第115話 三つの光と、星の涙
目の前に、それはあった。
この星の、その生命の流れを蝕む、
黒く、おぞましいほどに淀んだ、
巨大なエネルギーの『結び目』。
それは、まるで、
この世界が流した、
全ての悲しみと、怒りと、絶望が、
長い、長い時間をかけて凝り固まった、
魂の癌腫のようだった。
『…さあ、始めるがよい、調停者たちよ』
古竜テラの、厳かな声が、
俺たちの心に、直接響き渡る。
『お前たち三人の光を、
そして、その絆の力を、一つに束ねるのじゃ』
俺は、リリアさんと、アリア様と、
もう一度、強く、固く、手を取り合った。
その手の温もりが、
これから始まる、未知なる、そして神聖な儀式への、
最後の勇気を、俺に与えてくれる。
俺たちの、最後の戦いが、
今、始まった。
***
島の、外の世界。
カイ様と、ギドさん、そしてリオさんたちは、
息を呑んで、眼前の光景を見つめていた。
「フフフ…ハハハハハ!」
「間に合わなかったようだな、ドラゴン使いの仲間どもめ!」
「お前たちが信じるその小僧どもは、
今頃、あの水晶の中で、
己の無力さに絶望している頃だろうよ!」
そこに立っていたのは、
たった一人。
ネプトゥーリアの王子、テオン。
だが、その姿は、もはや、
俺たちが知る、あの傲慢な美青年のものではなかった。
その体からは、
黒く、そして禍々しいオーラが、
まるで陽炎のように立ち昇り、
その手には、
『追憶の羅針盤』ではない、
まるで、生きているかのように、
どく、どくと、不気味に脈打つ、
黒い、血のような宝玉が握られていた。
「な、なんだ、あの魔力は…!?
奴め、人間をやめおったか…!?」
ギドさんが、忌々しそうに吐き捨てる。
「ええ、間違いありません。
あれは、我が国に伝わる禁断の遺物…
触れた者の生命力を吸い尽くし、
その代わりに、人ならざる、偽りの力を与えるという、
『魔神の心臓』…!
父君が、決して誰にも触れさせてはならぬと、
厳重に封印していたはずのものが、
なぜ、テオンの手に…!?」
フィンレイ様が、絶望に顔を歪ませる。
どうやらテオンは、
俺たちが海魔と死闘を繰り広げている間に、
別の部隊を使い、
アクアティアの、その封印の間にまで
手を伸ばしていたらしい。
「この力の前では、
あの気高いだけの騎士も、
腕っぷしが自慢のドワーフも、
そして、空飛ぶただのトカゲどもも、
全て、等しく、無力だ!」
テオンは高らかに笑うと、
その姿を、黒い疾風へと変え、
カイ様たちへと、一直線に襲いかかった!
カイ様の、あの美しく鋭い剣閃も、
ギドさんの、岩をも砕く金槌の一撃も、
そして、ウィンドランナーたちの、
風の刃を纏った連携攻撃も、
人ならざる力を得たテオンの前には、
まるで、嵐の前の、ちっぽけな木の葉のように、
あっけなく、そして無慈悲に、弾き返されていく!
「くそっ…!
化け物めが…!」
仲間たちは、次々と傷つき、
追い詰められていく。
絶望的なまでの、力の差。
もはや、これまでか…。
誰もが、そう思い、
膝をつきかけた、その時だった。
***
水晶の、核の中。
俺は、自らの意識を、
世界の、その巨大なエネルギーの流れと、
完全に、同調させていた。
「…見える…!」
「この、巨大なサプライチェーンの、
その流れが、淀んでいる場所が…!」
俺は、スキルをフル活用し、
黒い『結び目』の、その複雑怪奇な構造を、
一つ一つ、丹念に解析していく。
「リリアさん!
この淀みの、その中心部から、
『悲しみ』の感情が、強く溢れ出している!
薬草を調合するように、
君の、その優しい光で、
その悲しみを、和らげてやってくれ!」
「はいっ、ケンタさん!」
リリアさんは、
俺の指示に応え、
その純粋な祈りの力を、
淀みの中心部へと、そっと、
しかし確かに、注ぎ込んでいく。
彼女の、その温かい心の光が、
まるで、傷ついた心を優しく包み込む、
最高の処方箋のように、
淀みから溢れ出す、
黒く、そして冷たい負の感情を、
少しずつ、少しずつ、癒していく。
「アリア様!
今です!
リリアさんが、道を作ってくれた!
