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準備を終えた二人は公爵夫妻が待つサロンに案内された。優雅にソファーに腰掛け語らう夫妻の姿はまるで天上の絵画のようだ。セレスティアの視線が息子夫婦に向く。
「ちゃんと整えてきたかしら?」
「ええ、不本意ながら」
「あのねぇ……ドレスのデザインと合わない時もあるんだから控えなさい」
「都度消すから問題ありません」
いけしゃあしゃあと言い切る息子にセレスティアは美しい顔を曇らせてため息を吐いた。
「親子揃って同じ事を言って……なんで変なところばかり似るのかしら」
「ティア」
「あら、何かしら?」
息子の嫁の前でやめなさい、と言うようなゴットフリートの声に彼女はふんわりとした笑みを返すと、そのままイザンバへと視線を移した。
「ザナ、苦労をかけるわね」
「いえ、あの……大丈夫です」
労りの言葉は有り難いが、ちらほらと聞こえる父子の類似点に義母も自分と同様なのだという事が察せられてイザンバは気まずさを感じずにはいられなかった。
さて、約束通りの時間に来客は訪れた。
セレスティア御用達のデザイナー、エルザ・インフンとその弟子二名。そして別室に次々と運び込まれる衣装。三人が揃って頭を垂れると、ゴットフリートが口を開いた。
「よく来てくれたね。ああ、楽にしてくれて構わない」
「皆様、ご機嫌麗しゅうございます。本日はこのような場を賜り、また弟子の同席のご許可をいただき重ねて感謝申し上げます」
「二人を着飾れるとティアがとても楽しみにしていてね。今日はよろしく頼むよ」
「かしこまりまして」
自分の信念とスタイルを貫き通す強い意志があるが、しかし柔軟性も持ち合わせており、流行り廃りをよく見ているが故に人気デザイナーとして走り続ける女性、エルザ。
ゴットフリートの微笑みに頬を赤らめる事なく答える彼女にセレスティアが話しかけた。
「その二人があなたが特に目をかけている子なのね?」
「はい。ご紹介させていただきます。右側の女性はベロア、左側の男性はブロードと申します。デザイン、色彩センス、裁縫技術。切磋琢磨の末どこに出しても恥ずかしくない仕上がりとなっております」
「そう、それは楽しみね。でも……」
見定めるように、試すように、王族の威圧感を持った宝石の如き碧眼が若いデザイナー二人に向けられる。
「私の可愛い子達が重用するかは別の話よ。その眼を曇らせず、これからも精進なさい」
「恐悦至極に存じます」
「ご期待に添えるよう、精一杯尽力いたします」
公爵夫人から未来ある若者への激励に二人は真摯に返す。御用達であるのは師であるエルザがオンヘイ公爵夫妻と信用を積み重ねて得た繋がり。故に彼らの未来を確約するものではない。
この先ひと花咲かせるためには慢心せず、驕らず、彼らは彼らで信用を積み重ねていかねばならないのだ。縁は信用を失くせば容易く切れてしまうから。身が引き締まる思いとは正にこの事だろう。
義母の堂々たる姿を倣うべく観察していたイザンバ。エルザからの視線を感じ、淑女の仮面の微笑みで何かと問うた。
「イザンバ様、ご機嫌麗しゅうございます」
「ご機嫌よう。マダム、素敵なウエディングドレスを作ってくださりありがとうございました」
「勿体ないお言葉にございます。イザンバ様ご不在でのサイズ合わせでしたが、やはりご本人様が着てこそ真価を発揮するドレスとなりました」
希少な布をふんだんに使う事はベテランデザイナーといえども高揚感と緊張感を伴う。
結婚式当日、エルザは万が一のトラブルに備えて裏方として控えていたが、やっと目にした華々しくも幸福感あふれる花嫁の姿に感慨無量な気持ちになった。
「あのウエディングドレスを店に置いたところ大変にご好評をいただきまして。同じものを求める方からも、幸せなお二人にあやかりたいという方からも、ご注文を多くいただいております」
「そうなんですね。ですがマダムもご存知の通り私も当日に驚かされた身ですから……これはこの先も秘密にしておいた方が良さそうですね」
悪戯っ子のような軽やかな口調のイザンバから可愛らしい秘密の共有にエルザも同意を持って返す。
「それがよろしいかと。あのドレスはコージャイサン様からの愛のサプライズでございますから。それとは別件で……イザンバ様、こちらをお納めくださいませ」
エルザの視線を受けて、ブロードが厳重に施錠されたケースを差し出せば、そこにはゴア金貨がびっしりと詰まっていた。
「え?」
「セレスティア様とコージャイサン様からご許可をいただきウエディングドレスと共にイザンバ様のお写真を一枚飾らせていただいております。それ故に注文も増えているようでして」
それはまた当人のみが知らない事だった。
つまりはブランドイメージの向上と宣伝を兼ねた顔役である。火の天使との相乗効果もあるだろう。それによって伸びた売上金の一部をモデル料としてイザンバに納めるとエルザは言う。
予想外の事に困惑したイザンバが夫の顔を仰ぎ見れば、彼は優しく微笑んだ。
「受け取っておけ。彼女もそれを望んでいる」
「分かりました」
多くの女性が憧れる花嫁であると言う事実がまた一つイザンバの自信に繋がればいい、と願って。
イザンバに代わって側付き達がケースを受け取ると、待ち切れないとばかりにセレスティアが軽く手を叩く。
「話は済んだわね。エルザ、今日の衣装はどれだけあるの?」
