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 そんなこんなで話は冒頭に戻る。

 休憩後もサリヴァンと推しから放たれる軽妙な一撃に未熟な淑女の仮面は全戦全敗。

 頑張る事に変わりはないが、しかし我慢ばかりもよくないと推し断ちをやめて部屋はすっかり元通り。

 夕食時になにやら騒ぐ父と弟は推しの挿絵を眺めて知らんぷり。

 そしてカティンカは推しに癒されて元気溌剌で検証に挑んだ。


『カティンカ嬢、こんばんは』


「こんばんは、アーリス様」


『あれ? 今日はなんだか雰囲気が違いますね』


「そうですか?」


『はい。昨日より声に元気があるみたいです』


 いつものようにふんわりと笑うアーリスだが、まさかそんな風に見抜かれるとは思わずカティンカは目を丸くした。


「……すみません。うるさくしないようにします」


『え? 違うんです、そう言う意味じゃなくて。その、前みたいだから安心したなって思って。あ! そう言えばザナから新婚旅行のお話聞かれましたか?』


「聞きました! 一瞬私の耳がおかしくなったのかと思ったけど全然そんな事なくて。ってか普通そんな事あります⁉︎ ないですよね! でもイザンバ様だからアリなんだろうなって感じだし納得しちゃいました! 推しと会えたとか本当羨ましいー! コージャイサン様とシリウスがバチバチにやり合ってたらしいですけどそれはそれで見応えがありそうで……あっ! イザンバ様にどっち応援したのか聞けばよかった……うわぁ、しくじったー! でもいつかイザンバ様と聖地巡礼したら私もレグルス様に……なんて、きゃーーー!」


 一人興奮に身悶えていたカティンカだがここまで言ってハッとした。うるさくしないと言っておきながらこの体たらく。すぐに小さく縮こまった。


「す、すみません……」


『ふふ、やっと素を出してくれましたね』


「え?」


 ところが向けられたのは呆れや怒気ではなくとても柔らかで優しい声音。


『検証が始まってから前と態度が違うから多分結婚式での事を気にしてるんだろうなって思ってたんですけど。でもね、僕はあなたたちの話を聞いてるのは楽しいんです。だから僕の前でもありのままのカティンカ嬢で大丈夫ですよ』


