第52話 国境の砦
―――修行10日目。
「とーちゃーく!」
長き苦行を乗り越え、ハルが馬車から飛び出す。街を出発して3日目のお昼前、俺達は漸く国境の砦に到着したのだ。木々と草原が茂るこの辺りは、風景だけで判断するならば平和そのもの。だが、道を遮るようにして建てられた砦は巨大であり、友好国といえどもそれなりに厳しい検問所が設置されている。尤も両国に顔を知れ渡っているネルが一緒なので、俺達はその心配をする必要がないのだが。向こう側に渡る訳でもないしな。
「騒ぎが起きてないところを見るに、何とか間に合ったみたいだな」
「そうね。でも、時間に余裕がある訳でもないわ。さっさと警備隊と合流しましょう」
カノンとムーノ君に馬車を預けるよう手続きを任せ、俺達は早足に砦の方へと向かう。その途中で騎士団の馬車に気付いたのか、アーデルハイトの兵がこちらにやってきた。
「ネル様、お待ちしておりました! ささ、中にて指揮官殿がお待ちです」
「ええ、案内をお願い」
案内人の兵に連れられ、砦の中を歩いて行く。道行く兵達はこちらを見るなり、というかネルを見るなり、キビキビとした敬礼を例外なくやっていた。その眼差しは敬意が半分、恐怖心が半分といった感じだ。この砦での評判も王城と変わらないようだ。やがて俺達はある一室へと通される。
「アーデルハイト魔法騎士団団長、ネル・レミュール様をお連れしました!」
「おお、来てくださいましたかっ!」
会議室と思われるその部屋には、他の兵士達よりも位の高そうな恰好した男が複数人いた。恐らくはこの砦のトップ達だろう。む、他にも違う種類の鎧を着た奴もいるな。あれは確か、タザルニアの。
「砦の指揮官を務めております、ジャネットです。こちらはタザルニアより緊急の応援に来てくださったライズ殿。国境を跨いでタザルニア側の砦を任されている方です」
何だ、もう応援来ちゃってたのか。フットワークが軽いな。でもなぁ……
「ライズです。我が方でもモンスターの異常行動を察知しておりまして、この度共同戦線を張りたく、参戦致しました。昇り龍の如く噂に名高いネル殿にお会いでき、更には共に戦える事になるとは感激の至り。是非とも、私らを―――」
「―――ああ、別に助力は要らないわ。うちの揉め事はこっちで勝手にけりをつけるから」
ネルは断るんだよなぁ。相手の立場なんてお構いなしに、これが相手国の王だったとしても同じ返答をするだろう。
「なぁ! し、しかし、ネル殿のお連れはごく少数の様子! そちらの御仁はなかなかの手練れのようですが、その人数ではとても魔王を2体、それもモンスターの軍団を相手するなど…… あ! もしや、外に他の騎士団の方々を待たせているので?」
「ええ、外にもいるわよ」
「な、なるほど。取り乱してしまい、申し訳ありませんでした。流石のネル殿でもそれはない―――」
「―――ここ1年で騎士団に入った新人が2人ほどね」
「………」
アーデルハイトの兵達とは違い、ネルに慣れていないライズさんとやらは押し黙ってしまった。ジャネット指揮官はこうなる事が分かっていた様子で、やれやれと首を横に振った。
「ライズ殿、だから言ったではありませんか。並の兵や騎士なら問題ですが、ネル団長が来てくだされば心配は要らないのです。例えそれが、魔王を自称する輩であろうとも」
「だ、だが、しかし…… うーむ」
彼も向こうの国の王に手助けするよう命令されているのか、なかなか退こうとしない。ジャネット指揮官はさっさと話題を変えるべきだと判断したのか、咄嗟に次へと話を転換した。
「ところでネル団長、ダガノフ殿は騎士団でも最古参の熟練騎士ですので私も存じていますが、そちらの方々は? 恰好からして、騎士の方ではないようですが」
「こっちの剣を持った黒髪の子が私の弟子。そっちの覇気のない男がデリスで、小さくて可愛いのがデリスの弟子よ。これで満足?」
覇気がないっておい。俺だって一生懸命生きてんだぞ……
「……ネル団長の、弟子ぃ!? あ、あの、そのような話は初耳なのですが、本当ですか!?」
