リリアの冒険日記 第九話:旅商人の悩みと、星空を運ぶ箱
風花の村に、
お母さんの想いと、故郷の風の音を届けることができた日。
あの日の、息子さんの涙と、
「ありがとう」という温かい言葉は、
私の心の中で、
いつまでもキラキラと輝く宝物になった。
ケンタさんが教えてくれた「物流」という言葉。
それは、ただ物を運ぶだけじゃない。
人の心を、想いを、そして時には夢や希望さえも乗せて、
空を駆ける、魔法みたいなものなんだ。
そう思うと、
この『ドラゴン便』のお仕事が、
ますます誇らしく、そして愛おしく思えた。
『マルチ・コントロール・ボックス』の初仕事は大成功。
その噂は、リンドブルムの商人たちの間でも、
あっという間に広がったみたいだった。
ギドさんの工房には、
「うちの商品も、あの特別な箱で運んでくれないか」という
問い合わせが、時々来るようになったらしい。
ギドさんは「フン、わしの技術は安売りせん!」と
憎まれ口を叩きながらも、
その目は、どこか嬉しそうだった。
そんな、希望に満ちた日々が続いていた、
ある日の昼下がりのこと。
薬屋の店先に、
見慣れない格好をした男性が、
大きな革袋を抱えて、困ったような顔で立っていた。
年の頃は三十代くらいだろうか。
旅慣れたような、少し日に焼けた肌と、
鋭い、しかし人の良さそうな目が印象的な人だった。
「あの…こんにちは。
何か、お困りごとですか?」
私が声をかけると、
男性は、ほっとしたような顔でこちらを向いた。
「ああ、嬢ちゃん、すまないね。
実は、薬を探しているわけじゃないんだ。
この街で、最近すごいと噂の
『ドラゴン便』という運び屋さんのことを
聞きたくてね。
薬屋の娘さんなら、何か知っているかと思って…」
「ドラゴン便、ですか?」
私は、ドキリとしながらも、
平静を装って聞き返した。
ケンタさんたちのことは、まだ秘密にしなくちゃいけない。
「ええ。実は、私は、
アースガルド大陸のあちこちを旅して、
珍しい食材や工芸品を売り歩いている、
しがない旅商人なんだがね…」
男性は、そう言って、
抱えていた革袋を、
まるで宝物のように、そっとカウンターの上に置いた。
「今、とてつもなく厄介で、
そして、とてつもなく価値のある荷物を抱えていてね。
どこの運送ギルドに頼んでも、
『そんなもの、運べるわけがない』と、
門前払いされてしまって、途方に暮れていたんだ。
そんな時、ある商人から、
『リンドブルムには、どんな荷物でも、
風のように速く、そして神のように丁寧に運ぶ、
奇跡のような運び屋がいる』と聞いて、
藁にもすがる思いで、ここまで来たんだよ」
奇跡のような、運び屋さん…。
なんだか、少し恥ずかしいけど、
でも、すごく嬉しい。
ケンタさんたちの頑張りが、
ちゃんと人々に伝わっているんだ。
「その、厄介な荷物というのは、
一体どんなものなんですか…?」
私が尋ねると、
旅商人の男性は、声を潜め、
そして、革袋の口を、ほんの少しだけ開けて見せてくれた。
その瞬間、
私は、思わず「わぁ…」と、
小さな声を漏らしてしまった。
革袋の奥で、
まるで夜空からこぼれ落ちた星のかけらのように、
淡い、青白い光を放つ、
小さな、小さなキノコが、
いくつも、いくつも、
まるで呼吸をするかのように、
優しく明滅していたのだ。
「これは…『星影だけ』…?
古文書でしか見たことのない、幻のキノコ…!」
「おお! 嬢ちゃん、よく知ってるな!
そうだ。その名の通り、
星の光を浴びて、深い洞窟の奥でしか育たんという、
幻のキノコさ。
その味と香りは、まさに天上のものだと言われていてね。
遠い東の国の、ある食通の貴族様から、
『どんな大金を払ってでも手に入れたい』と、
特別に依頼された品なんだ」
旅商人の声は、誇らしげだった。
「ですが…このキノコは、
空気に触れたり、温度が少しでも変わったりすると、
あっという間に、その光と香りを失ってしまう、
とてもデリケートなもののはずです。
これを、遠い国まで運ぶなんて…」
それは、月雫草や風鈴草以上に、
難しい依頼に思えた。
「その通りだ、嬢ちゃん。
だからこそ、困っているんだ。
このキノコを、新鮮なまま、
そして光を失わないまま、
貴族様の晩餐会に間に合うように届けるなんて、
普通の方法じゃ、絶対に不可能だ。
だが、ドラゴン便なら、あるいは…」
旅商人の目は、
最後の希望を託すように、
私をまっすぐに見つめていた。
(空気に触れるとダメ…
温度変化にも弱い…
ケンタさんが言っていた、
酸素が新鮮さの敵になる、って話かしら…?
