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結婚式翌日。
さて、アーリスとカティンカが直接顔を合わせたのは本屋での出会いを含めてクタオ伯爵邸にお呼ばれした時と結婚式の三回であるが、彼と初めて検証する日程について連絡があった。
事の発端は朝食を済ましサリヴァンの授業が始まるまでの間に鳴った軽やかな鈴の音。
「イザンバ様かな? こんな朝からどうしたんだろう」
不思議に思いながらカティンカが魔力を通して見えた人物はなんとあの人だった。
「コ、コージャイサン様⁉︎」
『おはようございます。今少し時間をもらっても?』
「は、はい! おはようございます! 大丈夫です!」
イザンバだと思っていたカティンカの背筋が緊張感からピンと伸びた。しかし、小さな水晶に映るコージャイサンはいつもと変わらず淡々と言葉を紡ぐ。
『検証の事なんですが、俺たちは二日後から旅行に行くので悪いが先に始めてください。アルも三日後の夜には領地に着くと言っていましたし、着いたら彼の方から連絡するとの事です』
「わ、分かりました」
『それから……ザナと話していた時は随分と反射の飲み込みが甘くなったようですね』
「ヒェッ! も、申し訳ありません!」
従者から報告を受けただろうが水晶越しにも伝わる圧とはこれ如何に。しかし、直に圧を食らうよりも何万倍もマシだとカティンカは思う。
『どうやらあなたは忘れっぽいようですが己の失態がどういった事に繋がるかは理解したでしょう。オタクをやめろともザナのように徹底的に隠せと言っているわけでもありません。分かりますね?』
「はい! それはもうしっかりと!」
『では今日からも励むように。用件は以上です。ご機嫌よう』
「あ、はい。ご機嫌よう」
カティンカが返事をするとあっさりと暗転する水晶。通信時間は一分も経っていないが、相手がコージャイサンというだけでじとりと滲んだ汗が少し気持ち悪い。
「流石コージャイサン様。本当に用件だけだった……いや、楽でいいけど」
相手がイザンバなら本題に入る前に脱線していただろうに。しかし、コージャイサンと世間話なんて接待以外の何者でもないからこれでいいやとカティンカは一人納得した。
「よく考えなくても新婚だもん。お熱い初夜だったろうしイザンバ様が朝早くから動けるわけないよね」
旅行からいつ帰ってくるのかも聞けていないが、イザンバとの検証は彼女からの連絡待ちのスタイルでいこうと拳を握った。
そのまま授業開始時刻となったためカティンカが向かったのはサリヴァンの待つ別の部屋だ。
「マダム・サリヴァン、ご機嫌よう」
「ご機嫌よう、カティンカ様。結婚式やパーティーの場では大きな失敗もなく乗り切ったと聞いたザマス。あなたが以前に基礎をしっかりとしていたからこそあの短期間でそれなりに見せることが出来たザマス。よく頑張りましたね」
「先生……! でも……実は別室ではやらかしてしまって……最後は反射も飲み込めてなくて……」
褒められて嬉しいが、しかし同時に湧き上がる後ろめたさ。カティンカは肩を落としながら正直に告げた。
「ええ、そちらも聞いているザマス。友人であるイザンバ様の前では許されますが、セレスティア様の前では二度としないように。淑女たる者、常に自分をオープンに見せるのではなく相手や状況に応じてしっかりと切り替える事が必要ザマス。後悔を活かしてこその反省ザマスよ。さぁ、気持ちを切り替えて。授業を始めるザマス」
「はい!」
「やり直し。淑女の返事は大きな声でなくていいザマス」
「……はい」
「そう、その調子ザマス」
さて、始まりました淑女の仮面の仕立て直し。午前はお茶会の作法からだが、今日も今日とて容赦なく指摘が入る。
「やり直し。音を立てすぎザマス」
「やり直し。動きが固いザマス」