「本日はお二人に十着ずつご用意しております」
「十着?」
「申し訳ございません。お着替えやヘアメイクの時間を考えるとどうしても厳選せざるを得ず」
「そうですか」
エルザ達が頭を下げるが、コージャイサンは別に少ないと言ったわけではない。メイク直しと着替えから撮影まで最短で一着三十分と仮定しても単純計算で五時間。セレスティアの張り切り具合を見ればむしろもっと長くなるだろう。
まだ始まってもいないが、午後が丸々潰れる事を予想してコージャイサンは疲れたように息を吐いた。
「さぁ、皆の者準備なさい!」
「かしこまりました。それではコージャイサン様はこちらへ」
「イザンバ様も別室へお願いいたします」
セレスティアの号令で動き出す使用人達。モデルの二人はブロードとベロアにそれぞれ案内されて。
「また後で。どんな服か楽しみにしてる」
「はい。私も楽しみにしてます」
束の間別れた若夫婦。そして、セレスティア総監督の撮影会が始まった。
「まずはお出掛け用の服よ!」
それは爽やかなカラーのシャツとスカイブルーとホワイトのチェック柄で、コージャイサンはベスト、イザンバはワンピースのペアルックであったり。
それはエレガントな印象のジャケットとスカートで、ペアで着ると鮮やかなシミラールックとなり、少し大人めだけど可愛いペアルックだったり。
それはシャープさのあるお揃いのシャツと上品な光沢感のあるカーゴデザインパンツ、膝下にスリットがあるミモレ丈のハイウェストスカートのモノトーンな色使いがクールなコーディネートだったり。
「次はドレスよ!」
それは広がり過ぎないタイトめのライン、風に綺麗に靡くとろみのある淡いピンク色のドレスと、優しく柔らかい印象をもたらすナチュラルなライトグレーのタキシードであったり。
それはオーガンジーのフリルが贅沢に施された溌剌としたオレンジのドレスと、大人の余裕を醸し出す温かみのあるワインレッドのダブルボタンスーツであったり。
サロンで、図書室で、玄関ホールで、庭で。セレスティアがシチュエーションにも拘るのでやはり時間がかかる。
ちなみに撮影者はモーリス、リンダ、そして変装済みのイルシーがあらゆる方向から撮りまくるガチ仕様。紙の消費が激しいったらない。
ジオーネは他の使用人たちと照明係としてあっちにこっちに走り回っているが、セレスティアの細かい注文にも皆懸命に応えている。
またヘアメイク担当のヴィーシャとヘザーもイザンバを美しく彩る事は勿論の事、かつ公爵夫妻を待たせすぎてはならないのだからプレッシャーが半端ない。
当然若夫婦の表情にもポーズにもセレスティアから逐一指示が飛ぶ。全ては彼女の満足する一枚を撮るために。
現場は並々ならぬ緊張感に溢れているのだが……。
「ああ——……お二人に似合うと確信を持っておりましたがやはり目の当たりにすると……デザイナー冥利に尽きますわ〜〜〜!」
自身が衣装に込めた想いを、セレスティアの見事な手腕で撮影風景に反映されてエルザは興奮しっぱなしである。そして弟子達も。
「やはりコージャイサン様はどの服を着ても様になられますね。完成された美貌とクールさで近づき難いお方ですが、イザンバ様とご一緒だと表情も雰囲気も柔らかくおなりで人間味が増すと言うか。同性だというのに見惚れてしまいます」
「ブロードもそう思いますのね⁉︎ なんと言ってもあのイザンバ様だけに向ける甘いお顔! 美貌と色気と魅力が暴力的なまでに底上げされて見ているだけで震えてしまいますわ!」
内から溢れ出る自信と熱い想いがまた彼の魅力を深掘りし。
「イザンバ様も化粧映えなさるから服やメイクで雰囲気ががらりと変わって……可愛いもカッコいいも選び放題だなんて……目が離せなくてまるで底なし沼のようです!」
「分かる、分かるわベロア。以前は何をお召しになられても無関心でいらっしゃいましたが、今はそう、特に清純な雰囲気の中に艶やかな色香が混ざった時、天使が小悪魔の魅力も兼ね備えて……えも言われぬ余情がありますわ!」
蛹が蝶へ羽化したような、少女から女性へと変わる瞬間の儚さが彼女をより美しくみせる。
そんな師弟の会話にセレスティアは当然とばかりに満足そうに頷いた。
「愛し愛されているからこそ生まれる変化ね。いい事だわ」
「誠、左様にございます! ああ、また創作意欲が刺激されますわ!」
「私もです、師匠!!」
エルザ同様弟子達も創作意欲が昂っているようだ。今すぐに描き出したいと手が疼くが、何よりも胸に抱いたこの情熱をより深めたいと貪欲さが瞳に宿る。
セレスティアは楽しそうに碧眼を細め、息子夫婦を見遣った。
「ふふ、ほら二人とも。期待に応えないといけないわよ」
「無闇に煽らないでください」
イザンバに水を渡しながらコージャイサンが苦言を呈すも母子の熱量の差はさもありなん。
こくりと喉を潤したイザンバは、同じく水を飲む夫を見上げて言った。
「コージー様が色気を抑えたら皆様も落ち着かれるんじゃないですか?」
「抑えるのはザナの方だろう」
「え?」
「え?」
その言葉にコージャイサンとイザンバは顔を見合わせる。数拍おいて、イザンバは驚愕を露わにした。
「まさか、無自覚ですか?」
「そのセリフ、そっくりそのまま返す」
夫がクールに打ち返してくる言葉にイザンバは自分の頬をむにむにと押してみるが、はてさてどちらがお色気過多なのかは……皆様の想像にお任せしよう。
活動報告にイルシーとジオーネの会話劇をアップ予定です。




