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さぁ、休日も終わりコージャイサンはまた出勤の日々。朝は相変わらず起きれないまま、出迎えも空振り続きのイザンバだがこのまま退いては女が廃る。「今日こそは!」と気合を入れたところで、彼から連絡が入った。
『ザナ』
「コージー様! 今日もお仕事お疲れ様です!」
『ああ。随分と元気だな。何かあったのか?』
「え⁉︎ いえ、なんでもないです! 気にしないでください!」
『ふぅん——……今から帰る。何か欲しいものはあるか?』
つい気合いが入りすぎて怪しまれてしまい逆に気遣われる結果に。イザンバは困ったように笑った。
「ありがとうございます。でも大丈夫ですよ。気を付けて帰ってきて……ん?」
『……ぅか走るな! おい、マゼラン! 止まれ! 止まれーーー!』
そこへ何やら叫び声と騒がしい足音が近づいてきたかと思えば、扉が開く豪快な音と大声が同時に飛び込んできた。
『コージャイサーーーン!!』
聞き覚えのある声であったが、コージャイサンが素早く水晶を胸ポケットに入れたためにイザンバからは何も見えなくなった。
——今の、多分マゼラン様だよね? 声は聞こえるけど真っ暗だし、お話しされるなら一旦切っておこうかな?
そう考えて伝達魔法を終わらせようとしたが、どういうわけか水晶はイザンバの手を離れて嫋やかな手中に。
さらにそれを追おうとした浮かした体を引き止めるように褐色の手に肩を引かれ、後頭部に感じた非常に柔らかな感触。
ぱちくりと目を瞬かせるイザンバの対面で綺麗に微笑んだヴィーシャが何やら字を書いているが、そうしている間にも水晶は彼らの会話を垂れ流す。
『何しに来たんですか?』
『ねぇねぇ! 婚約s……』
『止まれって言ってんだろうが、このバカ!』
淡々としたコージャイサンの声とご機嫌なマゼランの声。そこにもう一つ、クロウもやってきたようだ。マゼランとは対照的な荒い息遣いと口調に全速力で駆けてきた事が窺える。
『えー? クロウなにー?』
『お前なんでそんなずぶ濡れになってんだよ⁉︎』
『ユズたちに頼んで水の術式でチョー大量の水出してゴーレムを沈めて内部空気圧の調整してたんだけど、術式維持できなくてばっしゃーんしたから! 時間かけすぎって怒られたー。オレ早く乗りたいのに中々上手くいかないんだよねー』
『あーっもう! いいから拭け! そんで着替えろ!』
ぶつくさと文句を言うクロウの声に対してマゼランはいつも通りのほほんとした口調だ。
——きっとコージー様は冷めた目で二人を見ているんだろうな〜。
なんて想像したら少しおかしくて。小さく笑ったイザンバにヴィーシャがメモを見せる。
——このまま聞いてましょうって……いやいやいやいや、それって盗み聞きじゃ……⁉︎
立ち上がろうとするイザンバをジオーネが胸元に抱き込んでソファに押し留めている間に水晶はまた一歩自身から離れた。
遠隔操作が出来ない故に切る事も出来ないイザンバは、やめておこうと懸命に首を横に振る。
けれども護衛二人はにっこりと、それはそれは美しく微笑んだ。
さて、ところ変わって防衛局魔導研究部。研究員の個室は余裕のある広さで、奥に執務机と手前に作業台、壁の両脇は棚で右側のみが扉付き。執務机の近くにはプライベートロッカー、入り口の近くにはミニキッチンがある。魔導研究部長の部屋は応接セットがあるが、研究員の部屋は基本的に皆同じ。後は整理整頓されているかされていないかの差である。
そして、こちらはコージャイサンの部屋。一体何をしに来たんだと怪訝な表情を隠しもしない彼にクロウが軽く詫びた。
「帰るとこだったのに悪いな」
「そうですね。まぁあの人が突拍子もないのはいつもですけど。クロウ先輩も掃除しながら来たんですか?」
「おう。濡れたままほっとくとまた誰かがすっ転んで薬品ぶち撒けたら危ないだろ? マゼランがどこ通ってきたかよく分かんだよ……ったく、術式で水気飛ばすとかしろよな」
モップの柄に顎を乗せたクロウは廊下を見ながらまだぶつくさと文句を垂れるが、当の本人は先程クロウに投げつけられたタオルで適当に髪を拭きながら他人事のように言う。
「そうだ! 自動で濡れたとこ掃除してくれるモップ作ろっか! そしたらクロウが掃除しなくていいじゃん!」
「それいいな……じゃない! その前にずぶ濡れのまま中に入ってくるな! 早く脱げ! はい、バンザーイ!」
言いながらクロウはマゼランのツナギの前を開いて袖を抜き、さっさとインナーの裾に手を掛ける。すると、何を思ったかマゼランが胸元を手で押さえながら腰をくねらせた。
「やーん、クロウのえっちー」
「アホか!」
『んふっ』
胸元から小さく聞こえた吹き出す音にコージャイサンも伝達魔法を繋ぎっぱなしである事を思い出した。
——先輩たちが来たのは分かってるだろうし一度切るか……。
なにせ彼らのノリと勢いはこれが通常運転。外であれば呼ばれても聞こえないふりをするのだが、いかんせん部屋に突撃をされては放置して帰る方が後々心配だ。
