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「クロウ知ってたー? コージャイサン伝達魔法の改良してんだってー」
「は? 何やってんだよ、変態か?」
「違います」
随分な言われようにコージャイサンも素早く否定した。しかし、マゼランが机の上を指差すと興味をそそられたクロウはそちらに寄って行く。そのままコージャイサンに尋ねた。
「あれ? この水晶……もしかして形も変えるつもりなのか?」
「そうです。今の大きな球体状は持ち歩くには不便ですから。あと文字が歪みます」
「え、文字? 手紙を飛ばすのとは違うんだよな……」
そう言ってクロウは棚から本を取り出してパラパラと捲ると、その文字を水晶越しに覗いてみる。
「あれ、逆さまだしボヤけてる。お前が言いたいのってこういうこと……ではないな」
「そうですね。通信相手が誰なのか分かるようにしたいんですけど球体だと文字のバランスと見え方が崩れるんです」
「へぇ。まぁ文字は平面で真っ直ぐに見えた方が読みやすいな。それなら水晶に拘んなくてもよくないか? わざわざ球体に加工するの大変なんだし、モノに術式を定着出来たらいいわけだろ?」
「確かにそうですね。こういう手帳みたいなサイズ感で何か……」
「って、ちょっと待てよ。こっちのやつ透明度高っ! こんなのどっから採ってきたんだよ!」
水晶を翳して見たクロウから漏れる驚愕の声。しかし、コージャイサンは自分の思考に集中している為スルーである。
ちなみにだが、その水晶は従者たちが主人の眼鏡に適うものの情報を集めた結果である。労力も財力も伝手も余さず使う。自分で取りに行かないのかって? だって今は新婚だもの。
「あ、これ術式、受けて外部に飛ばす……? そっか、じゃあ逆に本体以外から作用するように術式を重ねたら……」
研究員同士ふとした会話からひらめきを得るのはよくある事。興味本位から覗いた水晶に仕込まれた術式を見て、マゼランは何やら思い付いたようだ。
「ねー、これ一個もらっていい? お前もオレの部屋から好きなの持ってっていいし」
「あの魔窟で俺に探せと?」
コージャイサンが魔窟というほどマゼランの部屋はごちゃごちゃとしていて、たまに異臭もしている。いわゆる汚部屋である。
しかし、マゼランはきょとんとした顔だ。
「でもちゃんとどこに何があるかオレは把握してるよ?」
「そうですか。それなら何があるのかリストアップしてください。交換はそれからです」
「おっけー」
「では帰ってください」
「ねー、今日いつにも増して冷たくない? オレ用があるって言ったじゃーん」
さっさと話を切り上げようとするコージャイサンにマゼランは不満げに口を尖らせる。だが、特別冷たいわけではない。ただただ彼は早く帰りたいだけである。
「気のせいです。クロウ先輩、これ大丈夫そうですよ」
「マジで⁉︎ 良かったわー! これ高いからなー」
探知機を返したのだから通信も切りたいところだが、クロウは自分の目でもまだ観察している。なんならコージャイサンに向かって親指を立てた。
さて、マゼランの用件にはおおよその予測はつくが、聞かねばしつこい事もまた然り。コージャイサンは視線を彼に向けて問うた。
「それでマゼラン先輩は何の用で来たんですか?」
「そうそう! 婚約者ちゃんの事なんだけどさー」
この一月何度も尋ねられた事だ。しかし、コージャイサンにも答えるより先に言いたいことがある。
「もう結婚したのでいい加減婚約者と呼ばないでください」
「確かに! じゃあ呼び方変えるね! で、イザンバいつ連れてくる⁉︎」
「馴れ馴れしい」
呼称の訂正を促したらまさかの呼び捨て。コージャイサンが冷たい視線と共にすっぱり切り捨てたが、マゼランとしては一応理由があるようだ。
