第92話 空飛ぶお医者さん? ~ウィンドランナーの緊急医療品輸送~
『ドラゴンステーション・リンドブルム』が本格稼働を始めてから、
数週間が過ぎたある日のことだった。
その日は、朝から小雨が降り続き、
空はどんよりとした鉛色の雲に覆われていた。
こんな日は、長距離の飛行は危険なため、
リュウガは厩舎でのんびりと羽を休め、
俺も事務所で溜まっていた書類仕事
(主に依頼の整理と、ギドさんへの新しい装備の発注書作成だ)
に追われていた。
「ケンタさーん! 大変ですー!」
突然、事務所の扉が勢いよく開き、
リリアさんが、息を切らせて飛び込んできた。
その顔は青ざめ、肩で大きく息をしている。
ただ事ではない雰囲気に、俺も思わず立ち上がった。
「どうしたんだ、リリアさん!
落ち着いて、何があったか話してくれ!」
「はぁ…はぁ…
今、西の山間部にある『霧笛の村』の村長さんから、
緊急の連絡が…!
村で、高熱を出す子供たちが何人も出ていて、
どうやら、この時期に流行りやすい、
たちの悪い風邪のようです…!
特効薬はあるのですが、
リンドブルムの薬師ギルドにしか在庫がなくて…!」
リリアさんは、途切れ途切れに、しかし必死に状況を説明する。
霧笛の村…。
スキルウィンドウのマップで確認すると、
リンドブルムから直線距離ではそれほど遠くないが、
険しい山々に囲まれ、
しかもこの悪天候だ。
馬車では、到底一日ではたどり着けないだろう。
かといって、リュウガを出すには、
この雨と霧はあまりにも危険すぎる。
「くそっ…こんな時に…!」
俺は奥歯を噛みしめた。
子供たちの命がかかっている。
一刻も早く薬を届けなければ。
「ケンタさん、私、行きます!」
リリアさんが、決意を秘めた目で俺を見つめた。
「薬の調合と、正しい使い方の説明は、
私にしかできません。
それに、霧笛の村へは、
以前、薬草採集で何度か行ったことがあるので、
道も分かります!」
「だが、リリアさん!
この天気じゃ、いくら君でも…!」
「大丈夫です!
私には、この子たちがいますから!」
リリアさんは、そう言うと、
窓の外で心配そうにこちらを見ている
ピクシー・ドレイクたちと、
そして、厩舎の入り口でそわそわと翼を動かしている
ウィンドランナーのシルフィを指差した。
「シルフィちゃんなら、
このくらいの雨や霧の中でも、
きっと私を安全に村まで運んでくれます!
それに、ピクシー・ドレイクさんたちも、
道案内や、軽い荷物運びなら手伝えるはずです!」
リリアさんの瞳には、
もう迷いの色はなかった。
俺は、彼女の勇気と、
そして仲間たちへの信頼に、胸を打たれた。
そうだ、俺たちは一人じゃない。
『ドラゴン便』には、
リュウガだけではない、
たくさんの頼もしい翼があるのだ。
「…分かった、リリアさん。
だが、絶対に無理はするな。
ギドさんに、特製の小型コールドボックスと、
シルフィ用の最新型ギアを準備させる。
薬の梱包は、君に任せる。
衝撃と湿気から、完璧に守ってくれ」
「はいっ!」
すぐに準備が始まった。
ギドさんは、工房の奥から、
まだ試作品段階だったが、
ピクシー・ドレイクでも運べるほど小型軽量で、
かつ高い密閉性と断熱性を持つ
『マイクロ・コールドボックス』を取り出してきた。
そして、シルフィの小さな体に合わせた、
最新の空力パーツが組み込まれた
『ドラゴンギア・ミニ Ver.2』を手際よく装着させる。
リリアさんは、薬師ギルドから預かってきた
貴重な特効薬の瓶を、
衝撃吸収材と防水布で何重にも丁寧に包み、
マイクロ・コールドボックスの中へ慎重に収めた。
その手つきは、真剣そのものだ。
「ケンタさん、
スキルウィンドウで、霧笛の村への
一番安全で、一番早いルートを教えてください!
それから、村の天候と、
途中の気流の状況も!」
リリアさんが、俺に指示を求める。
いつの間にか、彼女は、
立派な『ドラゴン便』のディスパッチャー(運行管理者)の
顔つきになっていた。
俺は、スキルウィンドウを操作し、
刻一刻と変化する気象情報と地形データを分析し、
最適な飛行ルートを割り出す。
「よし、リリアさん!
このルートなら、山間の気流の乱れを避けられるはずだ!
途中で霧が濃くなる場所があるから、
そこはピクシー・ドレイクたちに先行させて、
視界を確保しながら進んでくれ!」
「了解しました!」
準備は整った。
リリアさんは、シルフィの背に跨り、
マイクロ・コールドボックスをしっかりと抱え、
そして、数匹のピクシー・ドレイクたちを従えて、
雨の降りしきる空へと、
勇ましく飛び立っていった。
その小さな後ろ姿が、
俺には、どんな英雄よりも大きく、
そして頼もしく見えた。
「ケンタ、大丈夫か?
あの嬢ちゃん一人で、本当に…」
ギドさんが、心配そうに呟く。
「ええ、大丈夫ですよ、ギドさん。
リリアさんは、俺たちが思っている以上に強い。
それに、彼女には、
シルフィとピクシー・ドレイクたちという、
最高の仲間がついていますから」
俺は、空の彼方へと消えていく小さな翼たちを見送りながら、
確信を込めて言った。
これは、リリアにとって、
そして『ドラゴン便』の新たな翼たちにとって、
初めての、そして極めて重要な任務だ。
彼らの小さな翼が、
今、絶望の淵にいる子供たちの命を救う、
大きな希望の光となることを、
俺は、ただひたすらに祈っていた。
数時間後、
ドラゴンステーションの通信機が、
微かな受信音を立てた。
それは、リリアさんからの、
任務完了を知らせる、短い、しかし力強い合図だった。




