リリアの冒険日記 第五話:初めてのコールド輸送
ギドさんの工房の片隅で、
銀色の、不思議な輝きを放つ箱が、
静かにその出番を待っている。
『薬草専用コールドボックス・マークI』。
ケンタさんの現代の知識と、
ギドさんのドワーフとしての卓越した技術、
そして、私の「こんな箱があったらいいな」という、
ささやかな願いが形になった、
世界でたった一つの、特別な箱。
その箱を前にして、
私の心臓は、期待と、
そしてほんの少しの不安で、
トクン、トクンと高鳴っていた。
「よし、リリアさん。
この『マークI』の、記念すべき初任務だ。
何を運んで、その性能を試してみようか?」
ケンタさんが、
まるで新しいおもちゃを前にした子供のように、
目をキラキラさせながら私に尋ねた。
その瞬間、私の頭の中に、
ふわりと、ある光景が思い浮かんだ。
それは、数日前の市場調査で出会った、
『せせらぎの村』の、あの優しい蜂蜜売りのおじいさんの、
少しだけ寂しそうな笑顔だった。
「ケンタさん…!
あの、お願いがあるんです!」
私は、思わず声を上げていた。
「せせらぎの村の、あの蜂蜜を運んでみたいんです!
あのおじいさんの蜂蜜は、本当に美味しくて、
リンドブルムに持ってくれば、
絶対にみんなが喜んでくれるはずです!
でも、瓶が割れるのが心配で、
運ぶのを諦めてしまっているって…」
私の言葉に、ケンタさんは、
一瞬、少しだけ驚いたような顔をしたが、
すぐに、いつもの太陽みたいな笑顔で、
力強く頷いてくれた。
「なるほど…!
壊れやすい瓶詰めの蜂蜜か!
確かに、この『マークI』の性能…
特に、ギドさんが工夫してくれた
衝撃を吸収する仕組みを試すには、
もってこいの荷物かもしれないな!
よし、決まりだ!
『ドラゴン便』初の、
『壊れ物注意・特別輸送ミッション』といこうじゃないか!」
ケンタさんのその言葉に、
私の心は、ぱあっと明るく花が咲いたみたいに、
嬉しさでいっぱいになった。
私の小さな発見が、
こうしてケンタさんの計画に繋がっていく。
そのことが、たまらなく嬉しかった。
次の日の朝、
私たちは、ウィンドランナーの中でも、
特に飛行が滑らかで、
丁寧な飛び方をするシルフィちゃんにお願いして、
三人で『せせらぎの村』へと向かった。
リュウガさんは、ちょうどヴェリタスへの
長距離輸送の仕事が入っていたのだ。
ギドさんは、
「わしは工房で、マークIIの開発があるからな。
だが、嬢ちゃん、絶対に箱を壊すんじゃないぞ!
わしの傑作に傷でもつけてみろ、
お前の髪で、工房の床を磨かせてやるからな!」
と、いつものように憎まれ口を叩きながらも、
その目には、確かな期待の色が浮かんでいた。
せせらぎの村に着くと、
蜂蜜売りのおじいさんは、
私たちが再び訪れたことに、
とても驚いたような、
そして嬉しそうな顔で迎えてくれた。
「おお、リリアちゃん!
それに、ケンタの旦那も!
どうしたんだい、こんな村までわざわざ」
「おじいさん、こんにちは!
今日は、おじいさんの自慢の蜂蜜を、
リンドブルムの市場まで運ばせていただきたくて、
お願いに上がったんです!」
私がそう言うと、
おじいさんは、困ったように眉を下げた。
「ありがたい話だがね、リリアちゃん。
前にも話した通り、
この蜂蜜は瓶が割れやすくてねぇ。
リンドブルムまでの道のりは、
荷馬車じゃあ、どうしても揺れてしまう。
せっかくの蜂蜜が、台無しになっちまうのがオチさ…」
「ふふふ、おじいさん。
その心配は、もういりませんよ」
私は、少しだけ得意げに微笑んで、
ケンタさんと一緒に、
あの銀色の箱…
『コールドボックス・マークI』を
おじいさんの目の前に、そっと置いた。
「こ、これは…?
なんて綺麗な箱なんだ…?」
おじいさんは、目を丸くして、
不思議な輝きを放つ箱に見入っている。
「これこそが、私たち『ドラゴン便』の秘密兵器です!
この箱の中は、
ギドさんの特別な工夫で、
衝撃をふんわりと受け止めてくれるようになっているんです。
だから、きっと、おじいさんの大切な蜂蜜も、
一つも割らずに、安全に運べるはずです!」
私の説明に、
おじいさんは、半信半疑といった顔をしていたが、
ケンタさんの力強い説得と、
そして何よりも、私の真剣な眼差しに、
最後は「分かった、君たちを信じてみよう」と、
頷いてくれた。
私たちは、おじいさんから、
キラキラと琥珀色に輝く蜂蜜の瓶を、
十数本、預かった。
その一つ一つが、
おじいさんの愛情と、
そして長年の経験が詰まった、
大切な、大切な宝物だ。
私は、薬屋の仕事で培った丁寧さで、
そして、この蜂蜜をリンドブルムの人たちに届けたいという
強い想いを込めて、
一本一本、瓶を柔らかな布と苔で包み、
コールドボックスの中へ、
まるで眠る赤ちゃんを寝かせるように、
そっと、優しく並べていった。
隙間には、ギドさんが用意してくれた
特殊な衝撃吸収材(フワフワした魔獣の毛を加工したものだ)を
丁寧に詰め込んでいく。
これで、準備は万端だ。
「おじいさん、必ず、大切にお届けしますからね!
