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鮮やかなスイートオレンジの髪と高く澄んだ青空のよう瞳を目にした瞬間、時間が止まったように感じた。
『こんばんは、アーリス様』
「こ、こんばんは? え? カティンカ嬢?」
『はい!』
唖然とするアーリスとは対照的に水晶から元気な声が届く。
先程まで目の前で会話していたのになぜわざわざ伝達魔法を使っているのか。彼女の行動理由が分からずアーリスは戸惑った。
「あれ? なんで? え?」
『アーリス様?』
「なんで今通信を?」
『なんでっていつもの検証の時間ですよね? え、もしかして時間間違えました⁉︎』
「いえ、間違えてないです。でも検証って……あの、今どこにいるんですか?」
その問い掛けにカティンカは不思議そうに首を傾げた。
『自分の部屋ですよ。だって『同じところで』が検証の条件の一つじゃないですか』
「あ……そう、です。そうでしたね」
——アーリスはクタオ伯爵領の邸で
——カティンカは王都のジンシード子爵邸で
最初に提示された条件。これに関しての変更は聞いていない。
それに伝達魔法の魔導具は持ち主の魔力を通して初めて使えるものだ。
アーリスの背に嫌な汗が流れた。
困惑を露わにする彼の様子が伝わったのかカティンカが心配そうに声をかけてくる。
『どうかしたんですか? もしかして体調が良くないとか? それなら今日はやめておきましょう』
「いや、あの……」
アーリスが何と言うべきか分からずにまごついていると、突然ノック音がして思わず肩が跳ねた。
「アーリス様水晶ありましたか? 何かお手伝いしましょうか?」
『え?』
彼女の声が扉越しと水晶越しに聞こえる事態。アーリスはひとまず扉の呼びかけに答えた。
「大丈夫です! すぐ行きますからサロンで待っててください!」
「分かりました」
去っていく足音にそっと息を吐き出すと今度は水晶に向き直った。
カティンカの様子を伺うと、青空のような瞳が驚愕に見開いていた。
「カティンカ嬢?」
『……アーリス様、今、女性の声が……はっ! もしかしてお取り込み中だったんですね! 私お邪魔してしまって……! すみません!』
声は固く、なんだかいつも以上に落ち着きを無くしたような仕草を見せる彼女にアーリスもつられて大慌て。
「違います! あの、実は今来客中で! 今の人は、えっと、その、伝達魔法の魔導具の交換に来てくれてる人でして!」
『……交換?』
「そうです! コージーからの使者です!」
『使者……あ、そうだったんですね」
やましい事があるわけでもないのに妙に焦ってしまうのは何なのか。それでも誤解をされたくなくてアーリスは必死に言葉を紡いだ。
だが、「カティンカがいる」とは言えなかった。だって普通に考えたらあり得ないことだから。カティンカだってそんなことを言われても信じられないだろう。
——いや、逆にあっさり受け入れそうな気もする……。
幼児化を喜んで受け入れていた事を思い返せば、途端に気の回し方を間違えたような気がしてくる。
しかし、どうやら彼女はアーリスの説明に納得したようで、柔らかくなったその声音でいつもと同じようにニコニコと会話を続けた。
『そういえば私のところにも明日交換だってコージャイサン様から連絡がありました』
「カティンカ嬢は明日なんですね。ふふ、じゃあどんな風になってたかは言わないでおきますね。明日のお楽しみですし」
『えー。そういう言い方されると気になります! ちょっとだけ! ヒントだけでも!』
手を合わせて粘るカティンカにアーリスはにこやかな笑みを浮かべた。
「いえいえ、カティンカ嬢の楽しみを奪うわけにはいきませんから」
『アーリス様が意地悪だ! あ、でもお客様が待たれているんですよね。お忙しいところすみません』
「いえ、こちらこそ事前に言ってなくてごめんなさい! また明日僕から連絡しますね」
『分かりました。それじゃあ、また明日。アーリス様、おやすみなさい』
「はい、おやすみなさい」
水晶が暗転すると、アーリスは大きく息を吐き出した。
——魔力で繋がっているから間違いない。カティンカ嬢は王都にいる。じゃあ……今ここにいる彼女は?
