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第109話 出航前夜と、それぞれの誓い

タイムリミットは、三日後。

いや、もう二日後、と言うべきか。


『双月の夜』。

星の海に、隠されし道が開かれる、その時。

俺たちの、そしてこのアクアティア公国の運命を賭けた、

本当の戦いが始まる。


ネプトゥーリアの追撃を振り切った俺たちは、

リオさんの案内する秘密の入り江で、

最後の、そして決戦への準備を進めていた。


船の上には、これまでにないほどの、

静かで、しかしどこまでも張り詰めた緊張感が漂っている。

それは、恐怖からくるものではない。

仲間たちの、それぞれの覚悟と、

そして、未来をその手で掴み取ろうとする、

熱く、そして静かな闘志が、

入り江の空気そのものを震わせているのだ。


出航を、明日の夜明けに控えた、最後の夜。

空には、銀色に輝く月が二つ、

寄り添うように、しかし、まだ完全には重ならずに浮かんでいる。

その、どこか不完全で、

そして神秘的な光が、

俺たちの船『さざなみ号』を、

静かに、そして優しく照らし出していた。


俺は、甲板の隅で、

黙々と、しかし驚くべき集中力で

武具の手入れをしているギドさんの元へと、

静かに足を運んだ。


彼のゴツゴツとした、しかし驚くほど器用な指先が、

リュウガの爪に装着する、

アダマンタイト合金製の新しい『氷爪』の刃先を、

ドワーフ秘伝の砥石で、丹念に磨き上げている。

シュッ、シュッ、という、

硬質な、しかし心地よい音が、

夜の静寂の中に、リズミカルに響き渡る。


「ギドさん」

俺が声をかけると、

彼は、ちらりとこちらに視線を寄越したが、

その手を止めることはなかった。


「なんだ、小僧。

お前さんも、そのなまくらな剣を

磨いてほしいとでも言いに来たか?」


「いえ、俺の剣は、ギドさんが作ってくれた最高のものです。

これ以上のものはありませんよ」

俺は、苦笑しながら言った。


「ただ、みんな、ちゃんと準備ができているか、

見ておきたくて」


「フン、心配性なやつめ。

だが、リーダーとしては、それくらいで丁度いいのかもしれんな」

ギドさんは、そう言うと、

ようやく手を止め、

磨き上げた『氷爪』の、その鋭い輝きを、

満足そうに、月明かりにかざした。


その時だった。

俺たちの背後から、

静かな、しかし確かな足音が近づいてきた。

銀髪の騎士、カイ様だった。


彼は、ギドさんの前に、静かに、しかし毅然と立つと、

これまで、その身から片時も離したことのなかった、

自らの腰の愛剣を、

ゆっくりと、しかし一切の迷いなく抜き放ち、

そして、ギドさんに向かって、

その柄を、両手で、恭しく差し出した。


「…ギド殿」

カイ様の、その美しい紫色の瞳は、

真っ直ぐに、ギドさんの顔を見据えている。

その瞳には、これまでの、俺たちへの警戒の色はない。

あるのは、一人の戦士としての、

純粋な、そして絶対的な信頼だけだった。


「この剣を、あなたに託したい。

明日の、アリア様と、この国の未来を賭けた戦いのために、

最高の、そして最強の状態に仕上げていただきたい」


それは、騎士にとって、

自らの魂を差し出すにも等しい行為。

彼が、俺たちを、

そしてギドさんの力を、

本当の意味で、心の底から認めてくれた証だった。


ギドさんは、一瞬、驚いたように目を見開いたが、

やがて、その口元に、

ニヤリと、しかしどこか嬉しそうな、

最高の笑みを浮かべた。


「…フン。

姫さんの、その大事な護衛騎士様の、

大事な、大事な魂を、

この、ただのしがない鍛冶師である、わしに預けると申すか」


「…よかろう!」

「その、気高い覚悟、確かに受け取った!