「やり直し。時間をかけすぎザマス」
お茶を飲む、たったそれだけの事なのに何度も指導が入り一向に進まず、褒められた時は嬉しかったがやはりこの容赦のないダメ出しはキツい。そして、とうとうカティンカから泣き言が漏れた。
「また⁉︎ もう無理ですー! 私はイザンバ様のようには出来ませんー!」
「当たり前ザマス。あのような所作が一朝一夕でものにできるなどと思わないことザマス」
「うぅ、思ってませんけど……お茶を飲むだけなのにこんなに徹底する必要ありますか?」
「淑女の所作とは常日頃からの弛まぬ努力の結晶。そして人に見られる事によってより研ぎ澄まされるものザマス。カティンカ様、まずは姿勢を正すザマス」
テーブルに突っ伏すカティンカに顔を上げるように促すと、何を思ったかサリヴァンは向かいに荒々しく腰掛け乱暴な手つきでお茶を飲み干した。さらに音を立ててカップを置くという一連の動作にカティンカはぽかんと口を開けた。
「何をジロジロと見ているザマス」
「え?」
それは厳しいと言うよりも棘のある言い方。あまりにもサリヴァンに似つかわしくない態度であったが、彼女はスッと剣呑さを収めるとカティンカに問いかけた。
「いくら見かけを綺麗に整えても先程のように口調や動作が荒々しい人をどう思うザマスか?」
「えーっと、怖いっていうか、あまり関わりたくないなと思います」
「そう、印象は悪くなるザマス。では、背筋がシャンと伸び、丁寧な口調や品のある仕草、相手を急かさない動作なら?」
「……優しそうとか上品な感じがします」
「所作にはその人の内面が映されるザマス。マナーは最低限の礼儀、所作は礼儀を踏まえた上で美しく、品よく見せる立ち居振る舞い。もちろんテクニックだけの話ではなく、本人の美意識が鍵となるザマス」
「美意識………………先生、私の中に見当たらないんですが」
考え込んだと思ったら真剣な顔をしていうカティンカにサリヴァンはそんな事はないと首を横に振った。
「では言い方を変えてみるザマス。誰かに憧れる事、誰かを尊敬する事、誰かに見合うための努力をする事。振る舞いもまたその心に準ずるザマス」
——何かを強く望む気持ち
——何かを強く慕う気持ち
——何かを強く欲する気持ち
人の心はその何かに触発されて「こうなりたい」を思い描く。そして、それを行動に移した時、振る舞いは変わってくる。
「もう昼食の時間ザマスね。午後からは微笑みの特訓ザマスが今言ったことを含めて自分の事を考えてみるザマス」
「……はい、ありがとうございました」
そうは言われてもカティンカの脳はショート寸前、考える気力はなさそうだ。
そして、昼食時に家族にも三日後あたりに検証が始まる旨を伝えたところルサークは神妙な顔つきになった。
「そうか、ついに始まるのか……緊張するな……」
「なぜあなたが緊張するんですか! お仕事するのはカティよ! でも新婚のお二人の時間を取りすぎないようにしなさいね」
なにせまだ結婚式翌日。いくら友人として親しげだったとは言えお邪魔虫には違いないと母は暗に言う。
「イザンバ様とコージャイサン様は二日後から新婚旅行に行くから先にアーリス様と始めるようにって指示があったの」
「そう言う事なら心配いらないな。あ、心配と言えばカティ——……クタオ伯爵令息にオタクだという事は絶対に隠し通しさない。いいね?」
「それならもうバレてるから大丈夫! 心配無用!」
父の忠告に対して親指を立てた娘はキラキラと眩しいほどにイイ笑顔。だがしかし、その笑顔に反して内容は彼らにとって酷であった。
「何やってるんだぁぁぁ!!!」
父と弟の揃っての絶叫にカティンカは素早く耳を塞ぎ、ぼそりと零す。
「……うるさ」
「うるさいじゃない! なんでもうバレてるんだ⁉︎」
「好きなことを隠す必要がないから」
