甘い香りは危険なスイーツ
少し日も傾きかけたころ、月の離宮ではマリアのはしゃぐ声が響いていた。
「さすが私の姫様。」
大きな鏡台の前には着飾った姿のロザリアが立っていた。
大輪の花が咲き誇るようにボリュームのあるスカートに、布の流れが美しくドレープを描く。ローズピンクを基調としたドレスはロザリアの白い肌によくはえ、白い肌をより一層白く輝かせていた。
「姫様、顔が。」
美しい容姿とドレスはまさに咲き誇る薔薇のようだったがロザリアの表情だけが暗く沈んでいた。
「着飾るのは嫌いなのよ。」
ぼそりとつぶやく。
「お綺麗ですのに。」
「だから嫌なのよ。」
容姿と同じように美しい姫でいることはできないから、思わずロザリアは悪態をつく。
「まあ、ご冗談を。今日はあの盆暗…ではありませんわ、王子の歓迎会ですもの、姉である姫様が出席しないわけにはいきません。」
マリアはそう言いながら、仕上げの紅を顔の上に軽くのせ、柔らかい刷毛ではらう。
「よく似合っている。」
鏡の向こうでリュミエールの姿が映る。
「着替えをのぞかれるのはいいご趣味ではありませんかと…」
ロザリアは嫌味を含めて返す。
久しぶりの会話にリュミエールの眉が少し動いた。
「小娘じゃなかったのか。まさか色気付いたのか。」
さらりとリュミエールは返答する。
「小娘でございますが、エスコートしていただけますか?おじさま。」
そう言ってロザリアは不遜な笑顔をリュミエールに向けた。
リュミエールは咎めることもせず、ゆっくりとロザリアの手をとった。
公式訪問ではない王子のために、あえて大広間ではなく鏡の間とよばれる広間での歓迎の舞踏会が始まろうとしていた。
「では、ご挨拶ですね。おじさま、小娘は後で参ります。」
ロザリアは皮肉をいいながら優雅に広間の前で腰を折る。
寵妃であろうと、どんなに小さな催しであろうと、正妃でないものが王の入場の際には連れ立って入らない。
この国の慣習通り王が入った後、時間をみて舞踏会に入ろうとしたロザリアの言葉をリュミエールは一蹴した。
「なにを言っている。弟の到着を祝う舞踏会だぞ。開けろ。」
ロザリアが拒否の声を出すよりも先に、腰に手を回されて、広間の扉の前にたつリュミエールが近衛兵に声をかけた。
待ち構えたように近衛兵が重い扉を開けた。
鏡の間と呼ばれるだけあって、嫌味にならない程度に大きな鏡が壁を彩り、部屋の大きさ以上に大きく、部屋の明かり以上に眩く光り輝く部屋にしている。
公式訪問ではない王子のための宴のためか、いつもより集まる貴族の数は少ない。
けれど数が少ないからといって、むしろ数が少ないからこそ、重要な人間が招待されているようだった。
「陛下。」
引き寄せられた体をはがすように力を入れるがリュミエールは微動だにしない。
いくら小さな舞踏会とはいえ、王が登場する場面に寵姫とは言えただの側室が伴ってでるなどありえない。建前といえど、王は権力の頂点でありともに並ぶものは許されない。
それが非公式の舞踏会だとしても…
「ローザ。大丈夫だ。」
耳元で囁かれる言葉。
なにが大丈夫なのかわからないがローザと呼ばれたことのほうにロザリアは気をとられる。
王の登場とともに集まる視線。
開いてしまった扉に逃げ出したい気持ちをロザリアは押さえつける。
「どうなっても知りませんよ」
それは、承諾の言葉だった。
リュミエールのロザリアに回された手は中々離されることはなかった。
舞踏会の始まりの時でさえ、名残惜しそうに離されるリュミエール手は、恋の病に侵されているように誰が見ても感じ取れるものだった。
ロザリアはリュミエールの背後でリュミエールが何を考えているのか笑顔の仮面をかぶりながら考えていた。
弟の王子とリュミエールが親しそうに言葉を交わす。
飲み物が配られる。
簡単な始まりの挨拶の終了と共に、リュミエールが高く盃を掲げる。
舞踏会に集まった人々も盃を掲げる。
ロアリアも盃を手に取り、首を傾げた。
微かに香る匂い。
ロザリアは気がつけばリュミエールの盃を奪っていた。
「陛下。」
ロザリアは凛とした大きな声を出す。
「ロザリア。」
リュミエールが名前を呼ぶ。
ロザリアの行動に驚く様子もない。
「毒か。」
小さな声でいう。問いかけではなく確認の声。
「わかりません。」
小さな声でロザリアは答える。
ただ今までの知識が違和感を訴えていた。
そしてざわめく人々の中、身体を少し低くかがめ進む人影が視界の隅に入る。ざわめく会場に不自然な行動に、ロザリアはリュミエールの前に立つ。
そう、立った筈だった。
それなのにロザリアの手は強引にひかれ引き締まった体に抱きしめられていた。
そして、軽い衝撃。
「陛下?」
ロザリアが思わず声を上げた。
「大丈夫だ。」
すこし苦痛に歪めた顔のリュミエールが優しく言った。
貴族達の悲鳴が上がる。
「陛下。」
宰相の声が後ろで聞こえる。
ロザリアは宰相のほうに突き飛ばされる。
リュミエールは右腕から赤いものが流れていた。
そして血走った目のエリザが立っていた。
「エリザ?」
ロザリアが小さく声を上げた。
「逃した魚ですよ、まさか、こんなところに入り込んでいたとはね。」
宰相がいつもと同じ声で言った。
「陛下、容赦はできないな。」
マシも騒ぎの中心にいつの間にかやってきていた。
そしてエリザが動き出すよりも早く、エリザの後頸部に手刀を落とす。
エリザはあっけなく意識を手放す。
「陛下。申し訳ございませんでした。」
マシがひざを突き頭をたれる。
「いや、いい。王子には申し訳ないことをした。」
リュミエールが軽くマシに立つよう身振りで促し、王子に謝罪する。
「いい余興になりました。」
王子は驚いたそぶりも見せず、ゆっくりとざわめく会場の貴族達を見渡した。
そして、危険な香りのしないグラスを手にもつ。
「この国に幸せがあるように願って。」
そういってリュミエールの代わりにグラスを上げる。
騒がしい舞踏会の始まりだった。
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