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 ロイドから施される治癒魔法のじんわりとした温かさが二人を包み込む。ルサークの膝の痛みだけでなく悪かった顔色も荒れ狂った胸中も次第に穏やかなものになっていく。流石は医療管理官と拍手をしたくなる効果だ。

 頃合いを見計らいイザンバは優しい声音で子爵夫妻に話しかけた。


「カティンカ様と出会ってまだ日は浅いですが彼女の好きなものへの真っ直ぐな気持ちは私も知っています。好きなものを話す時は瞳をキラキラと輝かせていてとても可愛いんですよ。先程も友人同士の他愛無い会話ですからどうかそのように深刻に受け止めないでください」


「しかし……そういうわけには参りません」


「いいんです。全てはこの部屋の中でのこと、他のゲストは知らない内緒話ですから」


 それでも言い募るルサークにイザンバは唇の前で人差し指を立てると悪戯っぽく微笑んだ。


「それにカティンカ様はしっかりと振舞われていましたよ。ね、お兄様もそう思うでしょう?」


「うん、そうだね。パーティー中の彼女はきちんとした淑女でした」


「三日前になって来て欲しいと無理を言ったのは私の方ですし、カティンカ様はその為の努力もしてくださいました。パーティー中もお話ししましたけどきっとすごく気を張ってくれていたと思います。こうやっていつも通りのカティンカ様とお話しできて良かったです」