あなたの、その『海神の涙』の、
本当の力を、見せてください!」
「ええ…!」
「この国を、この世界を、
そして、わたくしたちの未来を、
これ以上、悲しませはしません…!」
アリア様は、
その身に宿す、全ての神聖な力を解放する!
彼女の体から放たれた、
眩い、どこまでも純粋な青白い浄化の光が、
ケンタが示した道筋を通り、
リリアさんが和らげた、淀みの核へと、
真っ直ぐに、そして力強く、注ぎ込まれていく!
三つの光が、
今、確かに、一つになった!
その瞬間。
水晶の核全体が、
これまでにないほどの、
眩い、そしてどこまでも温かい光で満たされた!
黒く、おぞましかった『結び目』が、
まるで、夜明けの光に溶ける、
朝霧のように、
静かに、そして美しく、
その姿を、消し去っていったのだ。
俺たちは、やったんだ。
この星の、最初の『調停』を、
見事に、成し遂げたのだ!
***
その、神聖な光の奔流は、
水晶の核を、そして賢者の島を越え、
アクアティアの海全体へ、
いや、このアースガルド大陸の、
その隅々まで、
まるで、祝福のシャワーのように、
優しく、そして力強く、降り注いだ!
その、浄化された、
清らかなエネルギーを浴びて、
傷つき、倒れていたカイ様や、ギドさん、
そしてウィンドランナーたちの体に、
再び、力がみなぎっていく!
そして、何よりも。
俺たちの、かけがえのない相棒が、
その、長い眠りから、
ついに、目覚めた!
「グルルルルルァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!!!」
天を、地を、そして世界そのものを揺るがすほどの、
完全なる、そして神々しいまでの雄叫び!
復活したリュウガの、その瑠璃色の鱗は、
もはや、ただの青ではない。
まるで、夜空に輝く、
全ての星々を、その身に宿したかのように、
深く、そしてどこまでも気高く、
神聖なまでの輝きを放っていた!
「な、なんだ、あの竜は…!
さっきまでとは、まるで、
その存在の格が、違うだと…!?」
暴走するテオンが、
その、あまりにも神々しいリュウガの姿に、
初めて、その顔に、
本能的な、そして抗いがたい恐怖の色を浮かべた。
だが、もう遅い。
覚醒したリュウガは、
もはや、言葉も、指示も必要としなかった。
ただ、その黄金色の瞳で、
仲間たちを傷つけた、
唯一の、そして許されざる敵を、
静かに、そして冷徹に、見据える。
そして、
テオンの、その醜悪な野望ごと、
全てを、無に帰すための、
絶対的な、そして最後の裁きの光を、
その口元に、収束させていく。
それは、俺が名付けた、
あの『蒼炎の裁き』とは、
また少し違う。
もっと、根源的で、
もっと、純粋な、
この星そのものの、怒りのエネルギー。
まさに、神の、雷だった。
「や、やめろ…
よせぇぇぇぇっ!!」
テオンの、その情けない、
命乞いの悲鳴が、
島の、その静寂の中に、
虚しく、そして哀れに響き渡った。
***
全てが、終わった。
ネプトゥーリアの、その黒い野望は、
完全に、そして永遠に潰え去った。
水晶の核から戻ってきた俺たちを、
傷つきながらも、
しかし、確かな勝利の笑顔を浮かべた、
かけがえのない仲間たちが、
温かく、そして力強く、迎えてくれた。
俺は、完全に復活し、
そして、さらに気高く、美しくなった相棒、
リュウガの、その大きな体に、
思い切り、抱きついた。
「ありがとう、リュウガ。
お前がいてくれて、本当によかった…」
その温もりは、
俺が、この世界に来てから感じた、
どんなものよりも、
温かく、そして優しかった。
俺は、仲間たちの顔を、
リリアさん、アリア様、ギドさん、カイ様、
そして、全ての、愛おしい仲間たちの顔を、
一人一人、確かめるように見渡した。
俺たちの、長く、そして険しい冒険は、
一つの、大きな終わりを迎えた。
だが、それは、
絶望の終わりであると同時に、
新たな、そして本当の意味での、
希望の始まりでもあった。
俺は、仲間たちと共に、
朝日が昇り始めた、
アクアティアの、その美しい海を、
そして、その先に広がる、
無限の可能性を秘めた、
アースガルド大陸の、その未来を、
静かに、しかし、
これまでにないほど、力強い決意を込めて、
見据えていた。
「さあ、帰ろう、みんな」
「俺たちの、故郷へ」
「そして、始めよう」




