第47話 街角の密命と通信機の声
朝日が、
リンドブルムの街を黄金色に染め上げていく。
それは、まるで新しい時代の幕開けを告げるかのような、
力強い光だった。
だが、その光とは裏腹に、
街の裏通りを息を殺して進むリリアさんとギドさんの足取りは、
重く、そして慎重だった。
リリアさんは、
ケンタさんから託された『月の雫』の入った木箱を、
薬草の入った籠の底に巧妙に隠し、
その上に普通の薬草や干し肉などを乗せてカモフラージュしている。
その表情は緊張でこわばってはいるが、
瞳の奥には、使命を帯びた強い光が宿っていた。
彼女はもう、ただの薬屋の娘ではない。
『ドラゴン便』の未来を、
そしてケンタさんの信頼を一身に背負った、
小さな密使なのだ。
一方、ギドさんは、
いつものように不機嫌そうな顔で周囲を鋭く見回しながら、
リリアさんの少し後ろを歩いている。
その腰には、愛用の金槌だけでなく、
ケンタさんに渡したものと同じ、
黒光りする『黒煙弾』が数本、
そして何やら得体の知れないドワーフの道具が
革袋に詰め込まれていた。
まるで、戦場に向かう歴戦の戦士のようだ。
「嬢ちゃん、気を抜くなよ。
ゴードンの手先が、どこで見ているか分からんぞ。
特に、あの『赤獅子の杯亭』の周辺は、
奴らの息のかかったチンピラどもがうろついている可能性が高い」
ギドさんが、低い声でリリアさんに警告する。
「は、はい…!
大丈夫です、ギドさん。
ケンタさんから預かったこの大切なものを、
必ず…!」
リリアさんは、ぎゅっと籠の持ち手を握りしめた。
その小さな手には、汗が滲んでいる。
二人の最初の目的地は、
リンドブルムの西門近くにある、
比較的大きな商人宿だった。
そこには、今日、ヴェリタスへ向けて出発する予定の、
いくつかの大きな商隊が滞在しているはずだ。
その中に、ケンタさんが以前から懇意にしている、
信頼できる商人がいるかもしれない。
彼らに、この『月の雫』と裏帳簿の写しを託し、
ヴェリタスのマードック氏へ届けてもらう…
それが、俺たちの最初の策だった。
(ケンタさん…リュウガさん…
どうか、無事でいてください…)
リリアさんは、心の中で強く祈った。
洞窟に残してきたケンタさんとリュウガさんのことが、
心配でたまらない。
だが、今は自分の任務に集中しなければ。
商人宿に到着すると、
案の定、出発の準備で慌ただしい商人や人足たちの姿があった。
荷馬車が何台も並び、
威勢の良い声が飛び交っている。
「よし、嬢ちゃん。
ここからは手分けして探すぞ。
お前さんは、顔見知りの商人がいないか、
それとなく聞いて回れ。
わしは、この辺りの地理と、
怪しい動きがないかを確認しておく。
何かあったら、すぐに例の『通信機』で知らせろ」
ギドさんは、リリアさんにそう指示すると、
まるで風景に溶け込むように、
雑踏の中へと姿を消した。
その動きは、小柄な体躯からは想像もできないほど俊敏だった。
リリアさんは、深呼吸を一つして、
意を決して商人たちの輪の中へと入っていった。
「あの、すみません…
ヴェリタスへ行かれるご予定の方はいらっしゃいませんか…?
ちょっと、お届け物を頼みたいのですが…」
彼女は、薬屋の娘として培った人当たりの良さで、
一人一人に丁寧に声をかけていく。
だが、ほとんどの商人は、
見慣れない少女からの突然の申し出に、
訝しげな顔をしたり、
あるいは「急いでるんだ、邪魔をしないでくれ」と
冷たくあしらったりするだけだった。
(やっぱり、簡単にはいかないわよね…)
リリアさんの心に、焦りと不安が広がり始める。
時間だけが、刻一刻と過ぎていく。
その時だった。
「おや? 君は確か…
リンドブルムの薬屋の、リリアちゃんじゃないか?」
不意に、背後から穏やかな声がかかった。
振り返ると、そこには、
人の良さそうな初老の男性商人が立っていた。
見覚えがある…確か、以前、
ケンタさんが『ドラゴン便』の依頼で、
この商人の大切な薬を運んだことがあるはずだ。
「あ! マルコさん!」
リリアさんの顔に、パッと明るい光が灯った。
「はい、リリアです!