詰め寄る父にカティンカのキリリとした顔よ。ルサークは頭が痛くてしょうがない。
「普通の趣味じゃないんだから隠しなさい!」
「普通って何よ⁉︎ てか、お父様だってイザンバ様と会った時に叫んだりしてたじゃない!」
「なっ! それとこれとは話が別だ!」
「同じでしょ! 推しが二次元か三次元かの違いだけじゃない! それにイザンバ様もアーリス様も趣味だけで人を判断したり差別する人じゃないの!」
カティンカに強く言い返されてルサークは押し黙った。今まで貴族として生きて染み付いた思想が彼に娘の趣味は普通ではないと判断させるが、かと言って火の天使への敬愛はあるし、クタオ兄妹の人柄に直に触れたからこそ娘の言葉を否定出来ずにいるのだ。
しかし、睨み合う父娘に割り入ったのはハマルだ。
「いや、オレからしたらどっちもどっちなんどけど、とにかく! 姉さんはいくらオンヘイ小公爵夫人と友達だからってこれ以失礼な事するなよ! 特にクタオ伯爵令息は知り合いってだけなんだから!」
姉に向けてビシッと指を突きつけてのハマルの主張だが、しかし妙に強調された部分にカティンカは首を傾げた。
「なんでアーリス様のとこでそんな力入ってるのよ?」
「だってあの人めちゃくちゃいい人だしカッコいいじゃん」
「アーリス様がいい人なのは全面同意だけど、カッコいいって言うのはコージャイサン様に言う人が多いんじゃないの?」
どうしてかここで世間一般の感覚を主張する姉にハマルは鼻で笑う。彼女がイラッとしたのは分かっているが、それでもハマルは真面目な表情で理由を述べた。
「オンヘイ小公爵は美形すぎるし、完璧だし、圧強いし、なんかもう色々次元が違いすぎて怖い」
「分かる」
「でもクタオ伯爵令息は最初助けてくれた時からずっと落ち着いてて優しくて気さくだし。公爵夫人にも全然ビビってなくて大人の対応っていうの? ああいうのめっちゃカッコいいと思う」
「確かに」
コージャイサンのような華やかさはないが、穏やかで人当たりが良く言動がスマート。さらに公爵夫人からも信頼を得ている彼にハマルは強い憧れを抱いたようだ。
言われてみれば確かにとカティンカも思う。オタクにも優しく人だが、昨日の彼の立ち振る舞いは堂々としたものでとても頼もしい姿だった。
「………………——まぁ、姉さんもちょっとだけ……」
「え? 何? なんか言った?」
「なんでもない!」
弟の言葉がうまく聞き取れなかっただけなのになぜかキレられ、カティンカも困惑の表情だ。しかし、そんな姉に頓着せずにハマルがボヤく。
「あんな人が兄さんだったらなぁ……それに比べて姉さんなんてうるさいし落ち着きないし腐ってるし口が滑るしうるさいし」
「ねぇ、なんでうるさい二回言ったの? 我、姉ぞ?」
「クタオ伯爵令息と年が近いのにこっちはなんでこんななんだろ。腐った妄想ばっかしててキモいし。マジでもっと見習ったら?」
「そうやって人を下げるようなこと言うなんて……あんたはまだまだ子どもね」
「はぁあ⁉︎」
分かりやすく突っかかってきた弟に今度はカティンカが鼻で笑い飛ばした。
「残念だったわね。あんたの憧れのアーリス様はオタクにも優しい人だし、相手が誰であれそんな事言う人じゃないわよ」
「クタオ伯爵令息が大人の対応してくれてるだけだろ。調子に乗んな」
ああ、姉弟間に火花が散っている。
ふと最初以降は妙に静かな母の姿がカティンカの目に入った。
「お母様、どうしたの? 具合でも悪いの?」
「マジで? 大丈夫?」
心配そうな子どもたちに俯いていた顔を上げてマヌフィカはゆっくりと微笑んだ。
「大丈夫よ、なんでないわ。カティ、オンヘイ小公爵様から任された大事なお仕事だもの。せめてご無礼がないようにお行儀よくしなさいね」
「え、うん、分かった」
なんだかいつもと違う母に内心で首を傾げながらもカティンカは母の言葉に素直に頷いた。




