第110話 秘密の航路と、テオンの罠
出航の朝。
俺たちの、希望と決意を乗せた『さざなみ号』は、
仲間たちの温かい声援を背に、
秘密の入り江から、運命が待つ大海原へと、
その輝かしい航海を開始した。
目指すは、『双月の夜』にのみ道が開かれるという、
伝説の島、『賢者の隠れ島』。
数時間、穏やかな海を進んだ後、
俺たちの船団は、
やがて、リオさんの言う「秘密の航路」の入り口へと
差し掛かった。
その瞬間、
船を取り巻く世界の空気が、一変した。
さっきまでの、どこまでも青く澄み渡っていた空は、
まるで墨を流したかのように、
濃密な、そして不気味な霧に覆われ、
穏やかだった海面は、
巨大な、見えざる獣がその下で蠢いているかのように、
複雑に、そして激しく渦を巻き始めた。
海図には載っていない、鋭い岩礁が、
まるで、飢えた獣の牙のように、
あちこちから、その黒い姿を突き出している。
ここは、まさに、
生ける者の侵入を拒む、死の海域。
「ケンタさん…!」
リリアさんの、不安そうな声が聞こえる。
船の揺れに耐えながら、
彼女は、俺の服の袖を、ぎゅっと強く握りしめていた。
「大丈夫だ、リリアさん。
俺たちには、この海の唄を知る、
最高の船長がついている」
俺は、彼女を安心させるように、力強く頷いた。
その視線の先では、
船長のリオさんが、
まるで、この状況を心から楽しんでいるかのように、
不敵な、そして自信に満ちた笑みを浮かべていた。
「へっへっへ!
どうだい、旦那方!
これが、語り部の一族にしか越えられねえ、
『海竜の寝床』よ!」
彼は、目を閉じ、
まるで、風や波の、その微かな声に耳を澄ませるかのように、
舵を、神業のような、
そしてどこまでも滑らかな手つきで操っていく。
「右舷に、見えねえ渦がある!
少し左に切れ!」
「この霧の先、三つの岩が、まるで竜の牙みてえに並んでやがる。
その真ん中を、息を殺して、一気に抜けるぞ!」
リオさんの、その感覚的な、
しかし驚くほどに正確な指示。
それを、俺は、スキルウィンドウの3次元マップ機能で
補強し、仲間たちに、より具体的な情報を伝達する。
「リオさんの言う通りだ!
マップでも、右舷の水深が急に浅くなってる!
海竜の骨か何かが、沈んでいるのかもしれない!」
「前方の霧、魔力濃度が高い!
幻惑系の魔法だ!
リュウガ、ブレスで霧を少しだけ吹き飛ばして、
道を作ってくれ!」
「グルゥ!」
リュウガが、俺の指示に応え、
霧を切り裂く。
ウィンドランナーたちが、その俊敏な翼で、
船の周囲を旋回し、
岩礁の位置や、海流の僅かな変化を、
リアルタイムで俺に報告してくれる。
人間と、ドラゴン。
古代から伝わる、自然を読む知恵と、
俺が持つ、現代(異世界)の、情報分析の技術。
その全てが、今、この瞬間に、
完璧に、そして美しく融合していた。
俺たちは、一つの、大きな翼となって、
この、誰も越えることのできなかったはずの、
死の海域を、
まるで、風と戯れるかのように、
駆け抜けていく!
そして、どれほどの時間が経っただろうか。
俺たちが、その長く、そして息が詰まるような
危険な海域を、ついに抜け、
視界が、ぱあっと開けた、その瞬間。
安堵のため息をつく、その暇さえも、
俺たちには与えられなかった。
「見つけたぞ、ドブネズミどもめ!!」
背後から、
憎悪と、そして勝利を確信したかのような、
あの、忌々しい声が響き渡った!
テオン王子だ!
