サヴァランのお出まし
舞踏会の行われる広間の中は、予想よりも多くの招待客が前国王の訪れを待っていた。
「前国王は、まだ来られていないようですね。」
ロザリアが広間の中を見渡し、エミリアやマシ達数人の顔を見知った人間を見つける。
「あの方は…退位されてから初めての公の場といってもいい場ですからね。多少時間がかかるのは仕方がないでしょう。」
エスコートする宰相はロザリアの言葉を軽く流す。
辺りがざわめく。
白い礼式用の着衣から、白い舞踏会ようの服に着替えたリュミエールが現れた合図だった。
幾人かの若い娘達が、好意を隠さずリュミエールと言葉を交わしている様子が見て取れた。
貴婦人達と戯れるリュミエールと視線が合う。
…いよいよ始まる。
前国王という強力な後ろ盾を持ったリュミエールの花嫁に会い、寵姫の任を解かれる。暇な貴族たちのあざ笑うだろうか声が思い浮かぶ。
それよりも、リュミエールが花嫁に微笑みかけるだろうかと思うと、ロザリアは自分の表情がこわばりそうになるのを感じた。
「緊張されていますか?」
宰相が気遣ってくれる。
あざ笑う声も予想できている。
リュミエールが他の姫の手を取る姿も予想している。
けれど現実が近づくだけでこんなにも胸が痛くなるなんて。
「大丈夫です。」
「……緊張をとくおまじないです。陛下はお子様でいたずらっ子なんですよ。」
唐突に宰相が、小さな声でリュミエールの昔話を始めた。
「そういう話なら、わしも得意じゃな。」
宰相の後ろから、白いひげが印象的な老人が声をかけてきた。
「ゴードン伯爵。こちらはロザリア様です。」
宰相が話しに招き入れるようにロザリアに引き合わせる。
「ロザリアと申します。」
ロザリアは優雅に腰を折る。
「陛下が少年のとき、一時我が家に滞在されたことがありましてな。」
気さくな様子でゴードン伯爵がリュミエールとの関係を口にする。
ロザリアはにこやかに頷きながら、膨大な貴族達の名前を覚えた時の記憶を引っ張り出す。
「確かお孫様がお生まれになったばかりだとか…おめでとうございます。」
「よくご存知で。」
ゴードン伯爵の目が光った気がした。
「こういった場所は苦手な田舎者でしてな、普段は山間に逃げ込んでいるのですが、断りきれず…いやはや。」
そう言ってゴードン伯爵は肩をすくめた。
「マスキンとの国境を守る重要な役割を果たしている伯爵の言葉とは思えませんね。」
宰相が軽く受け流した。
「堅苦しいのは苦手です。」
そう言ってゴードン伯爵は、首もとの襟を少し崩す。
「ロザリアさまはお菓子がお好きですとか…サヴァランをご存知ですか?」
「ええ。」
「うちの家内がサヴァランを作るのが得意でしてな、ぜひ一度お味見をしていただきたい。」
柔らかいパンに、甘酸っぱい果物とクリーム、ほのかな酒の香りと紅茶の香りが入り混じったお菓子を思い出す。
大好きなお菓子を思い出してロザリアの顔は自然と笑顔になった。
「ええ、もちろんです。」
「それにしても、陛下はもてますな。」
ゴードン伯爵が貴婦人に囲まれるリュミエールに視線をやる。
「こんなかわいらしい人がいるのに、まったく。」
ロザリアは苦笑する。
「おや?」
ゴードン伯爵が首をかしげた。
「どうされました?」
「いや友人の忘れ形見を見つけまして、あの娘もわしと同じで華やかな場所は避けていたのに…おかしいですな。」
ゴードン伯爵の言葉につられて二人は視線をリュミエールのほうにやる。
一人の娘が視線に気が付いたのかゴードン伯爵の方に軽く頭を下げ、寄ってくる。
「おじさま、お会いしたかった。」
そう声をかけたのはシンプルな深緑のドレスを身に着けたカエ伯爵令嬢だった。
「今お前の事を話していたのだよ。妹の友人の忘れ形見、カエ伯爵の娘ですが実際には姪るんですがね。」
「確か父母をなくされて、カエ伯爵が貴方が成人するまでという約束で爵位を継がれたのですね。」
すこし青ざめたカエ伯爵令嬢が頷いた。
「少し…お話ができませんか?」
カエ伯爵令嬢が人ごみのないバルコニーに視線を向けた。
「何を話している。」
カエ伯爵令嬢の問いかけに返事をするより先に、タイミングよくリュミエールが貴婦人の群れを抜け出し声をかけてきた。
「よく似合っている。」
リュミエールが一瞬何を言っているのかわからなかったロザリアは不思議そうな表情を見せた。
「少し足りないな。」
そういって自分の胸に飾られた白い大輪のバラと小さな赤いつぼみのバラがアクセントになったコサージュをロザリアの髪に挿す。
「…まさしく大輪の花をさかせるな。」
リュミエールがおかしそうに笑う。
「陛下。」
咎める口調で宰相が声をあげた時-
「前陛下のおでましです。」
近衛兵の声が響く。
視線が一段上の上座に目が集まる。
白いカーテンの中から、ゆっくりと、そして、しっかりとした歩調で現れた壮年を少しすぎた前陛下の面影はリュミエールによく似ていた。
そして、ロザリアは目を大きく見開いた。