 あっ、とカティンカは思った。この声はレグルスの話をしたと同じ。小さい水晶では見えにくくても今もあの柔らかなヘーゼルの眼差しを向けてくれていると分かる。

 じわじわと胸に沸き上がる安堵と歓喜。

 それはつまりお行儀よくしなくていい、オタトーク解禁のお知らせ。カティンカは思わず顔を覆って叫んだ。


「本当優しすぎるなこの兄妹! 一生推す!」


『あはははは! それは光栄です。ねぇカティンカ嬢、実際にザナみたいにレグルスに会ったらどうしますか?』


「え? うーん……イザンバ様も叫んだって言ってたしまず叫びます。出来ればお話ししたいですけどでも推しと直接話すなんて烏滸(おこ)がましいって言うか————……」


 いきいきと話すカティンカにアーリスが相槌を打つ。こうしていると三分なんてあっという間に過ぎたが、二人に時計を気にする素振りはない。

 しかし、いつもよりも大幅に続いていた会話の最中になんと闖入者(ちんにゅうしゃ)が現れた。


「姉さん!」


「ちょ、何、ノックしてよ」


「変態が偉そうに……! ダイニングにこんなもん置いとくな!」


 そう言うとハマルは手に持っていた本をカティンカに向かって投げつけた。


「きゃぁぁぁ! なんで投げてんのよ⁉︎」


 瞬時になんの本か判別したカティンカが慌てて受け止めて事なきを得たが、しかし大事な本を投げられて黙っていられようか。

 ところがハマルはそれ以上の不機嫌さで言い返してくる。


「そんなもん触りたくないからだよ!」


「神作品に向かってそんなもんとは何よ! だったら置いといたらいいじゃない! 言ってくれたら後で取りに行ったわよ!」


「後でって言っていつもそのままにするだろ! せっかくオタクやめたと思ったのに復活しやがって! ゾンビか!」


「はいはい、ごめんなさいねー。っていうかそういうのは後で聞くから。今取り込み中なんだけど?」


「は?」


 ようやく勢いが収まったハマルにカティンカが机の上の伝達魔法の水晶を指さすと彼は分かりやすく固まった。

 そして、小さな水晶に映るアーリスの穏やかな声が彼に伝わる。


『ジンシード子爵令息、こんばんは』


「ク、クククタ、クタオ伯爵令息様、こんばんは!」


『お姉さんの忘れ物を届けてあげたんですね。でも投げるのはダメですよ。本の角が頭とか目に当たったら危ないでしょう?』


「はい、気を付けます! 次からは机に叩きつけます!」


『うーん、それはそれで何か違うような……本は丁寧に扱いましょうね』


「はい!」


 注意を受けて改善する気はあるようだがどこかズレてある事にアーリスが困ったように頬を掻く。

 しかし、弟は姉の腕を引っ張るとこそこそと話し始めた。


「つか、姉さんも仕事中なら早く言えよ」


「あんたが勝手に入ってきて一人で喋り出したんでしょう」


「いつもはもう終わってるし、元は姉さんがちゃんと片付けないからだろ!」


 言うだけ言ってハマルは水晶に向かって深く頭を下げた。


「クタオ伯爵令息様、姉が騒がしくてすみませんでしたー!」


「こらー! 私だけのせいじゃないでしょ! ソクラテス先生に指導は厳しめにってお願いしとくからね!」


「それはやめて! あの先生ほわほわじいちゃんに見せかけてマジで厳しいんだって! オレ学園の課題だってあんのに!」


 心底嫌がるハマルに、しかしカティンカはキリリとした表情を作りクイッと眼鏡の蔓を押し上げるふりをしながら言った。


「自業自得ザマス」


「ふざけんなよ腹立つな! だったら姉さんの淑女とは程遠い腐った趣味もサリヴァン先生にチクるからな!」


「私はチクられて困る事なんて何一つありませーん!」


「困れよ! 開き直んな!」


『…………ふ……くくく……あはははははは!』


「あ」


 アーリスの笑い声が聞こえてまたもややらかしてしまった事に気付いた姉弟。笑い声を背後に身を寄せて再びこそこそと話す。


「姉さんのせいで笑われた」


「だから私のせいにしないで。あんたも共犯よ」


「は⁉︎ あの、仕事の邪魔してすみませんでした! 失礼しました!」


 水晶に向かって大きく頭を下げると一目散に部屋から出ていくハマルにカティンカは一つ息を吐くとアーリスへと向き直った。


「アーリス様、騒がしくして申し訳ありません」


『いえ、ふふふ、僕も笑っちゃってすみません。仲がいいんですね』


「いや、仲がいいっていうよりあれは生意気っていうか、私の事舐めてるっていうか……。アーリス様とイザンバ様の方が仲良いじゃないですか。あんな風に口喧嘩なんてしないんじゃないですか?」


『あー……確かにあんまりないかもしれないです。婚約者がコージーって事もあってザナが外で気が抜けない分つい家では甘やかしちゃってる自覚はあるんですけど』


「優しいお兄ちゃん……尊い!」


 オンヘイ公爵家と縁付いた事でイザンバは様々な嫌がらせにあっていた。アーリス元来の性格もあるが、外で付け入られる隙を作らないように気を張る妹に、家が安心出来る場所であるための気遣いもあったのだろう。

 在りし日の兄妹の姿を想像して身悶えているカティンカに少し考え込んだアーリスから声がかかる。


『……ちょっと気になったんですけど、マダム・サリヴァンとソクラテス卿はまだそちらにいるんですか?』


「はい、そうです」


『それで余計に態度が変わってたんですね。二人が居るのは結婚式までだと思ってたんですけど……』


「私もそう思ってました。でもちょっと事情が変わって。あの、検証の条件に同じ場所でって言うのがあるじゃないですか。うちの父が私の嫁ぎ先を探していたんですけど後妻で探していたらしくて」


『後妻⁉︎ なんでまた⁉︎』


 カティンカは全く気にしていないのか実にあっけらかんと言うが、ギリギリとはいえ適齢期だという事を思えばアーリスが驚くのは仕方がないだろう。

 なぜと問われれば解が必要だ。カティンカは言葉を濁しながら続けた。


「あの、ほら、私の趣味がですね、ハマルを……弟を見て分かる通り好き嫌いが別れるものでして後妻の方が都合がいいと考えたらしくて」


『そうですか? ザナもオタクだし推しの事を喋ってる時とか元気だなーとは思いますけど。コージーもあんなだし』


「それはアーリス様とコージャイサン様が途轍もなく懐が深いってだけですよ」


 それこそカティンカの元婚約者と比べると雲泥の差である。

 家族ですらオタク趣味には否定的なのだ。ここまでオタクに理解がある貴族男性がいる事をカティンカですらイザンバと出会うまで知らなかったのだから、父が後妻でと考えるのも彼女としては納得出来る。


「えっと、でも、なんていうか、あのー、私はイザンバ様よりももうちょっとディープな感じなんですけど……まぁ、それは置いといて! 後妻だとすぐにあちらに行く事もあるから検証の間は嫁ぎ先探しをやめて欲しいとコージャイサン様が仰られたんです。その流れでうちの両親を気遣ってくださったんだと思うんですけど、コージャイサン様が結婚相手をお世話してくださる事になりまして」