「えー! だってオレ仲良い奴は名前呼びだし。それに一緒にビートルに乗った仲だよ? 首席も招待券束で用意してるくらいお気に入りだし。てかコージャイサンと結婚したんだからもう魔導研究部の一員じゃん! 問題なくない⁉︎」
「問題あります」
「どこに?」
「俺が嫌です」
きっぱりと、それはもう断固たる切れ味である。クールな後輩の以前よりもずっと顕著になったそれにマゼランは声をあげて笑った。
「あはははははは! そんなに⁉︎ てかさ、前にオレが愛称呼んだらちょっと怒ったじゃん? わざとじゃないのにさー」
「そんな事あったか?」
「あったよ。名前チョー強調してたもん。なのに呼び捨てもヤなの?」
その場面を思い出せずに首を傾げるクロウだが、マゼランの記憶力は確かなのだ。後輩のその時の態度と今の言い分。
——彼女だけに抱く感情
——隠さなくなった感情
一人の人間が関わった事で起こる変化がマゼランには面白くて、おかしくて、たまらない。
「当然でしょう。ザナは俺の妻です。身内ならともかく付き合いの浅い男にそう呼ばれて良い気はしません」
そう淡々と言うコージャイサンに、果たしてどこまでなら許されるのか、と知的好奇心に疼いた瞳のピンクが濃さを増した。
「ふーん。じゃあ奥方ちゃんって呼ぼー! 前も婚約者ちゃんだし、あれ? もしかしてそう呼んでるのオレだけ⁉︎ 特別じゃん!」
「一言余計だって! ほら、コージャイサンの顔見てみろよ」
「やばー! 視線だけで凍っちゃいそー! コージャイサン顔怖いよー? 奥方ちゃん見るみたいにニコニコしなよー」
「煽るなバカ!」
怖い怖いと口では言う割にマゼランの声とも表情とも一致しない。むしろクロウの方が顔色が悪い。
しかし、奥方ちゃん呼びはアウトであるとマゼランも判断したのだろう。少し考える素振りの後、またニコニコとしながら言った。
「じゃあロイ姉みたいにイザンバちゃんならどう? ギリおっけーでしょ?」
「それなら、まぁ…………良いでしょう」
「ぷはっ! めっちゃ渋々じゃん! ほんっとコージャイサンってイザンバちゃん大好きだよねー」
ロイドは基本的に誰に対してもちゃん付けで呼ぶ。それに倣いぎりぎり譲歩を引き出したマゼランではあるが、コージャイサンの反応にまたけらけらと笑う。
そんな同僚に対してクロウは心底呆れてしまい。
「分かりきったこと言うなよ。てか、呼び方も普通にイザンバ夫人でいいだろ」
「えー、普通ってつまんなくない? あと他人行儀だしヤダ」
頬を膨らませながら持論を展開するマゼランだが、残念ながらこの場に賛同者はいなかった。
「どこからどう見ても間違いなく赤の他人ですよ」
「お前……他人行儀って言葉知ってたのか……?」
コージャイサンは淡々と、クロウは驚いたように言うものだからいけない。マゼランはいつものようにクロウにもたれ掛かるとしくしくと泣き出した。
「ねえー、なんなの二人ともひどーい。オレ泣いちゃう」
「嘘だろ」
「嘘だよー」
本日二回目、バシリと景気のいい音が鳴る。軽妙で痛快ないつも通りのやり取りだ。
『ふっ、ふふふ!』
その時、どこからともなく笑い声が聞こえた気がしてクロウが辺りを見回した。
「……今、女の人の笑い声聞こえなかったか?」
「そ? 気のせいじゃないの?」
「聞こえたって。なぁコージャイサン? ってどこ見てんだ?」
一番頼りになる後輩は自分を見ているようで見ていない。呼びかけてやっと視線があったかと思えば……。
「いえ、別に?」
にっこりと微笑む彼にクロウの背筋をゾワゾワとしたものが走った。
「別にじゃないだろ! え、後ろ⁉︎」
「なんも居ないよー? どこどこー? この前の呪いみたいな感じ?」
