第五話:気づいた者
錆び付いた非常階段を上って行った。
カンカンカン―…と乾いた金属の音が続き、ある程度の高さまで来ると立ち止まって耳をすます。
夕刻に近づく街は次第に活気が消え去り、それを歓迎するかのように穏やかな夜風が吹き始めていく。雪華はそんな街を見渡しながら、今にも飛び出して仲間と合流したい思いをじっと堪えていた。
『しゃーねぇな。じゃあ顔を見られてるなら、大人しく留守番ってとこにしとけよ。な?』そう、昨夜言われた言葉が蘇る。
仲間はあえて叱るのでは無く、いつも雪華には諭すように言うのだ。ズルイと思う。
雪華は『絶対行くな』と言われれば、きっと簡単にそれを破る。そこを知っていてそう言うのだ。
「暇ですぅー。誰も遊んでくれないとセッちゃん怒りますよぅ」
手摺りにうなだれながら、雪華はぼやく。顔がバレていようが、怪我が酷かろうが雪華にとってそれはどうでもよいことの範疇だった。
だから尚更行きたくてしょうがない。
少し遠くで銃声が響いた。
「お兄さん見つかったんですねぇ。―…なんか近づいてきますよぉ?」
連続して鳴り響く銃声は、次第に近づき音が大きく響いた。
もし近くまで来るような事があれば、ここを離れる理由が出来ると、そう雪華は思い付き、身を乗り出してとおりを眺めた。
今、影が通り過ぎたような気がする。
そして、突如発砲音が鳴り響いたと同時に、盛大な音を立てて何かが通りに飛び出し、それは倒れたまま立ち上がる事が出来ない様子だった。
雪華は軽い足取りで階段を下り、倒れた者に近づいて行く。
足音を聞いた相手は直ぐさま振り返った。
その顔には見覚えがあった。
「あーあ。お兄さんは強いんですよぉ。言ったじゃないですかぁ。セッちゃんが言った事忘れちゃったんですかぁ?」
「なんだ雪華か…お前どうやってあいつと戦ったんだよ。強い癖に殺さないなんてなめてやがる」
「お兄さんはぁ?」
仲間は暗い路地に向かって指を指した。その方向は工業地区。入り組んでいる上にがらくただらけで、逃げられたら厄介な場所だ。
仲間はどうやら足を撃たれたらしく、悔しそうに顔を歪めた。
「セッちゃん殺ります♪いいですかぁ?」
「止められねえよ」
吐き捨てた仲間は立ち上がろうとしたが、雪華はそれを阻止し、相手は苦々しく笑った。
「エヘヘぇ知ってましたよ♪」
「なっ…おい!待て行くな!」
雪華は仲間の制止を聞かずに走り出した。
点々と続く血の後を見つけ、迷わずその後を追う。楽しそうに、愉快そうに、まるで鬼ごっこでもしてるかのよう走って行った。
花屋の絶望自身を自分が持っているとは気付かずに…。
花屋は建物を繋ぐ欄干の、中央辺りに座っていた。
風が下から優しく吹き上げ、コートを少しだけ膨らましていた。「やあ」と、疲れた声で今来たばかりの客に声をかけるが、今度は驚いた様子は無かった。
「会うと思ったよ。女の子。…花は付けていないね。どうしたの?」
それが花屋の精一杯の笑顔だったが、どうせ死ぬ人間に答える事は無いと思い、雪華は黙って銃口を相手に向けた。
花屋に焦りは無く、どこか安心した様子で首を振る。
「君の手を汚す必要は無いよ」
雪華は黙って頷いた。
解る。ここまで血を辿って来たのだから。
「何で殺さなかったんですかぁ?お兄さんの腕なら利き腕が怪我してても、きっと無傷でいられたと思いますよぉ?」
「…俺もそう思う。だけど、こうするしか無かったんだ。不自然にならないように…ただのエゴにしか見えないように…」
「何を言ってるんですかぁ?」
「ただの泣き言だよ。君に言った質問、覚えてる?」
花屋は遠くを見てそう言った。実際、その顔は泣きそうな笑顔だった。
雪華は静かに頷く。
「やっと追い詰めましたか。随分遅いんで失敗したかと思いましたよ」
背後からかかるその声に驚き、雪華はもう一つの銃を抜いた。
そして動きを止める。
男の隣に雪華の仲間の一人が当然のように立っていた。腕に巻いてる包帯はきっと花屋のせいであろう。
「依頼人だ雪華」
「そうですかぁ。以外と若い人なんですねぇ。セッちゃんはもっとオジサンを想像してたですぅ」
