第108話 古文書の謎と、星の導き
ネプトゥーリアの偵察艇を、
俺たちの、そして仲間たちの連携で無力化することには成功した。
だが、それは、この戦いの終わりを意味するものではない。
むしろ、本格的な戦いの始まりを告げる、
不吉なゴングの音に過ぎなかった。
「…この入り江も、もう安全じゃない。
奴らの本隊が、いつ異変に気づいてやってくるか分からない」
秘密の入り江の、さらに奥深く。
巨大なマングローブのような木々の根に隠された、
天然の洞窟に『さざなみ号』を停泊させながら、
俺は、厳しい表情で仲間たちに告げた。
船の上には、これ以上ないほどの緊張感が、
まるで目に見えない重い鎖のように、ずしりと垂れ込めている。
「ケンタ殿の言う通りです。
我々に残された時間は、あまりにも少ない…」
フィンレイ様も、その老練な顔に、
隠しきれない焦りの色を浮かべていた。
「リリアさん」
俺は、この場の、そして俺たちの未来の全てを託すように、
彼女の名前を呼んだ。
「古文書の解読、お願いできるか?
俺たちの、この先の道筋を照らし出せるのは、
もう、君のその力しかないんだ」
「…はいっ!
私、頑張ります!」
リリアさんは、
俺の、そしてその場にいる全員の期待を、
その小さな双肩に一身に受け止め、
こくりと、しかし力強く頷いた。
その瞳には、もう不安の色はない。
あるのは、仲間を、そしてこの国の未来を救うという、
揺るぎない、強い意志の光だけだった。
俺たちは、船室の中央に、
アクアティアに代々伝わるという、
歴史の重みが染み込んだ古文書の巻物を、
厳かに、そして慎重に広げた。
ギドさんとカイ様は、船の外で、
そしてリュウガとウィンドランナーたちは、上空で、
息を殺して、周囲の警戒にあたってくれている。
ピリピリとした、一瞬の油断も許されないような空気が、
船全体を支配していた。
リリアさんは、
その古びた羊皮紙の前に、静かに座り込むと、
そっと目を閉じた。
まるで、薬草の、その僅かな香りの違いや、
葉脈の、微細な形の差を見極める時のように、
全神経を、目の前の古代の文字へと集中させていく。
彼女の周りの空気だけが、
まるで違う時間が流れているかのように、
静かに、そしてどこまでも澄み切っていくのが、
俺には分かった。
「…この文字…
やっぱり、リンドブルムのお父さんの書斎にあった、
あの古い本に出てきた文字と同じです…」
やがて、ゆっくりと目を開けたリリアさんが、
確信に満ちた声で呟いた。
「あの本は、ただの薬草の本じゃなかった。
古代の、森の精霊たちと交信するための、
儀式に使われた薬草について書かれた、
特別な、特別な本だったんです」
「だから、この文字たちも、
一つ一つが、ただの意味を持つ記号じゃない。
星の輝きや、月の満ち欠け、
植物の芽吹きや、風の流れ、
そして、竜の鱗の形…。
この世界の、自然のあらゆるものを象った、
象形文字に、とても近いものなんです」
リリアさんは、そう言うと、
まるで、長年の友と再会したかのように、
愛おしそうに、その古代文字の表面を、
細く、白い指先で、そっと撫でた。
そして、彼女の、その驚くべき解読作業が始まった。
「ケンタさん、この、渦を巻いているような文字…
これは、おそらく『風』、あるいは『海流』を意味しています。
そして、その隣にある、この三つの点の集まりは、
南の空に輝く、あの『海の三つ子星』の位置を示しているはずです」
「アリア様、この、王冠のような形をした文字には、
見覚えがございませんか?