早めに切り上げたい、と思いながらコージャイサンは胸ポケットに手を伸ばそうとした。
「ちょ、おま、魔力探知器入れっぱじゃねーか!」
「あ、忘れてた。壊れてなーい?」
「何やってんだよ! ん? 微弱だけどコージャイサンから魔力反応あり?」
だが、どうにも間が悪い。コージャイサンは動かしていた手を首の後ろに回すと、探るように見てくるクロウに淡々と返す。
「ああ、今検証中なんです」
「それでか。これ通常値?」
見せられた魔力探知機は間違いなく反応を示していて。その示すものが伝達魔法である事は容易に察せられる。
「そうですね」
「まだ続ける?」
「今終わろうかと」
「悪いけど様子見たいからもう少し続けてほしい。探知機が壊れてないかのチェックにもなるし」
「……分かりました」
小さくため息をついた後、渋々了承した。
そんなコージャイサンに妙な違和感を感じたクロウだが、問いただす間もなく腰にタオルを巻いたマゼランが後輩に絡み始める。
「さむっ、ちょっと冷えてきた……コージャイサン服貸してー。あとパンツも」
「自分の着てください。むしろ帰ってください」
「えー、オレの部屋こっから遠いんだけど。全裸で帰れはヒドくない?」
「腰布一枚で局内を走り回った癖に今更なにを」
本当に今更である。コージャイサンが呆れながらも巨大化した時の事実をもってすっぱりと言い切れば、マゼランはクロウに抱きつき愚痴をこぼした。
「クロウー、コージャイサンが冷たいー! オレ用があって来たのにー」
「冷たいのはいつもの事だろ。服ならオレが取ってきてやるから。鍵は?」
「あ、開けっぱなしだから大丈夫」
「大丈夫ってどこがだよ⁉︎ ちゃんと閉めろ!」
なんとも不用心なマゼランに一発バシリと入れると、コージャイサンに魔力探知機を差し出した。
「悪い。探知機の方ちょっと見ててくれないか?」
「分かりました」
「マゼラン! とにかくお前は全裸なんだからじっとしてろ動くなよ! 分かったな⁉︎」
「おっけー」
フワッフワに軽い返事をするマゼランを半目で見た後、クロウは全速力で走って行く。
長くなりそうな予感にコージャイサンはまた小さく息を吐いた。
さて、動くなと言われてそのまま動かずにいられるマゼランではない。すぐさま部屋の中をうろつき始めた。それもただ見るだけでなく、棚や引き出しを開けながら。
コージャイサンはそんな彼をただ平坦に見遣る。
「何してるんですか?」
公爵邸の自室だったなら部屋に入る事自体を力づくで、もしくは従者たちを使って止めただろうが、なにせここは職場。今一番気付かれたくないものは自身の胸ポケットにあるので特に止めようとは思わなかった。
ただ相手にするのは面倒だと思っているようで。
「そういえばお前の部屋入ったの初めてじゃん? クロウ待ってる間、暇だから家探し! てか部屋めっちゃ綺麗だね! 自分で掃除してんの? それとも従者君?」
「半々ですね」
「へー。従者君オレの部屋も掃除してくんないかなー? てか、机にあるの水晶ばっかだけど今何やってんの?」
「伝達魔法の改良です」
「アレ弄ってんの? ヤバくない? こっちの棚はなーんだ⁉︎ あ、パンツみっけ! しかも新品! 履いていい? 履いたー! てか、このパンツめっちゃ肌触りよくない⁉︎ オレのゴワゴワだよ⁉︎ 触る⁉︎ 濡れてるけど!」
「触りません」
「しかもさ、この前なんか変な感じするなーと思ったらさ、どうなってたと思う? なんと、尻に穴空いてたんだよね! 覗いたら向こう側ちゃんと見えたよ!」
「買い替えてください」
どれだけマゼランが喋ろうともコージャイサンは一言で返事を返している。しかし、そんな雑な対応に慣れきっているのかマゼランが気にした様子はない。
「もちろん買ってきたよ、クロウが」
むしろ親指上げながらドヤ顔だ。コージャイサンはもう何度目か分からない呆れに見舞われた。
興味関心が向いている事以外はとんと無頓着のマゼラン。馬鹿と天才は紙一重とは彼のような人を言うのだろうか。
そこへ扉を軽くノックしてクロウが入って来た。
「入るぞー。ってお前そのパンツどうしたんだ?」
「コージャイサンのなんだけどめっちゃ肌触りいいよ! オレこんなの初めて! 触る⁉︎」
そう言ってマゼランがしなやかな猫のように尻を向けると、ツッコミよりも肌触りへの好奇心が勝ったのだろう。クロウはすりすりと撫でてあまりの肌触りに驚きの声を上げた。
「うわっなんだこれ! オレらのとは全然違うな……これ絶対高いぞ」
「まじかー。洗って返すね」
「いりません」
マゼランからウインクを投げつけられてもコージャイサンは断固拒否の姿勢である。
それはそうだろう、とクロウは肩をすくめるとマゼランに服を差し出した。
「ほい、服」
「ありがとー!」
「ってこら! もっとちゃんと髪拭け! 乾かせ!」
そのまま着替えようとするマゼランをオカンの如く世話をするクロウ。
早く帰りたいコージャイサンだが、自由人な先輩たちはまだもう少し居座りそうだ。
この後パンツはちゃんとマゼランにお買い上げされました。
「オレの人生で一番高いヤツだし勝負パンツにするね!」




