまった。
「あ、ああ、レイ君……おはよ、今日はいいトレーニング日和だよね、あはは」
「お姉さん、どうしたんですか? 何か見つけたみたいでしたけど」
「あ、この子がレイ君の……せつりんから聞いてるよ、え、ちょっと可愛すぎない?」
「そんなことないです、お姉さんの方がかっこいいです」
姉崎さんが俺と英愛を見比べるが、その気持ちは分かるので文句は言えない。英愛は照れて髪を触っているが、その仕草も姉崎さんにはいじらしく見えたようだった。
「分かる人には分かっちゃうよね、あーしのジャージ姿の魅力が」
「姉崎さん、それで話は戻るんだけど、そこに何が……」
「ああっヤバ、逃げちゃってないよね? あ、いたいた。何もしないでちゅから出ておいでー……じゃなくて、出てきてどうぞー」
思い切り赤ちゃん言葉になっているが、犬や猫に対してそうなる人はそれなりに居ると思われる。そこまでの動物好きだなんて、ギャルらしい容姿の姉崎さんのギャップがまた一つ増えてしまう。
「あっ、出てくる……っ!」
「えっ、ちょっ……!?」
「――っ!」
茂みから飛び出してきた生き物は、腕を広げていた姉崎さんに抱きとめられる――勢い余って後ろに倒れそうになった姉崎さんを、なんとか反応して支える。
「はぁ、びっくりした。おいたしちゃ駄目でちゅよー……あれ?」
「この子、リス……かな?」
学園の敷地内にリスがいるというのも、この学園の立地を考えると絶対になくはないのだろうが――姉崎さんの胸にしがみついている動物は、可愛らしい顔でクンクンと匂いを嗅いでいる。
「あはは、くすぐったい。えー、どうしよ、可愛すぎるんだけど。学園内でリスって飼っていいの?」
「首輪とかはついてないし、学園で飼われてないようなら、許可を取れば大丈夫じゃないかな」
「ふーん、そうなんだ。うわ、この子めっちゃ尻尾ふわふわしてる」
「……あれ? お兄ちゃん、この子昨日ゲームで……」
「え……?」
妹に言われて、俺はリスのような動物を近くで見る。
全く同じ姿というわけではないが、昨日『アストラルボーダー』にログインしたときに遭遇したモンスター『リズファーベル』によく似ている――ような気がする。
「ということは、まさか……魔物か?」
『アストラルボーダー』に登場するモンスターが、実在の魔物をモデルにしている。それはありえなくはないが、住民に被害を出すような魔物をモデルにすると、今のご時世では炎上騒ぎになりそうだ。
「ま、魔物でも、あーしはこの子を見捨てないからね……!」
姉崎さんがリスを抱きしめる――彼女の言葉がわかっているかのように、リスはミー、ミーと鳴いている。リスのようだが鳴き声は子猫のようだ。
「無害と確認できれば、まあ大丈夫……じゃないかな」
「ほんと? 良かったー……ふわふわリスちゃん、良かったね。レイ君が飼っていいって」
《玲人様、こちらの生物はEランクの魔物のようですが、よろしいのですか?》
俺はこのリスから魔力を感じないが、イズミには判別ができるようで、そう教えてくれる。姉崎さんと英愛を気遣ってか、音声を出さずに伝えてくれた。
『Eランク……ヒュージトロール、レッサーデーモンと同じくらいか』
《はい。データバンクには目撃例が少ないため、生態など詳細は不明とあります》
『……前回の、同時多発現出。あの時に紛れ込んだのか』
《その可能性は高いと思われます。学園周囲の侵入防止フィールドが――結界と呼称しますが、一時的に破壊されておりますので》
『じゃあ……俺はどうするべきかな』
《『魔物使い』の方にご相談されるというのはいかがでしょう》
ウィステリアに憑依していた『無名の悪魔』については、俺の制御下に置く手段はある。しかしこのリスは、実体があるので『スフィアライズ・サークル』で封印することはできない。
もちろん魔物である以上、見た目が可愛いからと油断することはできないのだが――姉崎さんに懐いている姿には、どうも凶悪なものは感じない。
「ふぉぉ、なんかめっちゃふみふみしてくるんだけど……肉球ぷにぷにしてる」
「リスって肉球あるんだっけか……って、それは置いておいて。姉崎さん、俺のコネクターが分析してくれたんだけど、やっぱり魔物みたいだ」
「そうなんだ……確かにリスっぽいけど、本物のリスそのものじゃないっていうか……これはちょっと違うよねー」