いつの間にか、
俺たちの背後に、
あの、禍々しいまでの威圧感を放つ、
ネプトゥーリアの黒い軍艦が、
その姿を現していた!
しかも、その数は、一隻ではない!
旗艦を中心に、三隻もの、巨大な艦隊が、
俺たちの退路を、完全に、そして完璧に塞いでいた!
「くそっ!
どうやって、俺たちの位置を…!?」
俺は、信じられないという顔で、
敵の艦隊を睨みつけた。
「フフフ…ハハハハハ!」
テオンの、狂気に満ちた高笑いが、
双月の、妖しい光の下の海に、不気味に響き渡る。
「お前たちが、その小賢しい航海術で、
この『迷わずの海域』を抜けてくることは、
全て、お見通しだったわ!」
彼は、その手に持った、
古代の遺物であろう、
不気味な光を放つ羅針盤のような魔道具を、
俺たちに見せびらかすように、高々と掲げた。
「この、『追憶の羅針盤』はな、
一度捉えた、お前たちのその汚らわしい魔力の痕跡を、
決して、決して見失うことはないのだ!
お前たちが、この世界のどこへ隠れようとも、
全ては、無駄なことよ!」
「さあ、これで終わりだ!
お前たちが目指す、その島の宝も、
アクアティアの、あの気高いだけの小娘も、
そして、その忌々しい、伝説気取りのドラゴンも、
全て、全て、この私のものとなるのだ!」
(古代の、追跡用の魔道具…!?
そんなものまで用意していたとは…!
用意周到な野郎だ…!)
俺は、奥歯をギリリと、
血が滲むほど強く噛みしめた。
だが、もう、後悔している暇も、
絶望している時間もない。
「総員、戦闘配置!!」
俺の、魂の底からの叫びが、
『さざなみ号』の甲板に、
そして、仲間たちの心に、
最後の、そして最大の決戦の始まりを告げた!
「ギドさん!
例のブツを!」
「おうよ!
喰らいやがれ、海の悪魔どもが!」
ギドさんが、船に仕掛けておいた、
ドワーフ式の、巨大な魔力カタパルトが唸りを上げ、
特殊な炸裂弾が、
放物線を描いて、敵艦の一つへと叩きつけられる!
轟音と共に、敵艦の甲板が大きく破壊され、
黒い煙が立ち昇る!
「カイ様!
ウィンドランナーたちと共に、
右翼の船を!」
「承知した!
ゲイル、私を頼む!」
カイ様は、ウィンドランナーの中でも、
ひときわ勇敢なゲイルの背に、ひらりと飛び乗ると、
まるで銀色の流星のように、
敵艦の一つへと、一直線に突っ込んでいく!
その手の中で、ギドさんが鍛え直した愛剣が、
月光を浴びて、鋭く、そして美しく輝く!
敵陣に切り込んだ彼の、その神業のような剣技が、
ネプトゥーリアの兵士たちを、
まるで、秋の日の枯葉のように、
次々と、容赦なく薙ぎ払っていく!
「リリアさん、アリア様!
船の、そして仲間たちの守りを!」
「はいっ!」
「ええ、お任せください!」
リリアさんは、負傷したウィンドランナーたちや船員の手当てに、
そしてアリア様は、
その身に宿す『海神の涙』の力を解放し、
船の周囲に、青白い、神々しいまでの防御結界を展開して、
敵の魔力砲の、その雨のような攻撃から、
俺たちの、この小さな船を、
その命を懸けて、守り抜いている!
そして、俺とリュウガは…!
「行くぞ、リュウガ!」
「俺たちで、あのバカ王子が乗る、
真ん中の、一番デカい、あの旗艦を、
海の底に、叩き落としてやる!!」
「グルルルルルァァァァァッ!!!!」
俺の、魂からの叫びに、
リュウガが、
そして、全ての仲間たちが、
最後の、そして最大の決戦への覚悟を込めて、
雄叫びを上げた!




