第113話 大地の古竜と、星の記憶
『……………。』
『…ようやく、来たか』
『待ちくたびれたぞ、小さき者たちよ…』
その声は、
音ではない。
俺たちの、魂の、その最も深い場所に、
直接、そしてあまりにも穏やかに、
しかし、決して抗うことのできない、
絶対的な力をもって、響き渡った。
大地そのものが、
いや、この星そのものが、
俺たちに語りかけているかのような、
途方もない、そしてどこまでも古い、
叡智に満ちた声だった。
目の前の、巨大なアースドラゴン。
その、琥珀のように透き通った瞳が、
ゆっくりと、俺たち一人一人を、
見定め、そして懐かしむかのように、見つめている。
「なっ…」
「こ、こいつ…喋って…!?」
俺の隣で、カイ様が、
信じられないという顔で、その声を震わせ、
ギドさんも、
ドワーフの、その自慢の剛腕から、
愛用の金槌を、カラン、と音を立てて取り落としていた。
俺たち、ちっぽけな存在の常識など、
この、神話の化身の前では、
何の意味もなさないのだ。
(スキルウィンドウ!
こいつの情報を!
何か、何か手がかりでも…!)
俺は、最後の望みを託すように、
脳内でスキルを発動させる。
だが、半透明のスクリーンに表示されたのは、
これまで見たこともないような、
絶望的なまでの、無慈悲な文字列だった。
【ERROR:対象の解析に失敗しました】
【警告:対象のエネルギーレベルは、計測規模を大幅に超過しています】
【ERROR】
【ERROR】
スキルが、完全に、その機能を停止した。
俺の、この世界での唯一の生命線であり、
最強の武器であったはずの力が、
赤子のように、無力に沈黙している。
それほどの、圧倒的な格の違いが、
俺たちと、この古の竜との間には、
横たわっていた。
俺たちは、もはや、
剣を抜くことも、魔法を構えることさえも忘れ、
ただ、その神々しいまでの存在感の前に、
金縛りにあったかのように、
立ち尽くすことしかできなかった。
『…恐れることはない、つかの間の時を生きる子らよ』
古竜の声が、再び、俺たちの心に響く。
その声には、不思議なことに、
敵意や、ましてや殺意など、微塵も感じられない。
むしろ、長い、長い旅路の果てに、
ようやく我が子と再会できた、
父親のような、
温かく、そしてどこまでも深い、
慈愛に満ちているかのようだった。
『わしは、お前たちの敵ではない。
わしは、テラ。
この『賢者の隠れ島』そのものであり、
そして、この島の『心臓』…
お前たちが求める、真の『深淵の水晶』を、
時の始まりより、守護する者』
テラ…
それが、この古竜の名前か。
『ネプトゥーリアの、あの強欲な小童どもは、
ただの墓荒らしに過ぎん。
彼らが血眼になって探しているのは、
この『心臓』から、長い年月の間にこぼれ落ちた、
ほんの小さな、そして力の源から切り離されて
その性質を歪ませてしまった、『力の欠片』に過ぎぬ。
もし、奴らが、
この『心臓』そのものに触れ、
その力の均衡を、ほんの少しでも乱せば、
この星は、瞬く間に、
その生命活動を停止させることになるだろう。
それほどの、デリケートで、
そして絶対的な力が、ここには眠っておるのじゃ…』
テラの言葉は、
衝撃的な真実を、
あまりにも淡々と、俺たちに告げていた。
俺たちは、ただの貴重な素材を探しに来たつもりが、
いつの間にか、
この星そのものの、
その運命を左右する、
とんでもない場所へと、
足を踏み入れてしまっていたらしい。
『わしは、長きにわたり、
この場所で、深い、深い眠りについていた。
ただ、ひたすらに、待ち続けていたのじゃ。
お前たちのような…』
『『二つの光』をその身に宿す者たちが、
この、約束の地に、再び現れるのを…』
「二つの光…!?」
俺は、思わず声を上げていた。
やはり、古文書の記述は、正しかったのだ。
『うむ。
一つは、あの若き姫が持つ、
この星の、生命の源そのものである、
海の女神の涙から生まれた、
神聖なる『癒やしの光』』
テラの、その琥珀色の瞳が、
船で俺たちの帰りを待つ、
アリア様の姿を、
その心眼で、確かに捉えているかのように、
優しく、細められた。
『そして、もう一つは…』
今度は、その巨大な瞳が、
真っ直ぐに、俺を射抜いた。
『お前さんが持つ、
その、異界の理で織りなされた、
『調停の光』じゃ』
調停の光…?
俺の、この『異世界物流システム』が…?