リスの額についている小指大の宝石。俺は昨日、これのドロップを狙うためにレアモンスターを追い回したわけなので、少し複雑な気分ではある。
しかし『リズファーベル』が持っている宝石は白いはずである。このリスの額についている宝石は赤い――姿が似ているだけで、違う魔物なのだろうか。
《登録名称は『小型魔獣NO.661』です》
それは名前が無いということではないだろうか。未識別の魔物が学園内にいたと発覚したら、騒ぎになりかねない。
「レイ君、どうしよっか……?」
いつも快活な姉崎さんが、急にしおらしくなる――そんな姿を見せられると俺としても弱い。
「大丈夫、きっと何とかなる。この学園に『魔物使い』の人っているのかな」
「あ、討伐科にいるって聞いたことある。でもうちらより一個上なんだよね」
「二年生か……」
休日なので学校に出てきているかどうかも分からない――と思ったが、姉崎さんは何か思い当たったらしく、表情が明るい。
「魔物使いの人は『魔物研究部』って部活に入ってるんだって。休みの日も部室にいたりしそうじゃない?」
「なるほど、ありうるな。集合時間まで少し余裕があるから、急いで行ってみよう」
「お兄ちゃんたちの学校ってそういう部活もあるんだ……すごーい」
俺も初耳なので、どんな活動をしているのか気になる。
この学園で一番出現する魔物が強い特異領域でEランクの魔物が出現するということは、魔物使いの人の実力次第でこのリスを調教できる可能性がある――何にせよ、会えるかどうかが問題だが。
◆◇◆
討伐科の校舎二階にその部屋はあった。『魔物研究部』――在室中という札が出ているので、扉をノックする。
「はーい……あら? 神崎君、こんにちは」
扉を開けて姿を見せたのは、紫色の髪を三つ編みにした女性――武蔵野先生だった。
「すみません、急にお邪魔してしまって。先生、ここにいるってことは……」
「ええ、私はこの部の副顧問なのよ。教科の受け持ちは冒険科だけれど、大学の時に魔物研究を少しやっていたから」
「先生、ここに『魔物使い』の人っています? あーしたち、その人に用があるんですけど……ひゃっ……!」
どのタイミングでリスのことを先生に伝えようか――と迷っているうちに、姉崎さんのジャージの中に隠れていたリスが顔を出してしまった。
「っ……こ、この子……普通の動物ではない、ようですが……?」
「あ、あわわ……まだ出てきちゃ駄目って言ったのに……」
「先生、この魔物を『魔物使い』の力で人に慣れさせるというか、そういうことは可能ですか?」
「ええ、魔物を手懐ける方法があるので、その条件を満たせば……ですが、人間の手で調教できない魔物もいます。『魔獣』に類する魔物であれば、試してみても良いかもしれないですね」
「『小型魔獣』って分類で、特定の名前はまだついてない種類みたいです」
「私も似た魔物をデータで見たことはありますが……その魔物とも少し違いますね。ところで神崎君、先にそちらの可愛い女の子のことを聞いても良いですか?」
武蔵野先生が俺の後ろにいる英愛を見て聞いてくる。英愛はそろそろと前に出て、ぺこりと頭を下げた。
「初めまして、神崎玲人の妹で、英愛と言います。兄がいつもお世話になっています」
「こちらこそお世話になっています、神崎君の担任の武蔵野梢です。英愛さんは附属中学に通っているの?」
「はい、二年生です。今日はお兄ちゃんの付き添いで来ました」
「付き添いというか、妹もここのプールは利用できるって話を聞いて……」
「そうですね、この学園の関係者で、学生であれば大丈夫です。では『魔物使い』の生徒でしたね、紹介しますので私も立ち会って良いですか?」
「はい、お願いします」
武蔵野先生に続いて部屋に入ると、左右の壁際に置かれた書棚にぎっしりと資料が入っている。『魔物の生態』『特異領域という新たな環境』――俺が知っている『元の現実』ならば、存在し得なかったような本ばかりだ。
部屋の奥にある机の前には、長い黒髪の女子生徒が座っている。机の上には大きめのカゴが置いてあり、中には一匹の鳥がいた。
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