 だからこの話はここまで、とイザンバは言う。


 ああ——とルサークは顔を覆った。

 敬愛する火の天使の前だからこそ娘にはもっとしっかりして欲しかった。周りと比べて普通の貴族令嬢らしくないから余計に。

 けれども、自分たちが叫んだ時も、娘の失言にも彼女は何一つ怒らない。

 ——火の天使だから優しいのだと

 ——人々を愛し救う神の使徒は人の失敗を許すのだと

 呪いの苦しみから解放された事も相まって彼女を神格化していた事もあり、余計にそう思っていた。

 けれどもそれはなんという思い違いだったのだろう。


『イザンバ様は偶然からだけど友達になったんだから!』


『はじめまして。カティンカ様と親しくさせていただいていますクタオ伯爵が娘、イザンバと申します』


『コージャイサンちゃんのためっていうのが大きかったらしいけど本当に助かったわ〜!』


 やっと、彼らの言葉が耳に届いた。

 彼女はこの世に舞い降りた天使ではなく誰かと友人になる事も恋しい人の為に努力する事も出来る生身の人間であり、その優しさは天使だからでも社交辞令でもない。


 友人としてカティンカを受け入れてくれているから。


 娘が何度言っても信じられなかった事が今は不思議なほどすんなりと受け入れられる。


「私たちはこのように恥を晒してしまいましたのに——……オンヘイ小公爵夫人、ご容赦いただき誠にありがとう存じます」


 静かに流れる涙を隠すように子爵夫妻は深く頭を下げた。

 しかし彼らのやり取りを聞いた娘もまた俯いた。そんな彼女をロイドが呼ぶ。


「さ、お嬢さん、あなたもいらっしゃっい。顔、痛むでしょ?」


「え? あ。ありがとうございます」


「ふふ、いいのよ〜。お名前は?」


「カティンカ・ジンシードと申します」


「カティンカちゃんね! ごめんね〜アタシが話を広げすぎちゃったせいで痛い思いさせちゃったわね」


 じんわりとした治癒魔法が顔の痛みだけでなく心に沁みる。


「……いえ、元はと言えば私が悪いんです。反射でモノを言わないようにって注意も受けてたのに……」


 そう、カティンカは何度も言われてきた。気が緩みすぎたなんて言い訳にもならない。

 友人間であっても節度は大切だ。まして身分制度がある国ではなおの事。

 しかし、子爵という地位で高位貴族と接する機会は早々ない。あったとしても挨拶程度で会話が長く続く事はなく、それくらいであれば今まではやり過ごしてこれたのだ。

 また仕事で編集者と話す時に妄想が口を突いても「それネタにしましょう」と済んでしまうような環境だった事も淑女の仮面の必要性がなくなり劣化に拍車をかけたのだろう。


 けれども、イザンバと友人となった事で世界が変わった。

 自分と同じオタクなのに完璧な淑女の振る舞いを見せる年下の彼女。今だってなんでもないようにフォローしてくれた。


「イザンバ様の友達として恥ずかしくないように……コージャイサン様の顔に泥を塗らないように……ちゃんと頑張らなきゃ……!」


 なんだかんだと大目に見てもらえていたが故に残っていた甘えが吹き飛んだ。今度こそ改めねばならない、と力むカティンカにロイドが軽い調子で言った。


「誰かのために頑張るのもいいけど自分も大切にしなさいね。じゃないと潰れちゃうわよ〜?」


「ぷちっとですか?」


「ふふ、そう、ぷちっと。……——潰れちゃった心は治癒魔法でも治せないんだから」


 それはどこか寂しげで、重みのある声。けれども次の瞬間には明るい笑顔にすり替わって。


「パフォーマンスを上げるためにも自分の機嫌は自分で取らなきゃね!」


「はい。ロイ姉様、ありがとうございます」


 さて、そんな彼らの傍で何やらこちらも思案顔のアーリスだったが、ロイドから治癒魔法を受けるカティンカを見てある人物の名を呼んだ。


「ジンシード子爵令息」


「は、はい!」


「注意するのはいい事だけど叩くのはダメですよ」


「えっと、姉さんを止めようと思って、あの、その……言っても聞かないから……」


「うん、お姉さんのことを心配して人前で言うべきじゃないと思ったんですね。でも止め方に関してはどうかな? 結構痛そうでしたし」


 アーリスに指摘されて分かりやすくハマルが落ち込んだ。姉の言動を諌める自分の行動も他者から見れば褒められたものではなかったのだと気付いたから。


「それは……はい」


「手を上げなくてもお姉さんは気付いてくれますよ。どうしても手を使うなら口をそっと押さえてあげるとか目を隠すとかどうかな?」


「でもそれじゃ止まらないかも……」


「止まりますよ。だって彼女はちゃんと周りを見てるから」


 穏やかなのに核心を持った力強さがアーリスから放たれハマルは言葉を詰まらせた。ギュッと握りしめた拳の中に彼はナニを閉じ込めたのだろうか。

 けれども今は姉につられて激しく言い合う姿を見られた事が少し恥ずかしい。


「はい。すみませんでした」


「僕もいきなり名指しして偉そうにすみません。それと謝るなら僕じゃなくて……」


「はい。姉さん……たたいて…………ごめん」


「いいよ、私もごめんね。止めてくれてありがとう」


 アーリスの指摘を受けて互いに謝罪する子どもたちにマヌフィカは目を見張った。そして、衝撃を受け止めるように、口の中に滲む苦味を飲み込むようにきつく目を瞑ると、アーリスに向かって深々と頭を下げた。


