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さぁ、休憩時間は有限だ。二人は早速お喋りに興じた。
「イザンバ様、新婚旅行はどうでしたか?」
『すっごく楽しかったです! あのね、もう本当に信じられない事が起こって一瞬夢かなって思ったんですけどコージー様が居るからばっちり現実じゃないですか。じゃあなんだこれってなった時にもう叫ぶしかできなくてめちゃくちゃ叫びました!』
「え、何があったんですか?」
『シリウス様にお会いしました!』
聞かされたカティンカの脳内をいつぞやのように疑問符が占める。水晶の向こう側ではイザンバは変わらずニコニコとしているが、しかし言われた内容を理解する手助けにはならなかった。
たっぷりと間を空けてもやっぱり理解出来なくてカティンカは聞き直した。
「………………ごめんなさい、今なんて?」
『シリウス様に、お会いしたんです!』
二回目だ。しっかりはっきりと言われたが、いや、もう何となく分かっている。イザンバがこんな嘘をつくはずがない。だからといって落ち着いた反応ができる訳がなくて。
「ええぇぇぇぇぇえっ!!!?? ちょ、ま、な、えぇえー⁉︎」
腹から飛び出た驚きは大音量となって部屋の空気を震わせた。けれども水晶の向こう側でイザンバはけらけらと楽しそうに笑う。
『あはははははは! カティンカ様ってばいい反応ー!』
「いやだってこれは叫ぶでしょう! なんで⁉︎ どうして!!?? そうなったのか説明プリーズ!」
あの声量では部屋の外にも漏れているだろうがカティンカはそれどころではない。そして、事の経緯を聞いてカティンカが抱いた感想は一つ。
「いやもうなんていうかウエディングドレスもそうだけど……コージャイサン様って本っっっ当にイザンバ様が大好きですよね」
『え、あっ、と……そ、そうですか?』
「そうですよ! だってあれもこれも全部イザンバ様のためじゃないですか! なんてでっかい愛! やべぇー! 尊い! マジで二人とも推せるー!」
照れているイザンバの姿が余計に興奮の拍車をかける。何よりも深く大きい彼の愛が彼女の可愛さを育てているのかと思えばどれだけ尊い事か。カティンカはまた一人萌えを感じとり大いに悶えた。
けれどもやっぱり気になるのはそこだけではなくて。
「それでそれで⁉︎ 生のシリウスはどうでしたか⁉︎ お話しましたか⁉︎」
『いえ、なんか感動しているうちにコージー様と戦い始めちゃってそのまま満足して昇天されました』
「え、もったいない。てか、なぜにバトルを?」
『なんか二人が話してたら流れで? でもとにかくすっごくカッコよかったんです! ぶつかり合う紫銀と黒の閃光とかもう超絶美麗な挿絵みたいで!』
「うわぁー! それ絶対カッコいいやつ! てか、シリウスも案外好戦的なんですね」
ふと湧き上がった疑問だがイザンバがすぐに答えてくれた。
『ああ、それはね、死者というのは柵がない状態なんです。コージー様曰くとても楽しそうに戦っていたそうですから、もしかしたら純粋に強者と戦いたいって思ってたのかもしれないですね』
「そのお眼鏡に叶うコージャイサン様は何者ですか? あ、世間からは酷氷のプリンスとか鬼畜隊長とか呼ばれている強くて怖くてカッコいいイザンバ様の最愛の旦那様ですね。知ってます」
過去の逸話でも強者として記されているシリウス。小説内で鬼畜作戦もあったが、現実でそんな人と渡り合うなんて尋常じゃない。やっぱりコージャイサンはカティンカの中では敵に回してはいけない人ナンバーワンである。
しかし、ここでカティンカはある可能性に気付いた。
「はっ! てか、イザンバ様と旅行したらもしかしたらレグルス様とも会えるのでは……⁉︎ 無事に尊死する未来しか見えないけど想像しただけで……ぐっっっふ! すでに幸せ!」
『分かります! ただ仮に会えたとしてもし同じように戦う事を望まれたらコージー様くらいの戦闘力がないとレグルスに満足してもらえないかもしれません……」
『やっぱ戦闘力必須ですよねー。むしろコージャイサン様にお金払って依頼しないと! いや、でもそうしたら私は新婚夫婦の間に割り入るただのお邪魔虫……あぁぁぁ、私にも退魔の才能があれば……!」