それに、冷たさを保つだけじゃなく、
光も遮らないといけない…)
私の頭の中に、
ケンタさんの言葉と、
ギドさんの工房で見た、
あの銀色の箱の姿が、
鮮やかに思い浮かんだ。
「…分かりました。
少し、お時間をいただけますか?
もしかしたら、
私たち『ドラゴン便』なら、
お力になれるかもしれません」
私は、旅商人にそう告げると、
お店を再びお父さんに任せて、
ドラゴンステーションの、
ギドさんの工房へと駆け出した。
私の胸は、新たな、
そしてとてつもなく難しい挑戦への期待で、
大きく、大きく高鳴っていた。
「…なんだと?
空気に触れるとダメなキノコだと?
しかも、冷たく、暗い場所でなければならん、と?
フン、次から次へと、
面倒な荷物ばかり見つけてきおって、この嬢ちゃんは…!」
私の話を聞いたギドさんは、
いつものように、盛大に悪態をついた。
だが、その目は、
もうすっかり、
新しい発明に取り憑かれた職人のそれになっていた。
「だが、面白い…!
ケンタの小僧が言っていた、
『真空包装』とかいう、
中の空気を抜いてしまう技術か?
いや、それではキノコが潰れてしまうかもしれん。
ならば…」
ギドさんは、工房の隅から、
何やら怪しげな、黒光りする鉱石を取り出してきた。
「この『沈黙の石』はな、
燃やすと、空気よりも重く、
そして、どんなものとも反応しない、
不活性な気体を発生させる性質がある。
もし、この気体で箱の中を満たし、
外の空気を完全に追い出すことができれば…
あるいは、その『星影だけ』とやらを、
新鮮なまま運べるかもしれんぞ…!」
「すごい…!
ギドさん、そんなことまでできるんですか!?」
「フン、当たり前だ!
わしはただの鍛冶師じゃない。
ドワーフの錬金術師の血も引いておるんでな!」
その日から、
私たちの、新しい『特殊環境コンテナ』の開発が、
再び始まった。
ケンタさんは、
『ガス置換包装』という、
彼がいた世界の高度な技術の知識を元に、
箱の中の気体を、いかに効率よく、
そして安全に入れ替えるかの仕組みを考案した。
ギドさんは、
そのアイデアを、
ドワーフの錬金術と、
卓越した金属加工技術で見事に形にしていく。
そして私は、
薬草の知識を活かし、
星影だけが好む、洞窟の奥深くのような、
最適な湿度と、微かな光の環境を、
箱の中に再現するためのアイデアを出した。
(例えば、月の光を吸収して、
夜の間にだけ淡く光る特殊な苔を、
箱の内壁に貼り付ける、など)
それは、まさに、
三人の知恵と技術と、
そして「届けたい」という強い想いが結集した、
究極のコラボレーションだった。
そして、数日後。
ついに、その箱は完成した。
それは、ギドさんが作った『コールドボックス』を
さらに改良し、
内部の気体を自在に操ることができる、
『ガス置換式・超低酸素コールドボックス』。
ケンタさんは、それを、
「もはや、異世界の科学の結晶だな…」と、
呆れたように、しかし最高に嬉しそうに笑って言った。
私たちは、その魔法の箱に、
旅商人から預かった、
星のように輝くキノコを、
一つ一つ、丁寧に、大切に収めた。
そして、その荷物は、
リュウガさんの、最も信頼できる翼に乗せられ、
遥か東の国の、食通の貴族の元へと、
風のように、いや、光のように届けられたのだ。
後日、その貴族から、
旅商人を通じて、
最大限の賛辞と、
そして、俺たちが想像していた以上の、
莫大な報酬が届けられたのは、
言うまでもない。
「あのキノコの味と香りは、まさに天上のものだった。
そして、添えられていた、
薬屋の娘君が書いたという、
最高の調理法のメモもまた、
素晴らしい芸術品だった」と。
私は、その言葉を聞いて、
顔が真っ赤になるほど恥ずかしかったけれど、
でも、心の底から、
嬉しくて、誇らしくて、
涙が出そうになった。
私の、小さな「おせっかい」も、
ちゃんと、誰かの笑顔に繋がっているんだ。
そう思うと、
私の「わくわくする市場調査」の旅は、
もっともっと、素敵なものになるような気がした。




