4
アーリスがおずおずと切り出したのは昨夜の決意について。
「えっと、あのさ——…………検証用の水晶なんだけど、次の形状も球体だったりする?」
『今の所その予定だが』
「だよねー」
コージャイサンの返答に納得と落胆が混ざる。
従来の形を考えるとそれは当たり前の返答で。それでも、彼ならば次も何かしら改良しているかもという期待があったから。
それがどうしたのかと不思議そうな友にアーリスは眉を下げて願い出た。
「あのね、本当に申し訳ないんだけど形変えられないかな? 簡単な事じゃないのは重々承知してるんだけど出来れば転がらない形がよくて。なんだったらその場にどしんと! 思いっきり鎮座してくれるような重量感だと嬉しいっていうか!」
『逆に軽量化したいところなんだが……。もしかして水晶が転がって見てはいけないものでも見たのか?』
「え!!?? ななななななんで⁉︎ なんで!!???」
ずばり言い当てられてアーリスは大いに狼狽えた。動揺を表す大きな声量に、けれどもコージャイサンは淡々としていて。
『今の発言から考えるとそれしかないだろう?』
「それで分かっちゃうのすごいね! あの、違うよ! いや、違わないけど! えっと、不慮の事故って言うか、本当に偶然で! でも水晶が小さいから足元しか見えなかったし……し、し、した、下着、とかは全然見てないから!」
『あ、そっちか』
「そっち⁉︎ どっち⁉︎」
それ以外に見てはいけないものがあるはずがない、とアーリスは思う。
だが、次に届いたのは核心を持った声だった。
『いや、彼女の事だからベッドの下に隠してるだろ』
「なんで断言⁉︎」
『それは——……貴婦人にも隠したい事の一つや二つ、あるものだからな』
貴婦人の隠し事と聞いてアーリスの脳裏には真っ先に妹の事が思い浮かんだ。
妹の部屋に入った時、たくさんの本と共に推しのグッズが綺麗に飾られていたのは確かだ。
「それはあるかも知れないけど、ザナはそんな所に隠してなかったよ? カティンカ嬢もあれだけオープンなら堂々と部屋に飾ってそうだし。それにどっちかって言うとそこに隠すのは圧倒的に男側に多いと思う!」
『ああ、俺の友人も家族に見られないように隠してるらしい。まぁ友人曰く男はみんな変態らしいから』
一瞬、脳が彼の言葉を理解する事を拒んだ。
「コージーが言うと違和感がすごい!」
なぜなら義弟は妹と両思いになるまでは欲どころかその素振りを欠片も見せなかったうえに、結婚式を挙げるまで妹のペースに合わせてくれていた紳士である。
これは兄の欲目かもしれないが、この事実を純愛と言わずなんと言おうか。
だからかもしれない。平素の淡白な対応のせいか欲とは無縁そうに見える事もあり、アーリスの中ではどうしてもコージャイサンと変態という単語が結びつかず、ただただ驚きに叫び声を上げた。
けれども、当の本人はけろりとしたもので。
『その言葉、そっくりそのまま返す。心配しなくてもつい最近伝達魔法の改良を知った先輩に言われたばかりだ』
「あ、それは、うん。そう言った意味ではそうかもだけど……いや、でも意味合いが違うよね⁉︎」
『気にするな。アルの友人に聞いても同じ事言うんじゃないか?』
「確かに友達はみんな既婚者だし、そういう話をする時もあるけど。って言うか、本当にそこまでの話じゃないんだよ……? カティンカ嬢はザナの友達だし。話しやすいから妹がもう一人出来たような感覚だし。だから、なんか……余計に申し訳ないっていうか……」
言葉を吐き出すごとに申し訳なさが募り、声量も尻すぼみになっていく。
罪悪感と自己嫌悪に俯くアーリスの耳に落ち着いた低音が届いた。
『事故なんだろ?』
「うん。でもそれも僕がぽろっと可愛いって言っちゃったせいで」
『え?』
『は?』
「ええっ⁉︎」
三者から上がった驚きの声にアーリスは居た堪れない。水晶を注視している彼の後ろでラムーアの目が再び輝いたのはご愛嬌。その反面で問い詰めたい衝動を身悶えしながら必死に抑えているのだから偉いものだ。
けれどもアーリスはそれに気付かないまま。こちらはこちらで弁明に必死だからだ。
「だよね⁉︎ びっくりするよね⁉︎ でもなんかさ、いつも楽しそうに話してるところが妹を見てるみたいだなって思ってたんだけどさ、僕としても肩の力を抜いて話せるっていうか。ほら、この水晶越しだと表情が分かりにくいけど、でもどんな顔してるか大体想像つくでしょ? だから初めて会ったかみたいにカティンカ嬢もニコニコして話してるんだろうなって想像しながら話してたらつい思った事と言おうとした事が逆になっちゃってて……だって妹っていくつになっても可愛いじゃない⁉︎」
『そうだな。二人は兄妹仲がいいからそう思うんだろうな』
水晶の向こう側はアーリスの言い分を静かに聞いてくれている。だから懺悔するつもりで言葉を続けた。