クロウの背後を見た後、ワクワクとしたようにマゼランが居るはずのモノを求めて部屋のあちこちを探し回る。
その間もコージャイサンの視線はどこかクロウからはズレていて。
「なぁ待って! じゃあオレと視線合わないのおかしいだろ! お前こっち見てるよな⁉︎ 何⁉︎ マジでなんか居るのか⁉︎」
「さぁ、どうでしょう?」
「やめろって! お前と違ってオレは退魔の才能ないんだからな!」
コージャイサンの発言にクロウは慄いた。辺りを見回す彼の視線が背後に向いた時、コージャイサンは近くに来たマゼランの手を意図的に冷やした。もちろんその意図はしっかりと彼に伝わり、ピンクの瞳は楽しそうに弧を描いてクロウの背後に忍び足で寄って行く。
「う゛ぉわぁぁぁあっ!!」
突然、首筋を冷たい刺激に襲われてクロウは叫びながら部屋の外にひた走る。何事かと驚く彼の耳に届いたのは同僚のそれはそれは楽しそうな笑い声。
「あははははははははは!」
「ちょ、おま、まじで……やめろよな! 心臓飛び出るかと思ったわ!」
「あ、まだ冷えてるよ。もっかいする?」
「いいって! こっちくんな! くんなって!」
クロウを追いかけてマゼランも部屋の外へ。必死に躱そうとするクロウだが、非常に残念なことにマゼランの方がリーチが長い。抵抗虚しくまた冷えた手が体に触れ、その冷たさに叫び声を上げる羽目となった。
そんな賑やかな先輩達の声を背後にコージャイサンも同じく廊下に出る。
「もうやだ、まじでなんなのお前ら。こんな時だけ結託すんなよ……」
「クロウ大丈夫? 今日一人で寝れる? オレ泊まりに行こうか? 添い寝してあげるよ?」
「いらんわ!」
やいやいと言い合う二人をよそにコージャイサンはそのまま扉をしっかりと施錠すると、彼らに向かってなんて事ない顔で言った。
「じゃあ俺は帰りますね。お疲れ様です」
「おう、お疲れ!」
「ばいばーい!」
コージャイサンは見事にマゼランの気を逸らしたまま帰路に着く事に成功したようだ。その足は淀みなく廊下を歩く。
研究棟から出ると胸ポケットから水晶を取り出し新妻に呼びかけた。
「ザナ、大丈夫か? ザナ?」
しかし水晶に映し出されたイザンバはソファーに突っ伏していた。おそらくクッションに顔を埋めて声が漏れるのを必死に耐えていたのだろう。くぐもった声で答える彼女の顔は未だ見えない。
『くふっ、いえ、ふふふふふ、わたしの、ほうこそ、んふっ、ふふふ、ごめ、んふふふふふふ、も、ふふふふふふふふ、おなか、いたい』
「だろうな。今から帰r……」
「コージャイサーン!」
ここでまた誰かが大声で彼を呼んでいる。水晶の中でイザンバの体がびくりと跳ねて笑い声が引っ込んだ。けれどもコージャイサンの歩みは止まらない。素知らぬ顔で遮られた言葉をもう一度言った。
「今から帰るから」
『あの、今の声……』
「あれ? 聞こえてない? おーーーい、コージャイサンーーー!」
されどイザンバも聞き覚えのあるその声が再び大声で呼ぶが彼もさるもの。
「気のせいだ」
『え、でもあの声は首席様じゃ……?』
「コージャイサーーーン!! 待つでござるぅぅぅぅぅ!」
三度名前を呼ばれると、コージャイサンはとうとう長いため息を吐いた。果たしていつになったら帰れるのか、と。
「悪い。もう少しかかりそうだ」
『分かりました。みんなにはゆっくり準備するように伝えますから気をつけて帰ってきてくださいね』
「ああ。それじゃあ一旦切る。また後で」
『はい……待ってますね』
荒みかけた心は新妻の気遣いで少し和らいだ。しかし、だからと言って他者にそれが向けられるわけではない。
水晶を再び胸ポケットにしまい、駆け寄ってくるファブリスにはいつも通り冷ややかな視線を向けるコージャイサンであった。