『へぇ。コージーが……』


「はい。両親なんか防衛局の方を紹介してもらえるならって泣いて喜んでたんですよ。まぁ私も検証の期間は結婚について言われなくて済むのは有り難いですし。あれ言われるの結構面倒なんですよね……」


 げんなりとした彼女の声にこちらも身に覚えのあるアーリスが眉を下げながらも頷いた。


『その気持ち分かります。心配しているのは分かるんですけど顔合わせる度に言われるから僕もちょっと憂鬱で。でも高位貴族からの縁組だと断れない場合がありますけどいいんですか?』


「あ、そこは大丈夫だと思います。イザンバ様が悲しむから下手なところと縁を結ばせたりしないって仰ってましたし」


 子爵という身分ではどうしたって高位貴族に勧められた縁談に否とは言えない。

 喜ばしい縁ばかりではないのでは、と心配するアーリスにカティンカからの返事は親指を立てた実にいい笑顔。水晶の向こうでアーリスが吹き出した。


『ぷっ、あはははははは! それはコージーらしいなぁ!』


「そうですよね! 行動原理がイザンバ様なのマジで尊いし、だからこっちも信用できるっていうか!」


『ふふ、そうですね。きっとカティンカ嬢に合う人を見つけてくれますよ』


「そんな人いますかねー。ん? ちょっと待ってください。私よりもアーリス様が先にお世話していただく方がいいのでは?」


 ふとカティンカは気付いてしまった事実。けれども、今度はアーリスはにこやかな笑みを浮かべてその提案を軽い調子で投げ返した。


『やー、僕はまだいいです。カティンカ嬢、僕の分も頑張ってくださいね!』


「え、ズルくないですか⁉︎」


『ぷっ、ふふふふふ、ズルくないですってー。でも、その理由ならマダムたちがいるのも納得です』


「はい。コージャイサン様の顔に泥を塗れませんから。弟もあんななんで一緒に」


 カティンカは自分で説明して教師二人の滞在理由に改めて納得してしまった。いくら淑女の仮面を仕立て直したところで弟と遠慮なく言い合っているところを見られたらおしまいなんだ、と。


 ——あの短時間でよくそこまで考えられるなぁ……。


 年下の小公爵閣下に脱帽するばかりである。

 すると、水晶の向こうからも案ずる声が届く。


『あー、うん、確かに結婚式の時もさっきもお互い相手につられてるところがありそうですね。ただ弟さん、お姉さんなら何言っても大丈夫って思ってるところがあるのか、その辺りちょっと危ういですよね』


「危うい……ですか?」


『家の中だけのつもりでも咄嗟の時に普段の態度って出てしまいますから。彼はいつもああいう物言いなんですか?』


「いえ、普段はそんな事は……あれは私と、その、趣味が合わなくて、ですね。だから、あんな感じにキツいっていうか……」


『それなら改善の余地はあると思います。きっとソクラテス卿も分かっていらっしゃるでしょうし』


 ただ気を付けなければいけないのは何もハマルだけではない。カティンカに向けられた声が穏やかに口調で諭す。


『親しき仲にも礼儀ありですよ。お互いに。ね?』


 ——お互いに。

 それはハマルが投げた本を指していて。

 元はといえばオタクをやめたと喜ばれた意趣返しにカティンカがダイニングで読んで置き忘れたからで。


「……そうですね。私も気を付けます」


 淑女としてだけではなく自分の生活の中で改めるべきところにも目を向ける。そんな指摘にカティンカは神妙に頷いた。




 樹木をヒトに例えるとしよう。樹皮や葉の色も、形も、高さも、幹の太さも、どれだけ多くの木があっても同じものは一つとしてないだろう。

 それは時を経てヒトに出会うたびに枝分かれをして、感じた想いによって伸びた枝葉は時に真っ直ぐに、時に緩く曲線を描き、はたまた極端に反り返っていくから。

 柔らかな樹皮はいつの間にかついた大小の傷により硬く強くなったが、見えにくいところには薄くなった傷も深く残る傷もあるだろう。

 必要なものは残して、いらないものは切り離して。

 やがて生まれた名もない種の行き先はどこだろう。

 ——あるいは真っ直ぐ下に落ちて

 ——あるいは綿毛のように風に乗って

 ——あるいは鳥がどこかへ運んで

 衝撃にも似た高鳴りと感情をゆっくりと、ゆっくりと、温かな土の中で種は取り込んでいく。

これにて「時待つ花は千種なり」は了と成ります!

読んでいただきありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
アーリス様はカティンカ嬢の結婚の話しを聞いてどう思ったのかしら 妹の友達としての心配なのかそれとも...とりあえずコージャインサン様に確認しそう(^_^;) カティンカ嬢は恋心と言うよりオタクに理解の…
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