マルコさんも、ヴェリタスへ行かれるのですか?」
「ああ、そうだとも。
これから、あちらの大きな商隊に合流して出発するところだよ。
それにしても、リリアちゃんがこんなところでどうしたんだい?
何か、困ったことでも?」
マルコさんは、心配そうにリリアさんの顔を覗き込んだ。
リリアさんは、一瞬ためらった。
この人に、ケンタさんの秘密を打ち明けてもいいのだろうか?
だが、もう迷っている時間はない。
それに、この人なら、あるいは…。
「マルコさん…実は、お願いがあるんです。
とても、とても大切なものを、
ヴェリタスのマードック様という方に届けていただきたいのです。
これは、リンドブルムの…ううん、
たくさんの人々の未来がかかっているかもしれない、
本当に重要なものなんです…!」
リリアさんは、必死の形相で訴えかけた。
その瞳には、涙が滲んでいる。
マルコさんは、リリアさんのただならぬ様子と、
その言葉に込められた切実な想いを感じ取ったのだろう。
彼は、周囲を気にするように一度視線を巡らせると、
低い声で言った。
「…リリアちゃん、少し場所を変えよう。
ここで立ち話をする内容ではなさそうだ」
マルコさんに導かれ、
リリアさんは商人宿の隅にある、
人気のない馬小屋の裏へと移動した。
そこで、リリアさんは、
震える声で、しかし勇気を振り絞って、
ケンタさんから託された『月の雫』の木箱と、
裏帳簿の写しをマルコさんに見せた。
そして、運送ギルドの不正と、
自分たちが置かれている危険な状況を、
掻い摘んで説明した。
マルコさんは、黙ってリリアさんの話を聞いていた。
その表情は、次第に険しいものへと変わっていく。
全てを聞き終えた後、彼は深いため息をついた。
「…そうか。
あのゴードンめ、やはりそんな悪事に手を染めていたか。
薄々気づいてはいたが、これほどとはな…」
マルコさんの声には、怒りと失望の色が濃く滲んでいた。
「そして、ケンタ殿と、あの不思議な『ドラゴン便』は、
その不正を暴こうとして、ギルドに狙われていると…」
「はい…ケンタさんは、
この証拠をマードック様に届ければ、
きっと事態を打開できると信じています。
どうか、マルコさん、お力を貸していただけないでしょうか…?」
リリアさんは、深々と頭を下げた。
マルコさんは、しばらくの間、
腕を組んで考え込んでいた。
その顔には、葛藤の色が浮かんでいる。
ギルドに逆らうことの危険性は、
彼も商人として十分に理解しているはずだ。
やがて、マルコさんは顔を上げ、
リリアさんの目をまっすぐに見つめた。
「…分かった、リリアちゃん。
この荷物、確かに私がヴェリタスのマードック殿に届けよう。
ケンタ殿には、以前、命を救ってもらった恩がある。
それに、ゴードンのような悪党が、
このリンドブルムでこれ以上好き勝手するのを、
黙って見過ごすわけにはいかんからな」
「マルコさん…!
本当に、ありがとうございます…!」
リリアさんの瞳から、
安堵と感謝の涙が溢れ出した。
「ただし、道中は危険が伴うかもしれん。
ギルドの目がどこにあるか分からんからな。
この荷物は、私の荷物の一番奥深くに隠して運ぼう。
そして、リリアちゃん。君も、これ以上深入りするのは危険だ。
すぐにケンタ殿の元へ戻りなさい」
「はい…!」
リリアさんは、マルコさんに『月の雫』の木箱と
裏帳簿の写しを託すと、
何度も何度もお礼を言い、
急いでその場を離れた。
(やった…!
これで、第一関門は突破できた…!)
リリアさんの胸は、
希望と興奮で高鳴っていた。
その時、懐に入れていたギドさん特製の『通信機』が、
微かな振動と共に、
ブブブ…と音を立て始めた。
ギドさんからの連絡だ!
リリアさんは、慌てて通信機を耳に当てた。
「嬢ちゃん! 聞こえるか!?
大変だ!
ゴードンの手先どもが、
どうやら俺たちの動きに気づいたらしい!
今、数人がこっちに向かってきてる!
すぐに隠れろ!
そして、小僧にも危険を知らせろ!」
ギドさんの、焦ったような、
しかし冷静さを失わない声が、
通信機から響いてきた。
リリアさんの顔から、
一瞬にして血の気が引いた。
(そんな…!
もう気づかれたの…!?)