このギド・アイアンハンドの、ドワーフとしての全ての名誉にかけて、

この世で最も鋭く、そして何よりも気高い、

お前の魂にふさわしい刃にして、返してやろう!」


ギドさんは、そう言うと、

カイ様の剣を、

まるで、生まれたばかりの赤子を抱くかのように、

優しく、そして慎重に受け取った。

二人の、言葉少なな、しかし誰よりも雄弁な戦士の間に、

静かで、しかし、どんな鋼よりも固い、

確かな信頼の絆が、確かに結ばれた瞬間だった。


俺は、その光景を、

ただ、胸が熱くなるのを感じながら、

静かに見守っていた。


***


その頃、船室では、

リリアさんとアリア様が、

ランプの、優しい灯りの下で、

二人きりで、静かな時間を過ごしていた。


「リリアさん…

あなたといると、

わたくしは、なぜか、

ただの『アリア』でいられるような気がしますわ…」


アリア様は、

そっと、その優美な仮面を外し、

美しい、しかしどこか儚げな素顔のまま、

リリアさんに、優しく微笑みかけた。

その瞳には、領主としての厳しい光はなく、

一人の、ただの少女としての、

穏やかで、そして少しだけ寂しげな色が浮かんでいる。


「わたくしは、父が亡くなってから、

ずっと、ずっと一人だと思っておりました。

この重すぎる冠を、

この息が詰まるような仮面を、

たった一人で、背負っていかなければならないのだと…」


彼女の声は、

今にも、壊れてしまいそうなほど、

か細く震えていた。


リリアさんは、

何も言わずに、

そっと、アリア様の、その冷たい手を、

両手で、優しく包み込んだ。


「いいえ、アリア様。

あなたは、もう、決して一人ではありません」

リリアさんの、その温かい声は、

まるで、凍てついた心を溶かす、

春の陽光のようだった。


「私たちがいます。

ケンタさんがいます。

ギドさんも、カイ様も、リオさんも…

そして、リュウガさんや、ウィンドランナーさんたちも。

みんなが、アリア様と、

そして、このアクアティアという国の未来のために、

共に戦うことを、心に決めているんです」


リリアさんは、

アリア様に、

リンドブルムでの、賑やかで、

そして温かい日々のことを語った。

ケンタさんと初めて出会った日のこと。

『ドラゴン便』が、たくさんの人々の笑顔を運んだこと。

仲間たちと、笑い、時には喧嘩もしながら、

大きな困難を乗り越えてきた、冒険の日々のことを。


アリア様は、

その話を、まるで、

遠い、遠い、おとぎ話を聞くかのように、

静かに、そして食い入るように聞いていた。

その瞳には、次第に、

羨望と、そして、確かな希望の光が宿っていく。


「…ありがとう、リリアさん。

あなたのお話を聞いていたら、

なんだか、わたくしにも、

勇気が湧いてきたような気がしますわ」


「わたくしも、戦います。

領主としてではなく、

この国を愛する、一人の『アリア』として。

あなたたち、かけがえのない仲間と、

そして、ケンタ殿と共に…」


二人の姫君の間に、

身分や、立場を超えた、

姉妹のような、あるいは、

生まれる前から約束されていた、親友のような、

温かく、そして何よりも強い絆が、

確かに、結ばれた瞬間だった。


***


そして、俺は…。


仲間たちが、それぞれの場所で、

それぞれの誓いを立てている頃、

俺は一人、

リュウガの、その大きな、温かい体に寄りかかりながら、

この異世界に来てからの、

目まぐるしい、そして奇跡のような旅路を、

静かに、静かに、振り返っていた。


日本の、あの息が詰まるようなオフィス。

意味を見いだせない、ただひたすらに消耗するだけだった、

灰色の、絶望的な日々。


(あの頃の俺が、

今の俺を見たら、

一体、なんて言うだろうな…)


森での、リュウガとの運命的な出会い。

リリアさんの、太陽のような笑顔。

ギドさんの、不器用な優しさ。

運送ギルドとの、命懸けの戦い。

そして、この、世界の果てのような、

アクアティアの海で出会った、

気高く、そしてどこまでも優しい、

仮面をつけた姫君。


全てが、まるで、

壮大な、そして出来すぎた夢物語のようだ。


「なあ、リュウガ」

俺は、相棒の、

瑠璃色の、美しい鱗を撫でながら、

誰に言うでもなく、呟いた。


「俺、ちゃんとうまくやれてるかな。

リーダーとして、

みんなを、

ちゃんと、正しい未来に導けてるかな…」


それは、誰にも見せたことのない、

俺の、心の奥底にある、

ほんの少しの弱音だった。


「グルゥ…」

(何を、今更)


リュウガは、

俺の、そんな心の声を見透かすかのように、

優しく、そして力強く、

その大きな、温かい頭を、

俺の肩に、そっと擦り付けてきた。


その、言葉にならない、しかし誰よりも雄弁な励まし。

その、絶対的な信頼が、

俺の、心の奥底にあった、

最後の、僅かな迷いを、

完全に、そして綺麗さっぱりと吹き飛ばしてくれた。


「…そうだよな。

俺は、もう、一人じゃないんだ」


俺は、ふっと、笑みがこぼれるのを感じた。

そうだ、俺には、

この、最高の仲間たちがいる。

そして、何よりも、

この、かけがえのない相棒がいる。


「よし!」

俺は、力強く立ち上がった。

夜空には、

双月の、その神秘的な光が、

俺たちの、進むべき未来を、

明るく、そして力強く照らし出している。


「行こうぜ、リュウガ。

俺たちの、最高の未来を、

この手で、掴み取りに!」


夜が、明ける。

決戦の、朝だ。

全ての準備は、整った。


甲板には、

それぞれが、新たな決意を、

そして揺るぎない覚悟を、

その瞳に宿した仲間たちが、

静かに、しかし力強く、集結していた。


リオさんが、舵を取る。

ギドさんが、魔力エンジンを唸らせる。

カイ様が、ギドさんが鍛え直した、

新たな輝きを放つ剣を、静かに抜く。

そして、リリアさんとアリア様が、

そっと、手を合わせ、祈りを捧げる。


俺は、リュウガの背に跨り、

仲間たちの顔を、一人一人、

確かに見渡した後、

昇り始めた、朝日に向かって、

高らかに、そして力強く、号令をかけた。


「出航だ!!」

「目指すは、『賢者の隠れ島』!」

「そして、俺たちの、新しい未来だ!!」


希望と、決意と、

そして、かけがえのない仲間たちとの絆を乗せた

『さざなみ号』と、俺たちの翼は、

朝日の中を、

運命が待つ、双月の大海原へと、

今、静かに、そして力強く、

その輝かしい航海を開始した。

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