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撮影が始まって以降、傍観に徹しているゴットフリート。衣装がコロコロと変わる息子夫婦も見ていて面白いが、それよりも碧眼を生き生きと輝かせて楽しそうな妻を温かい眼差しで見ていた。
そして、場所はホールへ。衣装は正面は清楚で上品に、しかし背面が大胆にカッティングされたクラシカルな鮮やかな青のドレスとマント付きの厳格な黒の軍服。軍服のネクタイがドレスと同色のカラーリンクコーデとなっている。
妻が撮影に夢中になっている隙に壁際のソファーに座っている己の側にエルザを呼んだ。
「帰りにモーリスから今日の衣装代を受け取るように。それと、今ザナが着ているあのドレスをティアに合うように仕立ててくれるかい?」
「ありがとう存じます。謹んでお受けいたします。……閣下、少しお耳を拝借してもよろしいですか?」
ゴットフリートの許可を得てもう一歩近づいたエルザは声を潜めて。
「お写真を見に来られるお客様の中に変わった方がおられます。どうかご用心を」
「そうか。情報提供に感謝しよう。こちらでも動くがまた有用な情報があればよろしく頼むよ」
「かしこまりまして」
一瞬灰色の瞳に剣呑な光を宿したが、エルザを下がらせるとゴットフリートはまた家族の方へと視線を戻した。
撮影を終えて隣に座ったセレスティアはやりきった達成感からとてもいい表情だ。彼女が喉を潤す頃合いを見計らいゴットフリートは耳元でそっと、しかし表情は面白がっている事を隠しもせずに尋ねる。
「ザナはアレに気付いていると思うか?」
ドレスに合わせてアップスタイルになった事で露わになったその不自然な存在。セレスティアは一つため息を吐いた。
「気付いてないでしょうね。整えろと言ったのになんであえてひとつだけ残してくるのかしら。全く、可愛げがないわ」
他者には分かる首の後ろ、それを母に対しての反抗心と受け取ったセレスティアは不満げに口を尖らせる。
「ザナが普段は肌が隠れるものばかり着ているのもあのせいよ。もう少し弁える事は出来ないのかしら?」
それは自身の夫に、そして息子に向けての苦言。
その内の一人であるゴットフリートだが、悪びれもせずにそれはそれはいい笑顔で返した。
「妻が愛おしすぎる故だよ。この人に触れる事を許されたただ一人の男だというのは誇らしい事だろう? だからつい付けすぎてしまうんだ」
「そのせいで急な招待や私一人で歓待する時は着るものに困るんだけど。ゲッツは工夫を凝らしてくれている侍女たちやエルザにもっと感謝なさい」
「そうか。うちの使用人は皆優秀で頼もしいね。もちろんいつもティアの魅力に沿うデザインをしてくれるマダムにも感謝しているよ」
たとえ本心であろうとなかろうと公爵閣下からの言葉にエルザは慇懃に礼を述べる。
「勿体無いお言葉にございます。どちらのご夫婦も仲睦まじい事が何よりですわ」
ふと、全員の視線に気付いたイザンバが不思議そうに首を傾げるが、皆微笑むばかりで誰一人としてその事実を告げる気はなかった。
「まぁいいわ。いい写真がたくさん撮れたから私は満足よ。エルザもそう思わない?」
「はい。わたくしも弟子もとても良い刺激をいただきましたわ」
本日の成果に両者ホクホク顔である。
ゴットフリートは妻の気を引くように腰に手を回し、視線をイザンバの方へと誘った。
「あのデザインはティアにも似合いそうだ」
「そう? 私が着るには少し若すぎない?」
「そんな事はない。色を深みのあるものにすればティアの魅力をより引き立てるドレスになる。もう仕立てるよう頼んだよ」
「ふふ、嬉しいわ。ありがとう」
神秘的な灰色の瞳を甘く蕩けさせる夫にセレスティアは愛おしさを込めてキスを送る。
そんな公爵夫妻を見慣れているからか、はたまた意識して見ないようにしているのか。顔色ひとつ変えない者達の中でイザンバは一人顔を手で覆い隠していた。次期公爵夫人としてセレスティアのように堂々と振る舞いたいが、やはり生来の性分というものがある。
——私はあんな風に出来ない!