ジャネット指揮官、今日一番の驚き。ネルと千奈津をブンブンと首を振りながら交互に見ている。まあネルが弟子をとるなんて誰も考えないだろうし、弟子入りしようとする奴がいるとも思っていなかったんだろう。
「身内に嘘ついてどうするのよ。心配なら本部に問い合わせてみなさい」
「い、いえ、そんな…… し、信じますとも、ええ!」
「待ってくだされ。そちらの男性、デリス殿と申しましたか? もしや引退された、あの『黒鉄』の?」
「ええ、まあ。よく知ってますね」
そんな昔の冒険者時代の二つ名、よく知ってるなこの人。アーデルハイトでも、もうそんなに知ってる奴はいないのに。ましてや俺は裏方専門だったし、尚更知名度は低いんだけどな。
「ま、真ですかぁっ!? 実は私、冒険者の出でして! あの、握手して頂いてもっ!?」
「あ、はい」
手を出してやると、両手で掴まれてこれまたブンブンと上下に振られる。ごつい手でそんなに力一杯握らないでください。
「なるほどなるほど……! 『殲姫』と『黒鉄』、そしてその弟子の方々が一緒なのであれば、確かに納得の話です。つまらぬ話をして申し訳ない、どうやら本当にタザルニアの出番はないようだ」
「それは何よりね。それじゃ、周辺の地図を用意してくれる?」
ライズの疑問も解消され、いよいよ本格的に作戦会議に入るようだ。作戦といっても、ネルの事だから非常にシンプルなものになると思うが。兵らが地図を用意していると、ハルが俺の袖先を引っ張った。見れば、千奈津もハルの横に並んでいる。
「あの、師匠達ってもしかして、昔からの有名人なんですか? 殲姫とか黒鉄って言ってましてけど」
「有名人っつうか、冒険者としてそこそこ名が知れてただけだよ。黒鉄とかは冒険者にありがちな二つ名だ。もう十年以上昔の事だから、覚えられていて逆に驚いたよ」
「冒険者だった頃、ですか。それに二つ名…… 格好良いですねっ! 私も早く欲しいなぁー」
何か、ハルが目をキラキラさせて見詰めてきた。この目はムーノ君のそれに似ている。この歳で二つ名なんて言われた日には、俺としてはかなり恥ずかしいんだけどなぁ…… 思春期だとやはり憧れてしまうものなんだろうか。
「刀を使うから、剣姫、とか…… それとも、光魔法と掛けて剣聖……?」
あ、千奈津の方も結構好きっぽい雰囲気だ、これ。千奈津には恩があるし、これは聞かなかった事にしておこう。記憶から消去消去っと。おっと、地図が来たようだ。
「2つの勢力はゴブリンやオークを道中で徐々に頭数を増やしながら、南北の両端からこの辺りに迫っています。確認された情報では、配下のモンスター達は親玉とするゴブリンキング、オークキングを『魔王様』と呼んでいるようです」
「あら、他のモンスターも言葉を喋るの?」
「片言ではありますが、どちらの集団もそのようですね。ただ、知能レベルはやはり低いようで、目的に関する情報は筒抜けでした。どこかに巣を作り、次の繁殖場所を探しているものとの知らせが届いています。モンスターの異常発生に警備隊が逸早く存在に気付き、行進速度も遅い事から周辺の村々の避難は間に合いました」
「ふーん。なら多少無茶な戦いをしても大丈夫、と」
良い事を聞いた、と満足気に頷くネル。団長様、まずは民衆の安心安全を喜んでくだされ。
「あ、いえ…… 可能であれば、村々の家屋の安全は確保して頂ければ、と……」
「まあ善処するわ」
「あ、ありがとうございます。それで、私達が予想している衝突場所なのですが、ここが怪しいと睨んでいます」
ジャネット指揮官が地図上のとある場所を指し示す。その場所はここからやや南東の平原地帯。この砦の屋上からも辛うじて見える距離に位置する所だ。
「よし、それじゃあ早速そこに陣を張りましょうか! あ、日よけの簡易テントと鉄板とかある? 腹が減っては戦ができぬとも言うし、向こうが来るまでバーベキューでもしながら待っているわ!」
「「………」」
高貴なるネル様は意外とアウトドア派だった。