「うん。でも妹みたいに思っているのは僕の勝手だし、多分すごく驚かせてしまったと思うんだ。そのせいで向こうの水晶も転がっちゃって……。でもカティンカ嬢は転がしてしまった自分が悪いから気にしなくていいって……僕の事、責めるどころか自分の事も大事にして欲しいって言ってくれて……その言葉が、すごく嬉しくて……なのに僕は……」
『普段目にすることがないところが見えて動揺した。そして夢にまで見てしまった、と』
「うん、まぁ、そういう事です。せっかくおあいこにしようって言ってくれたのに夢にまで見ちゃうなんて……どうしよう、僕すごく気持ち悪いよね⁉︎ ねぇ、やっぱり僕って変態なのかな⁉︎」
最後は半泣きであったが、コージャイサンに全く焦る素振りはない。ただ少しだけ思案するような仕草を見せた。
『……もうほぼ自分で言ってるような気もするが——……』
「え?」
『いや、こっちの話だ。その不慮の事故、ザナの場合ならどうする?』
だが、アーリスはその問い掛けの意図が分からずヘーゼルをぱちくりと瞬かせた。
「慌てん坊だな〜と思って注意はするけど。ほら、ザナってああ見えてよく走るじゃない?』
『ああ、そうだな。しかも結構粘る』
「でしょ? そういう時って足が見えてても全然気にしてないみたい。それをたまたまお母様に見られた事があってさ。すっごく怒られてザナも涙目だったよ」
『ははっ、そんな事があったのか』
アーリスの耳をくすぐる楽しそうで穏やかな声音。その声で妹に向けるコージャイサンの柔らかな表情が自然と連想されて、なんだか嬉しいような、むず痒いような。
しかし今度は打って変わって少しばかり悪戯心を含んだような声音に変わった。
『そういえば……結婚式前のアルが帰ってきたあの日。彼女が初めてコスプレを見た時、驚きすぎて走って逃げたからザナが全力で追いかけていたんだ』
「あははは! 確かにカティンカ嬢ならパニックになってそうなりそうだよね!」
『二人とも随分賑やかに走ってたよ。まぁ足はザナの方が速かったみたいだが』
「そうなんだ。棒回しもすっぽ抜けずにやってたから運動は得意なのかと思ってた」
走る繋がりでさらりと暴露されるカティンカの所業。オタク女子が二人揃った賑やかさはアーリスも知るところ。彼はその場面を想像してクスクスと楽しそうに笑った。
「なんかカティンカ嬢とザナって結構似てない? 一生懸命頑張ってるけど、どこか抜けているっていうか、すごく素直なんだけどその分無防備なとこもあってさ。見てて危なっかしいんだよね」
『ザナもそうだが、無防備なのは自分に自信がないから欲の対象にならないって思ってるからだろう』
「あー、言われてみれば……なんかそんな感じの反応だったかも」
カティンカも最初こそ狼狽えていたが、あまりにもアーリスが気にしすぎたせいか逆にとても気を遣われた。その時点で彼女はもうけろりとしていたのだから。
『やはりそうか。まぁ彼女が気にするなと言ったのなら、それはきっと言葉の通りだ。今日の検証も問題ないだろう』
「でも、友達の兄で仕事の相手だからそう言うしかなかったのかも知れないし……今日も検証しなきゃダメ?」
『それなら尚更だ。日が空けばそれこそ気まずさが増して話しづらくなるだろ? 無理に会話を続けなくても大丈夫だ。彼女の反応を見たうえで、それでもアルが申し訳ないと思うならその気持ちを伝えたらいい』
「……うん」
それでもどうしても煮え切らない態度になってしまう。すると、コージャイサンが従者に意見を求めた。
『イルシー、お前はどう見る?』
『あー……概ねコージャイサン様に同意だなぁ。つか、あの女は兄君を優しくていい人だと思ってんだろぉ? 自分にとって害がないと判断してるから気にしてねーなんて言えんだよぉ。そういう相手にはイザンバ様同様、多少行動を反省しても実際の警戒心が伴わねータイプだぜぇ。あの人らにとってはそこは別モンだからなぁ』
どっちも変な女、とイルシーがボヤく。
カティンカが過去に婚約解消したことはアーリスも知っている。聞く限り円満解消ではなかったのかも知れない事も。
きっと元婚約者のような相手ならばカティンカも気にするなとは言わなかっただろう。むしろもっと警戒していたかもしれない。
だが、アーリスはイザンバの兄だから。
イザンバという存在に彼女が寄せる大きな信頼がその根本にあり、さらにアーリスの人柄に触れた事でより一層信頼感が増しているのだろう。反比例するように警戒心が下がっている事が難点ではあるが。
『あとはアレだなぁ。『いつも通りにしないとアーリス様が気を遣っちゃう』とか『自分が気にしたら負け』とか言って気遣いの方向性がズレるやつ。今日明日は気にしても兄君相手ならその辺もすぐ忘れてまたうっかりやらかしそうだしなぁ』
「それもそれでどうなんだろうね」
今度は別の意味で心配になったのはアーリスだけではないだろう。