姿も、声も、間違いなくアーリスが知るカティンカと同じで。
コージャイサンの手紙も今まで見てきた彼の筆跡と同じで。
魔導具は妹夫婦が作ったモノだと断言できる。
——悪い人ではないんだろうけど……。
けれども、気のせいだと片付けた違和感が実態を持って彼女の姿を覆い隠す。
どくどくと不安げに音を鳴らす心臓をあやしながら、アーリスはサロンへと戻った。扉を開ける前にひとつ大きく深呼吸して。
疑念や不安を奥に隠した彼の目の前、スイートオレンジの髪に青空のような瞳の彼女はソファーに座っている。
「お待たせしてすみません」
何食わぬ顔で声をかければ、彼女はにこやかに答えた。
「いえ。私の方こそ部屋まで行ってすみません」
「大丈夫ですよ。はい、水晶とレポートです」
「ありがとうございます」
アーリスが二つを机に置くと、レポートは彼女からメイドの手に、そして水晶は魔法陣の上に置かれた。
すると徐にメイドが動いた。足元に置いてあったケースを持ってアーリスの側に近付いてくる。
メイドの接近に少し身を引いてしまった彼だが、メイドはケースの蓋を開けると無言でそっと差し出した。
「そちらがコージャイサン様からの報酬だそうです。確認してください」
彼女に促されてケースを覗き込むと、そこには一枚の小切手が。しかし、次の瞬間アーリスは度肝を抜かれた。
「いっ……⁉︎ これ、多すぎじゃ⁉︎」
「ですよね⁉︎ 良かった……私も最初見た時びっくりしちゃって」
「この半分くらいでいいんですけど……」
「ふふ、でもくれるって仰ってるんですから貰っておいたらいいじゃないですか」
「……そうですね」
そう言って小さく笑う彼女の意見に違和感が拭えない。
——だってカティンカ嬢なら「アーリス様もそう思いますよね⁉︎ ぜひコージャイサン様にそう仰ってください! 私は絶対に言えないですー!」って言いそうだし……。
毎日見てきたカティンカならきっと……。そんな風に想像してしまう。
「それじゃあこっちの引き継ぎも始めますね」
アーリスの胸中はひとまず横において。術式が発動すると魔法陣から幾筋もの光が溢れ出し、部屋の明るさが増した。小さな光がくるくると駆け回る中、架け橋のようなクリアな光が真っ直ぐに二つの媒体を結ぶ。
綺麗な光景だ、とアーリスは思った。
ちらりと彼女の様子を伺えば、火の天使を見た時、あんなにもキラキラと輝いていた瞳が今はとても凪いでいる。
これは淑女教育の賜物というわけではないだろう。どこか諦めにも似た思いを胸に、そっと視線を魔法陣へと戻す。
二人はただ静かに、その光景をみていた。
丁寧に紡がれた光が右から左へと流れていく。まるで曇る視界の中に浮かぶ道標のような光が、迷う彼の背を押すように。アーリスは何かを決意するようにゆっくりと息を吐いた。
光が収束すると、なんの気負いもせず彼女が動いた。
「あ、終わったみたいです。はい、どうぞ」
「っ——ありがとうございます」
魔導具を差し出されてアーリスの体に緊張感が走る。相手の手には触れないようにした。なんだか怖いから。長方形の板は先ほどと変わらず軽かった。
「ちゃんと出来てるか確認してもらっていいですか? もう一度下のボタンに魔力を流してみてください」
言われた通りに動いていると、その画面を反対側から腰を浮かせた彼女が覗き込む。
「水晶に入ってた三人分の情報が移動してるか連絡先のところをタップして……ってアーリス様? 大丈夫ですか?」
黙って俯いていると心配そうな声がかかる。申し訳ないなと思いつつも、アーリスは重くなった口を開いた。
「最初に会った時からなんとなく……——違和感があったんです。でも確証が持てないから言えなくて……」
そっと魔導具を机の上に置いて、ヘーゼルが真っ直ぐに目の前の女性を見据えた。
「単刀直入に聞きます。あなたは誰ですか?」
問われた彼女は綺麗に微笑んだまま。狼狽えるでもなく怒るでもなく、先程までと変わらず穏やかに言う。
「ジンシード子爵が娘、カティンカです。……って言っても信じてなさそうですね?」
「はい。さっき伝達魔法でカティンカ嬢と話しました」
「あー、成る程。やっぱ同日で動くべきだったかなー。でもまぁ……バレちゃったなら仕方ないですよね!」
明るい声音の後に一陣の風が吹く。その強さに手で顔を覆ったアーリスだが、風が止んだ後のその姿を見て瞳がこぼれ落ちんばかりに丸くなった。
「よく気付いたじゃねーかぁ、兄君ぃ」
「あ〜〜〜〜〜! キミか〜〜〜!」
驚きの声を上げるアーリスに、ロングコートのフードを目深に被った友人の部下が、それはそれは楽しそうに口角を釣り上げる。
アーリスはと言えば、違和感の正体が分かりソファーに思いっきり脱力した。
「はぁ〜〜〜〜、だから部屋も知ってたのかー。納得」
「それで納得すんのかよぉ」
「うん。だってコージーの部下だし。あれ? カティンカ嬢がキミならあの子は?」
そう言ってメイドを見ると、眼鏡を外し、髪と瞳にかけていた色変わりの術式を解いた。
「ご無沙汰してます、兄君」
「もぉ〜〜〜! キミは違和感なさすぎ!」
その正体は実家で見た薄緑の髪の美少女と見せかけた美少年。以前にも増して違和感のないメイドぶりのリアンにアーリスは降参した。
そんな中で、ふとラムーアと目が合った。
「あ、彼らはコージーの部下なんだけど」
「はい、存じております。先んじてご挨拶に来てくださいましたので」
「そうだったの⁉︎ え、知らなかったの僕だけ⁉︎」
まさかラムーアの方が先に知っていたとは。しかし、もてなしが完璧になされていた事を思い出せば、その事実に納得も出来る。二重に驚いたが、アーリスの体からすっかり緊張感は抜けた。
「ハハハッ! んじゃ、説明はコージャイサン様からっつー事で」
イルシーがそう言うと、リアンがメイド服のポケットから出したのは水晶板。そこにはすでにコージャイサンの姿が映っていた。
活動報告に夕方客室に案内された二人とラムーアの会話劇をアップ予定です。