お邪魔虫になろうものなら氷漬け待ったなしだと想像し、もっと言えば退魔の才能なんてさらにどうしようもない現実だ。だからこそ悔しさにハンカチを噛み締める。
だが、そこを考えなければきっと楽しい時間になる事は請け合いだ。それはイザンバも同じ考えなのだろう。明るい声音が思考の海に浸かるカティンカを引き寄せる。
「でもカティンカ様と旅行は楽しそうです! いつか一緒に行ってみたいですね』
「いいですね、二人で聖地巡礼旅行! その時は張り切ってプラン考えますよ!」
『ふふ、よろしくお願いします。でも二人揃って叫びすぎないように気を付けないとですね。あ、叫ぶと言えばカティンカ様、授業の方はどうですか?』
そうイザンバが尋ねると、カティンカがぐわっと水晶に顔を近づけた。
「聞いてくださいよー。もうね、作法も大変なんだけど微笑みを貼り付けるのしんどい! 淑女の皆様マジで尊敬します! てか、イザンバ様がめちゃくちゃすごいって事がみんなにもっと分かって欲しい!」
『えっと、そう言われるとすごく恥ずかしいけど……嬉しいです。ありがとうございます。今どんな事してるんですか?』
「えっと、今はですね……」
カティンカの話はこうだ。
ヴィーシャも手を替え品を替え脊髄反射を誘ってきたが、サリヴァンもまた容赦がないのだ。
「これからあらゆる絵画を見せていくザマス。ですが決してその微笑みを崩してはいけないザマス。準備はいいザマスね?」
「はい」
サリヴァンは真面目な顔つきで一枚一枚見せてくる。王国貴族の似顔絵や風景画。そして間に挟まれた推し。
「……ファッ⁉︎」
「やり直し。口を大きく開けないザマス」
「え⁉︎ はい、え⁉︎ 先生、今のは⁉︎」
「ふふふ、なんザマしょ? ではもう一度。さぁ、微笑みを浮かべるザマス」
何を見せられたのか目を白黒とさせるカティンカをよそにサリヴァンはただ美しく微笑むだけ。
言われた通りなんとか微笑みを浮かべると再び見せられる絵画。だがゆっくり、ゆっくりと、焦れるほどのペースである。そしてそろそろ頬が攣りそうという時、眼前を一瞬で去る推し。
「先生ぇぇぇ!」
「やり直し。全身で嘆かないザマス」
「すみません! でも今のはミカエル様では⁉︎ もっとゆっくり見たかったです!」
「素直でよろしい。ではもう一度ザマス。準備はいいザマスか? さぁ、微笑んで」
今度は一瞬すぎて残像しか追えなかった、と悔しがるカティンカ。思いの外サリヴァンの動きが俊敏で二重に悔しい。
次そこはと集中していた矢先、再び現れる推し。
「カッコよ……」
「やり直し。表情を崩し過ぎザマス」
「脊髄反射でニヤけてしまうのをどうしろと⁉︎」
「結婚式の時に反射を飲み込んだのと同じザマスよ。さぁ、心を鎮めてもう一度ザマス」
それからずっと繰り返していたのだが結局一度も上手くいかないまま休憩時間になってしまったわけで……。
重い足取りで部屋に戻り、推しが一切部屋にない事に落ち込んで横になっていたところでイザンバから連絡が入ったのである。
「私ね、淑女教育に集中しようと思って今は推し断ちをしてるんです。なのにバチクソイケてる推しを見せてくるって……しかもニヤけちゃいけないとか……叫んじゃいけないとか……もう、もうっ……拷問でしかない!」
『あー、ね。その気持ち分かります。でも……』
ここでイザンバは少しだけ間を置いた後でにこりと微笑むと。
『私もそれやりました』
「そうなんですか⁉︎」
『だからカティンカ様がしんどいなって言うの分かります。推しを見てる時って一番表情筋が動いちゃいますよねー! だって本能だから!』
「そうなんですよ! むしろ全身全霊で崇め称えたいのに! 叫ぶのを我慢するだけでも大変なのに!」
『カッコいい推しを目にした暁には嬉しさと興奮は秒で大爆発ですよね! 大好きだから全エネルギー分で!』
「まったくもって! しかも今推しが足りてないから余計にチラチラ見せられると辛い! マジで泣く!」
そう言いながらカティンカは机に突っ伏した。どんよりと重いナニかが上からのしかかっているかのように体も気分も上げられない。
「頑張らないといけないのに……あ〜〜〜! ねぇイザンバ様、反応しないようにするのって何かコツとかありますか?」
『んー……実は私も昔推し断ちしたことあるんです』
「そうなんですか⁉︎」
『はい。でもなんか気持ちも後ろ向きになっちゃって、頑張らなきゃって思うけどなんか頑張りきれなくて』