楽しみにしていてください!」
私たちがそう言って村を後にする時、
おじいさんは、何度も、何度も、
深々と頭を下げて、私たちを見送ってくれた。
その目には、うっすらと涙が浮かんでいるように見えた。
リンドブルムへの帰り道。
シルフィちゃんの背中は、
いつもより、少しだけ緊張しているように感じられた。
大切な、そして壊れやすい荷物を運んでいるという責任が、
その小さな翼に、重くのしかかっているのかもしれない。
「大丈夫だよ、シルフィちゃん。
君なら、きっとできる。
ゆっくりでいいからね。
一番大事なのは、安全に届けることだから」
ケンタさんが、シルフィの頭を優しく撫でながら、
まるで父親のように語りかける。
シルフィも、その言葉に応えるように、
「ピャウ!」と、力強く一声鳴いた。
その日の飛行は、
これまでで一番、穏やかで、
そして優しいものだった。
シルフィは、ケンタさんの指示通り、
風の穏やかな谷間を選んで飛び、
そして、まるで水面を滑るかのように、
一切の揺れを感じさせない、
完璧な飛行を見せてくれた。
その姿は、本当に美しかった。
ドラゴンステーションに無事到着し、
私たちは、固唾を飲んで、
コールドボックスの蓋を開けた。
ギドさんも、心配だったのか、
いつの間にか工房から出てきて、
腕を組みながら、その様子を見守っている。
箱の中の蜂蜜の瓶は…
「…わぁ…!」
私は、思わず声を上げた。
一本も、割れていない。
ひび一つ、入っていない。
全ての瓶が、
私たちが詰めた時と全く同じ状態で、
静かに、そして美しく輝いていた。
「やった…!
やったぞ、ケンタさん! ギドさん!」
私は、嬉しさのあまり、
思わずケンタさんの腕に飛びついていた。
ギドさんも、「フン、当たり前だ」と、
ぶっきらぼうに言いながらも、
その口元は、確かに満足げに緩んでいた。
その日の午後、
私たちは、早速、せせらぎの村の蜂蜜を、
リンドブルムの中央市場へと運び込んだ。
そして、小さな試食会を開いてみることにした。
「さあさあ、皆さん、寄ってらっしゃい見てらっしゃい!
こちらは、せせらぎの村でしか採れない、
幻の百花蜜ですよー!
『ドラゴン便』が、今朝、採れたてを運んできたばかりの、
とびきり新鮮で美味しい蜂蜜です!」
私が少し恥ずかしがりながらも、
精一杯大きな声で呼びかけると、
市場を行き交う人々が、
興味深そうに、次々と集まってきた。
そして、その蜂蜜を一口舐めた人々は、
皆、一様に目を見開き、
そして、とろけるような笑顔になった。
「なんだこの蜂蜜は!
花の香りが、口の中いっぱいに広がるぞ!」
「こんなに濃厚で、コクのある蜂蜜は、
生まれて初めて食べたわ!」
「うちの子、蜂蜜は苦手だったのに、
これは美味しいって、もっと欲しがってるのよ!」
せせらぎの村の蜂蜜は、
あっという間に、市場中の評判となった。
用意した分は、瞬く間に売り切れてしまい、
「次はいつ入るんだい?」
「うちの店でも扱わせてくれないか?」
という嬉しい問い合わせが、
あちこちの商人から殺到した。
その日の夕方、
私は、売り上げの代金(それは、おじいさんが想像していたよりも、
ずっと大きな金額になっていた)と、
そして、市場の人々からのたくさんの感謝の言葉を、
再びシルフィちゃんに乗せてもらい、
せせらぎの村のおじいさんの元へと届けに行った。
おじいさんは、
信じられないという顔で、
ずしりと重い銅貨の袋を受け取ると、
やがて、その深い皺が刻まれた顔を、
くしゃくしゃにして、
子供のように声を上げて泣き出した。
「ありがとう…本当に、ありがとう、リリアちゃん…。
わしが、長年、心を込めて作ってきた蜂蜜が、
こんなにもたくさんの人に喜んでもらえるなんて…。
夢のようだ…本当に、夢のようだ…」
その姿を見て、
私の胸にも、熱いものが込み上げてきた。
ケンタさんが言っていた、
「物流は、ただ物を運ぶだけじゃない。
人の想いを繋ぎ、生活を豊かにする力があるんだ」
という言葉の意味が、
今、心の底から、はっきりと分かった気がした。
私たちの『ドラゴン便』は、
ただ蜂蜜を運んだだけじゃない。
せせらぎの村のおじいさんの長年の想いと、
リンドブルムの人々の「美味しいものを食べたい」という願いを、
繋ぐことができたんだ。
そして、その繋がりの先に、
こんなにも温かくて、
素敵な笑顔が生まれるんだ。
帰り道、
夕焼けに染まるリンドブルムの空を飛びながら、
私は、今日の出来事を、
心の中の日記に、そっと書き留めた。
ケンタさんの役に立ちたい、
その一心で始めた市場調査。
でも、それはいつの間にか、
たくさんの人々の笑顔に繋がる、
大きな、大きな冒険になっていた。
(もっと、もっと知りたいな。
この世界の、たくさんの人々の、
小さな声と、ささやかな願いを。
そして、それを、
ケンタさんと、リュウガさんと、
ギドさんと、そして、