これは、アクアティア公爵家にのみ伝わるという、
特別な紋章のデザインに、とてもよく似ているような…」
「それから、この、まるで蛇が絡み合ったような、
複雑な模様の文字ですが…」
「ケンタさん、スキルウィンドウで、
『竜骨山脈にのみ自生するという、
二つの頭を持つ、幻の薬草』について、
何か情報を調べることはできませんか…?」
リリアさんの、その驚異的な記憶力と、
薬草学の深い知識、
そして、女性ならではの細やかな観察眼が、
これまで誰も解き明かすことのできなかった、
古代の謎を、
まるで、絡まった糸を一本一本、
丁寧に解きほぐしていくかのように、
少しずつ、しかし確実に、解明していく。
俺も、スキルウィンドウの情報分析機能を最大限に活用し、
彼女の解読を全力でサポートする。
アリア様も、公爵家に伝わる断片的な伝承や、
父君レオン様から、幼い頃に聞かされたという
おとぎ話のような記憶を元に、
貴重なヒントを与えてくれた。
三人の、異なる知識と、異なる視点。
それが、まるで美しい三重奏のように重なり合い、
古文書の謎は、
パズルが、その最後のピースを見つけて
カチリと音を立ててはまっていくかのように、
驚くべき速さで、その真の姿を現し始めていた。
そして、どれほどの時間が経っただろうか。
船室の窓から差し込む光が、
優しい夕焼けの色に変わり始めた頃。
リリアさんが、ふと顔を上げた。
その表情は、これまでに見たこともないほど、
真剣で、そして厳かなものだった。
「…分かりました…!
ケンタさん、アリア様…!
『賢者の隠れ島』への道筋が、
そして、そこへたどり着くための、
最後の条件が、ついに…!」
彼女は、ゴクリと唾を飲み込むと、
震える声で、
古文書の、最も重要な一節を、
ゆっくりと、しかしはっきりと読み上げた。
「『…蒼き竜の翼に乗りし者、
二つの、源を同じくする光を束ねし時、
星の海に、隠されし道は現れん…』」
二つの、源を同じくする光…?
その、謎めいた言葉に、
俺たちは、再び顔を見合わせた。
「二つの光、ですって…?
それは、一体、何を意味しているのかしら…?」
アリア様が、困惑したように呟く。
「フン、太陽と月、といった、
そんなありきたりなもんじゃねえだろうな。
もっと、特別な何かのはずだ」
いつの間にか船室に戻ってきていたギドさんが、
腕を組み、唸るように言った。
「あるいは、アリア様の持つ『海神の涙』の、
あの神聖な光と、
それに対応する、何か別の、
対となる古代の遺物が、
この世界のどこかに存在する、ということだろうか…?」
カイ様も、鋭い考察を口にする。
二つの光…。
その言葉を聞いた瞬間。
俺の脳裏に、
あの嵐の海での、衝撃的な光景が、
まるで雷に打たれたかのように、
鮮やかに、そして強烈に蘇った。
アリア様が、その命を懸けて放った、
天を衝くほどの、神々しくも悲しい、
青白い光の柱。
そして、それに呼応するかのように、
俺の目の前で、
これまでにないほど激しく明滅し、
けたたましい警告を発し続けた、
俺の、この『異世界物流システム』の、
半透明のウィンドウが放つ、未知なる光。
異なる、二つの光。
しかし、源を同じくする…。
(まさか…!)
俺のスキルは、この世界に来る時に、
あの、優しい女神(?)のような存在から授かったものだ。
そして、その力の根源は、
俺たちが探し求める、あの『深淵の水晶』にあるのかもしれないと、
俺は、漠然と感じていた。
そして、アリア様の『海神の涙』もまた、
おそらくは、その『深淵の水晶』と、
深く、そして分かちがたく結びついている。
だとしたら…!
(「二つの光」の、そのもう一つは、
俺の、この『異世界物流システム』が放つ、
この光のことだというのか…!?)
俺が、自らの、そのあまりにも突拍子もない仮説に、
震撼し、言葉を失っていると、
それまで黙って古文書の星図を眺めていた船長のリオさんが、
ポン、と手を打った。
「へっへっへ、なるほどな。
そういうことかい。
『星の海に道が開かれる時』、ねぇ」
彼は、ニヤリと笑い、
俺たちに向き直った。
「そいつなら、心配はいらねえよ。
この俺に任せな。
俺たち、語り部の一族に伝わる、
いにしえの星読みの術によれば、
二つの月が、まるで恋人同士のように重なり合い、
海と空の境界線が、一年で最も曖昧になる、
特別な夜がある」
「人々は、それを『双月の夜』と呼ぶ。
そして、その、奇跡の夜は…」
リオさんは、そこで一度、
勿体ぶるように言葉を切ると、
窓の外の、水平線に沈みゆく太陽を見つめ、
そして、深刻な、しかしどこか楽しげな顔で、
はっきりと、こう告げた。
「…三日後だ」
その言葉に、
船室の空気は、再び、
ピリリとした、そして決戦前夜の、
心地よい緊張感に包まれた。
タイムリミットは、三日後。
俺たちの、本当の冒険の始まりを告げる、
運命の時は、
もう、すぐそこまで迫っていた。