『お前さんのその力は、
単に物を運び、道を指し示すだけの力ではない。
それは、この星に流れる、
あらゆるエネルギー…魔力の流れ、生命の流れ、
そして、運命の流れそのものを、
『最適化』し、『管理』し、そして『調停』するための、
究極の、そして唯一無二の力なのじゃ。
まさに、究極の『物流』システム、というわけよ』
俺は、言葉を失った。
社畜時代の、あの忌々しいまでの経験と知識が、
まさか、この異世界で、
そんな、壮大すぎるほどの意味を持っていたなんて。
人生、何がどう転ぶか、本当に分からないものだ。
『お前たちの、この島への旅路そのものが、
最後の、そして最大の試練だったのじゃ』
『人間の、醜い欲望に打ち勝ち、
海の、荒れ狂う怒りを鎮め、
そして、仲間たちとの絆を、
最後まで、決して手放さなかった』
『お前たちには、資格がある。
この星の、弱りつつある『心臓』を、
再び、その鼓動を取り戻させるための、
新たな『調停者』となる資格がな』
テラは、そう言うと、
俺たちの背後にある、
あの、巨大な黒曜石の球体を、
その巨大な顎で、静かに示した。
「俺たちが…調停者…?
一体、何をすれば…?」
『あの『心臓』の中へ入るのじゃ』
『そして、お前たち二人の光を、
一つに束ねるのじゃ』
『ケンタよ、お前の『調停の光』で、
水晶の、乱れたエネルギーの流れを読み解き、
そして、アリアよ、お前の『癒やしの光』で、
その傷ついた核を、優しく、そして力強く癒やすのだ』
「…それが、俺たちに課せられた、
本当の使命だというのですか…」
俺は、ゴクリと、
乾いた喉で、唾を飲み込んだ。
単なる運び屋が、
いつの間にか、
世界の調停者。
まったく、とんでもない、
そして最高にクレイジーな、キャリアアップだ。
だが、不思議と、恐怖はなかった。
むしろ、心の奥底で、
ずっと、燻り続けていた、
「なぜ、俺がこの世界に?」という、
その問いへの答えが、
ようやく見つかったような、
そんな、清々しいほどの、確かな手応えを感じていた。
俺が、仲間たちの顔を見回すと、
誰もが、
驚きと、そして戸惑いの表情を浮かべながらも、
その瞳の奥には、
俺への、絶対的な信頼の色を浮かべてくれていた。
「…分かりました、テラ様。
やります。
俺たちの、この力で、
この星の未来を、
そして、俺たちの大切な仲間たちの未来を、
必ず、守ってみせます」
俺が、固い決意を込めて、そう宣言した、その時だった。
『ケンタさん!
聞こえますか!?』
懐の、ギドさん特製の通信機から、
リリアさんの、切羽詰まった声が響き渡った!
『大変です!
沖合に、ネプトゥーリアの、
ものすごく速い、小さな船が一隻、
まっすぐ、この島に向かってきます!
あれは…軍艦じゃありません!
テオン王子、本人が乗っています!
たった一人で、乗り込んでくるつもりです!』
「なんだと!?」
あの野郎、まだ諦めていなかったのか!
しかも、たった一人で…!?
一体、何を企んでいる…!
「小僧!
急げ!」
ギドさんが、叫んだ。
「あのクソ王子が、この聖域にたどり着く前に、
お前たちが、やるべきことをやるんだ!」
「ケンタ殿!」
カイ様も、決死の覚悟で剣を抜く。
「テオンの相手は、我々が引き受けよう!
あなた方は、ただ、前へ!
アリア様と、この世界の未来のために!」
俺は、仲間たちの、
その熱い、そして力強い言葉に、
強く、強く頷いた。
「ギドさん、カイ様、そしてみんな!
後は、頼みました!」
「アリア様!
行きましょう!
俺たちの、未来へ!」
俺は、いつの間にか俺の隣に、
そしてアリア様の隣に駆けつけてくれていた、
リリアさんの手を、そしてアリア様の手を、
強く、強く、握りしめた。
そして、俺たちは、三人で、
あの、全てを吸い込み、
そして全てを生み出す、
巨大な、黒曜石の球体、
『深淵の水晶』の、その心臓部へと、
一切の、迷いなく、足を踏み入れた。
その瞬間、
俺たちの体は、
眩い、どこまでも優しい光に包まれ、
そして、意識は、
時間も、空間も超えた、
未知なる、そして神聖な領域へと、
吸い込まれていった。
遠く、背後で、
テオン王子の、
狂気に満ちた、忌々しい高笑いが、
聞こえたような、気がした。