指の隙間からチラ見したところ義両親の顔の距離はまだ近い。むしろまたゼロ距離にやりそうだ。
ところが、赤面する彼女の視界を突如黒が塗りつぶす。コージャイサンが背後から広げたマントで彼女自身をすっぽりと覆い隠したからだ。
「コージー様」
「指、隙間が空いてたら意味ないんじゃないか?」
「えっと、これは……もう大丈夫かなと思ったけどまだだったっていうか」
セレスティアと行動を共にする事は増えたが、ゴットフリートはコージャイサン同様留守にしている事が多いため、義両親の仲睦まじさを知ってはいてもタイミングを見計らう事はまだイザンバには難しい。
「両親はいつもああだから気にするな」
「早めに慣れるよう努力します……」
「まぁその方がいいな」
ふと、コージャイサンが視線を下げれば目に付くのは露わになった首の後ろ。そっと指先で黒子を撫でればイザンバの体がびくりと震えた。
「あ、の?」
「アップにするとよく見えるな」
「え? あ、黒子ですか?」
触れられた位置を手で押さえながら振り返れば、彼はとても満たされたような微笑みを浮かべていて。どうしたの、と問う前に彼の視線は公爵夫妻の方へと移った。
「もう大丈夫だ」
「ありがとうございます」
「ん」
そして開けた視界。イザンバは改めてコージャイサンの方へと振り返ると、ヘーゼルをキラキラと輝かせてサムズアップした。
「ビジュ爆発してますね!」
「意味は?」
「ビジュアルが爆発的に良いって言う褒め言葉です!」
「そういえばザナは制服に惹かれる質だったな」
「あははー、よく覚えておいでで」
空笑いのイザンバに対して、当然だろうとコージャイサンは笑みを深めた。性癖がバレているのは今更なので、イザンバは開き直り上下左右あらゆる角度から彼の姿を見ると大きく頷いた。
「この軍服単体も素敵ですけど、コージー様の雰囲気にすごく合っててカッコいいですよ」
「惚れ直した?」
「へぁ⁉︎ あの、その」
細められた翡翠に映る悪戯心と願望。あたふたとするイザンバの頬を指の背で撫でる。
「俺は惚れ直したよ。どの衣装もよく似合っていたし、ザナの表情にも魅せられた」
「あう……ありがとう、ございます」
甘やかな真正面からの賛辞を受け止めるだけで精一杯のイザンバの様子にコージャイサンは話題を変えた。
「気に入ったものはあったか?」
「え? んー……どの衣装のコージー様もビジュ爆発しまくってましたし、もう一周回って私がドヤ顔したくなりましたね。あ、ダボっとしたカーゴパンツは普段あまりないから新鮮でした」
「俺のじゃなくて。ザナが自分で着てみて気に入ったやつは?」
褒めてくれるのは嬉しいがコージャイサンが聞きたいのはそちらではなくて。もう一度聞き直すと彼女は顎を指でトントンしながら答えた。
「それなら……ジャケットとシミラールックのスカートが可愛かったです」
「そうか」
するとコージャイサンはマントを翻し、エルザに向けて不敵な笑みを携え言った。
「マダム。今日着た衣装、全て買い取らせてもらう」
「コージー様⁉︎」
驚くイザンバの顔を覗き込む翡翠は楽しそうな光を宿していて。
「結婚してからまだ一度も服は買ってないだろう?」
「そうですけど、でも、全部は……」
「気にしなくていい。俺がまた着ているザナを見たいだけだから」
お気に入りの服というのは着ているだけでも気分が上がる。それもコージャイサンが似合っていると言ってくれたものなら尚更だろう。
けれど、今日の衣装は人気デザイナーであるエルザの新作ばかりだ。値段だって貴族仕様、そう安いものではない。
だが、コージャイサンとお揃いの服というのも魅力的で捨てがたく……。
ここでイザンバはある事を思い付き、表情をキリリとしたものに改め夫を見据えた。
「それなら衣装代は私が払います!」
「え?」
「突発的とはいえさっき収入がありましたし、私もコージー様がまた着ているところをみたいです! それにいつもお世話になっているお礼もさせてください!」