「まるっきり今の私です……」
やるべき事は分かっているのに進捗は芳しくない。絡み本を書いている時とは大違いだとカティンカは思う。
重いため息を吐き出した彼女に寄り添うような優しい声音が聞こえた。
『今の状態ってしんどいですよね。私もね、お義母様に言われたんです。微笑みを身につけるけど感情を殺す必要はないって。それに四六時中淑女の仮面を被る必要もなくて、社交では淑女の仮面を被った令嬢として、笑いたい時は気を許せる人の前で自分として笑いなさいって』
イザンバは言う。だから頑張る事に比重を置きすぎず自分の心も大事にしてほしい、と。
推しがいる事も含めてのカティンカの心だからだ。
『コツって言うなら感情が動きそうな時ほど深くゆっくり呼吸をすることです。そうやって見た目だけでも平常心に見せかけるって感じなんですけど……まぁぶっちゃけると淑女の仮面なんて究極の外面ですからね!』
「本当にぶっちゃけた!」
身も蓋もない物言いに思わずツッコんだが、それでも返ってくるのは軽快な笑い声。
『あははははは! だって社交界で外面さえ保ってられたら心の中で何を思っててもいいんですし。それこそ中身がオタクでも人見知りでも漢前でも叫んでも問題ないんですから』
そう、外面を整えるだけでいい。「オタクをやめろ」としか言わない家族と違い、コージャイサンも従者たちも「外面をしっかりしろ」と言う。イザンバですらも。
少し考え込んだカティンカの耳に届く友人からの問い掛け。
『それでカティンカ様、まずは一つ、隠したい衝動はありますか?』
「サリヴァン先生によく言われるのは『やり直し。表情を崩さないザマス』です」
カティンカがわざとキリッとした表情を作ってしたサリヴァンのモノマネにイザンバは軽く笑うとこう言った。
『んふふふ、似てますね。じゃあこの後はその崩さない事だけに集中しましょう』
「でもそうしたら叫ぶかもしれないし、思った事ポロッと出ちゃうし」
『いいんですよ。オタクの衝動を全部一気に我慢しようなんて不可能なんですから。それにカティンカ様が結婚式で反射を飲み込めてたからサリヴァン先生もそこは言わないのかも。だからね、一つずつ積み重ねていきませんか?』
「道のりが長すぎてつらたん。ってかそんな長い事推し断ち出来ない……今もうすでに無理……」
全てできるようになるまでどれだけの時間が必要なのか。先の見えない道のりにカティンカは涙目だ。
そこへイザンバがにんまりと笑いながら言う。まるで悪魔の囁きのように。
『いいんだよー見ちゃいなよー推しを吸えば百人力だよぉー」
「あー、イザンバ様が誘惑するぅぅぅぅぅ!」
『あはははははは!』
「でも…………そうですね! 推し断ちやめます! 推しがいるからこそ頑張れるって方がポジティブ! って言うかなんでサリヴァン先生は私の推しが分かったんだろう?」
心底不思議だと言うカティンカに今度はイザンバがキリリとした表情を作るとクイッと眼鏡をあげる仕草をした。
『カティンカ様の推しはお見通しザマス』
「あはははははは!」
楽しそうな笑い声がそれぞれの部屋に響く。
しかし、そっとヴィーシャから耳打ちを受けたイザンバがカティンカに呼び掛ける。
そして彼女にも分かる程にゆっくりと瞬きをすると、全開の笑顔も、ちょっとお茶目な物言いも、その瞬間に姿を消した。
『そろそろ時間ですね。とても有意義な時間でしたが今日はこれでお開きにしましょう』
今真っ直ぐに向けられているのは淑女の微笑み。これから授業に戻るカティンカの為に、目の前で切り替えてみせる彼女につられるようにカティンカの背筋もピンと伸びた。そして同じく微笑みを作る。
「はい。こちらこそ参考になるアドバイスをありがとう存じます」
『お力になれたのなら良かったです。それでは、また明日。ご機嫌よう』
「ご機嫌よう」
水晶が暗転した後、カティンカは静かに目を閉じた。一人で悶々としていた時と比べものにならないほど気持ちは軽く、頭もスッキリした。
自分を押さえ込まずに話し、たくさん笑ったことはいい気分転換になったようだ。
——今なら、さっきよりももうちょっと出来るかもしれない……。
カティンカはゆっくりと深呼吸をすると真っ直ぐに前を見据え、サリヴァンが待つ部屋へと向かった。
活動報告に通信終了後のイザンバたちの会話劇をアップ予定です。