雪華の言葉に依頼人と仲間は少し驚いたような反応をした。それもそうだろう、依頼人の服装は長いコートに目深に被った帽子。顔は影になってほとんど見えなかったのだから。
雪華はその状態で彼を若いと判断したのである。顔等、雪華にとっては何の判断基準にならない、話し方や身振り、そしてカンである。
雪華は銃をホルスターに戻した。
「依頼人さんも来たので、そろそろ葉っぱを渡してください。お兄さん」
「――…あがいても無駄だって、わかってたのにな。…絶望などもう目に見えるところにあるのに…。渡すよ…」
花屋はコートの内ポケットから何かを取り出した。その時見える花屋の服は腹辺りを中心に、赤色に染まっていた。
雪華は銃口を向けたまま近付き、花屋の持っているモノを受け取る。一本の枝に元は白かっただろう花が、はかなげに付いていた。
血濡れた白い花は椿に似ている。
「それをこっちに渡せ」
「はい、上げますよぉ。このお兄さんはどうしますかぁ?」
雪華はわかり切っている質問を一応してみた。
「殺せ」
案の定返答は短く、完結だった。
依頼人は雪華から離れ、遠くに行ってから葉っぱを確認し、花屋を見た。どうやら間違いないということだろう。
雪華は花屋に狙いを定め近づいた。
「俺が言った質問、覚えてるんだよね。あの質問は本当は俺がされたモノなんだ」
「沈黙の色ですかぁ?」
「俺は直ぐさまそれを白だと思ったよ。穢なき白。真っ白な世界は、それはとても静かだろうと思ったから…でも、今ならわかる」
花屋は傷口を押さえていた右手を放し、月光に手をのばした。そして、忌ま忌ましそうに目を細める。その血濡れた手に…。
「さよならですぅ。お兄さん」
「俺は、沈黙の色は赤だと思う…」
ガウンッ!
花屋の体が倒れ、血の広がりが池を造った。
雪華は無機質な目でそれを眺めていた。
「…セッちゃんもそう思いますよぉ。お兄さん」
語るように、独り言のように雪華は呟く。返事が無いのは分かり切っていることだった。たった今、自分が殺した相手なのだから。
でも、そう言うのが当然のように感じられた。
「後はこちらで処分することになってるから帰っていいですよ」
依頼人が近付き雪華に声をかけた。そして、コートを脱いで、まだ温かさの残る花屋にかけ、目を閉じさせた。
「死者の目は嫌で仕方ない。お前もいつかこうなると言っている。いつも、いつも忌ま忌ましくも…」
「兄弟でも死者の目は嫌なんですねぇ」
「!!……気付いてないと思ってたよ。…―兄弟だから見たくないのかもしれないな」
依頼人は帽子を取り雪華の方を向いた。
金髪金眼で柔和な顔付きをしていて、やはり少しだけ花屋を幼くしただけという印象を受けた。
そして納得する。自分と同じ顔の死に顔を直視出来る人間など、いるわけが無いと。
「もし沈黙を色に表したら、依頼人さんは何色だと思いますかぁ?」
「ナゾナゾか?」
「失礼ですねぇ。ちゃんとした質問ですぅ」
雪華はむっとしながら質問の答えを待ち、依頼人はそれに分からないと答えた。
残念と思うのが普通なのだろうが、雪華は何も言わずに踵を返し歩き出す。ここから先は興味の無いことだ。
「あなたも救われないですねぇ」
雪華はそう言い残し走り去った。
遺されたのは金に輝く月と、何も語らぬ血溜まりだけだった。
「おーい雪華!ビックリだぞ、この前の依頼人…」
「死にましたかぁ」
部屋に飛び込んで来た仲間はつまらないという顔で、なんだ知ってたのかと、呟いた。
雪華は棚の上に日の当たるように鉢を置き、水をやってやる。葉に付いた雫がキラキラと琥珀色に輝いた。
珍しげに覗き込む仲間に、ついでと思い水をかけてみる。案の定叱られた。
「ったく。ところで何の花なんだよ?椿に似てるなぁ」
「エヘヘぇ。これは沈黙のお花さんです♪」
「はぁ?」
雪華は満面に微笑む。
今日もいつもと変わらず、勿論明日もこの街にいるかぎり変わることは無いだろう。
つまらない興味の無い、残酷なまでの普通な毎日。少し前は世界が沈黙したらと考えてもみた。しかし、もうどうでもよい。
天気がいい。それだけで充分な理由。
今日は久しぶりにあの屋上まで行こう。