最近彼に甘やかされている自覚がイザンバにはある。享受するばかりで何一つ返せていないと思うからこそ力強く言った。
しかし、コージャイサンは軽く眉間に皺を寄せるとすぐにこれを却下。
「いいよ、俺が払うから。あれは好きな本を買うとか他の事に使ったらいい」
「本もコージー様が揃えてくれてるじゃないですか。だからここは私が払います」
「いや、俺が払う」
「いえ、私が払います」
「俺が払う」
「私が払います」
「ザナ」
「……ダメです」
両者一歩も譲らず。今日ばかりは愛称を呼ばれてもイザンバも折れないつもりらしい。
珍しい光景に両親も従者たちも傍観の姿勢だが、もう一度コージャイサンが口を開こうとしたその時、声を上げたのはエルザであった。
「僭越ながら申し上げます。お二人の互いを思うお心に胸を打たれずにはいられないのですが、今回の代金はすでに閣下からいただいております」
「え?」
声を揃えた若夫婦がゴットフリートの方を見ると、彼はにこやかな笑みを浮かべているではないか。
エルザの種明かしにセレスティアは一人納得した。
「私のドレスを頼んだ時ね」
「ああ。今日のデザインも二人にちゃんと似合うものだったし、何よりティアが楽しみにしていたからな。払う価値はある」
「ですが……」
申し訳ないと言おうとするイザンバをコージャイサンが止めた。父が支払いを済ませている以上、問答を繰り返すのは野暮である。これは彼なりの息子夫婦への愛情表現でもあるのだから。
——息子がしっかりと読み取った事に
——甘えるばかりではいけないと律する義娘に
ゴットフリートは満足そうに笑う。
「いいんだよ。ザナが嫁いで来てから邸内がまた一段と明るくなったからね。今日も二人に釣られてるのか皆楽しそうだ」
「父上、ありがとうございます」
コージャイサンの言葉と共に二人は揃って頭を下げる。
太っ腹な義父にイザンバが感謝しきりの一方で、コージャイサンは釘を刺す。
「ですがこれからザナの服は俺が買うのでお気遣いは結構です」
「ははっ、一丁前に言うじゃないか。だが俺は息子の願いよりも妻の願いが優先だ。ティアが喜ぶ事なら俺が払うのが道理だと思いなさい」
「チッ」
「こら。行儀が悪いぞ」
「失礼しました」
思わず飛び出た息子の悪態にもゴットフリートは鷹揚に笑う。
——お義父様相手だとちょっと子どもっぽい?
そんな彼の姿を可愛いと感じて自然とイザンバの頬が緩んだ。見られたコージャイサンが珍しくばつが悪そうにするから、それもまた可愛くて。彼から顔を背けてにやける顔を隠した。
「こら。笑うな」
「違います、なんか、ふふ、可愛いなって思って」
「可愛くない」
コージャイサンは一層クールな表情でイザンバの言葉に不満を込めて即答するが、それでも彼女の頬の緩みは治らない。すると、あろう事かコージャイサンはその両頬を片手で挟んだ。
「コージーしゃま、にゃにするんれふか」
「お、幼児の時と変わらずもちもち。流石だな」
「はにゃしてくらはいー」
それでも行動とは裏腹に翡翠から注がれる眼差しは優しく、イザンバもクスクスと笑いながら自分の手を彼の手に添えた。
大して力の加わっていなかったその手はあっさりと頬を開放する。
「もう! レディの頬を掴んじゃダメですよ」
イザンバは楽しそうに笑いながらそう言うと、側付き達の方へと逃げて行った。
だが、コージャイサンはあえてその背を追わずエルザに向き直る。それは今まで彼女が見た事のない柔らかな表情で。
「マダム、一つ頼みたいものがあるんだが」
結婚前よりも豊かになっている二人の表情にまた創作意欲がそそられて。
「なんなりとご用命くださいませ。必ずやご期待に添えるものをご用意いたします」
「ええ。よろしくね」
——コージャイサンはサプライズに
——エルザは商機に
——セレスティアは次の撮影会に
三者はにっこりと笑みを交わした。