「クタオ伯爵令息様、お手を煩わせて誠に申し訳ございません」


「いえ、こちらこそ申し訳ありません。子爵夫妻の手前ですし生意気とは思いましたがあまりにも痛そうで気になってしまいまして」


「とんでもございません。本来なら親である私共が戒めねばならないところでございます。ご迷惑をおかけしました」


「二人はそれぞれ聞き入れてくれていますし、迷惑なんて一つもかけられていません。だから頭を上げてください」


 アーリスの言葉に従いゆっくりと顔を上げたマヌフィカの表情はまるで憑き物が落ちたかのよう。年若い青年の、それでも優しい眼差しに少し目頭が熱くなった。


「寛大なご配慮、誠に感謝いたします」


 これにて大団円、と言いたいところだが二対のアメジストがそれぞれ意味深な揺らめきを纏っている。それはどちらもジンシード姉弟に向いていて。


「さて、可愛い坊や! 最後はあなたの足とお尻よ!」


「なんで知ってんの⁉︎ いい、いいです! オレは大丈夫!」


「小さな怪我だからって油断してたら後で痛い目見るわよ〜」


「いや、本当に……」


「うふふふふふ……さぁ、いらっしゃーい!!」


「あぁぁぁ! オレノシリー!」


 逃げようとしたハマルだが、あっという間にロイドにベッドに組み敷かれて真っ先に臀部に治癒魔法を受ける事となった。


「ありがとうハマル。尊い犠牲だったわ」


「僭越ながらジンシード子爵令嬢様」


 ほろりと感謝の涙を流すカティンカにどうにも冷たい声がかかり、彼女はまるで錆びついた魔道具のように声の主の方へと首を動かした。

 振り向いた先、そこには冷え冷えとしたアメジストがひたりとカティンカを見据えているではないか。


「この部屋を出たらご自宅に帰るまでしっかりと淑女の仮面をお被りくださいませ。あなたが許されたのは若奥様がいらっしゃるから、そして公爵家のご厚意を受けているという事を努努(ゆめゆめ)お忘れなきように」


 ヴィーシャからうっとりするほどの麗しい微笑みを向けられているのに悪寒が止まらない。「ご主人様の顔に泥を塗ったら……うふふふ」という声なき声がはっきりと聞こえた。

 そして、それはカティンカのみならず家族にも思い知らせるには十分だった。このままでは物理的に、いや、社会的にぷちっとされてしまう、と。

 なにせ三日前にやって来た従者も「外面をしっかりしろ」と言っていたのだから。目の前の美女、今はここにいない絶対王者とその従者。悪寒が二倍、三倍となって駆け抜けた。


「は、はい! かしこまりました!」


 オンヘイ公爵家からの厚意を受けておきながら「何も身につきませんでした」では流石に情けなさ過ぎる。穏やかだが堂々とした光を灯すあのヘーゼルを目標に定めたカティンカの意思が青空の色を深めた。


 脅しをかけるヴィーシャを困ったように見ていたイザンバだが、隣からそっと肘でつつかれた。犯人(あに)を見上げれば彼はさらに視線を動かし扉の方へ。その意味に気付き頷き返すと、アーリスが姿勢を正して子爵一家に声をかけた。


「僕らが居てはゆっくりと休めないでしょうから先に失礼しますね。オンヘイ公爵夫人から言付ですが、子爵夫人のお化粧直しも彼女達がしてくれるそうです」


 水を向けられた侍女たちが「奥様から任されております」と言うように微笑み返す。


「それと、帰りに付き添いも付けるそうですからもしも不調が続くようなら遠慮なく申し出るようにとの事です」


 有り難すぎる言付けに、しかし鎮静効果が効いているルサークは普段の社交と変わらない落ち着いた様子で返した。


「お二人にはお恥ずかしいところを何度もお見せして申し訳ございません。公爵夫人のお心遣いも大変ありがたく存じますが、エクター医師のお陰でどこにも問題はございません」


「それなら良かったです。まだパーティーは続いていますから皆様も落ち着かれたら是非お戻りください」


「はい、ありがとうございます」


「それではお先に失礼します。あ、カティンカ様。検証の時にまたたくさんお話ししましょうね! ほら、お兄様も」


 イザンバに言われてアーリスの視線がカティンカに向く。穏やかな微笑みを浮かべて。


「カティンカ嬢、最初は僕から連絡しますね」


「分かりました」


 カティンカが了承すると、待っていましたとばかりにロイドが手を叩いた。


「それじゃあイザンバちゃんはコージャイサンちゃんとツーショット写真撮りに行きましょ! その後アーリスちゃんと撮って、カティンカちゃんと撮って、アタシも可愛い花嫁さんと一緒に撮りたいわ〜!」


「まぁ、ロイ姉様も撮ってくれるんですか? 嬉しいです」


「でしょでしょ⁉︎ 早く行きましょ!」


 にこやかなクタオ兄妹とハイテンションなロイドを見送れば、部屋の中には家族のみ。だいぶ気楽になった中でハマルがそれはそれは真剣な声音で姉を呼んだ。


「姉さん」


「なによ?」


「今信じられない事が聞こえたんだけど。検証ってのはもしかしてもしかしなくてもオンヘイ公爵令息様からの……?」


「そうよ。イザンバ様とアーリス様も一緒にするの。言ってなかった?」


「聞いてない! こんな落ち着きのない腐った姉さんがあの二人と同じ仕事するなんて……絶対にまたやらかすって! あー、断罪の危機は去ってなかった!」


「あんた断罪好きねー」


 一人騒ぐ弟にカティンカが呆れたように零す。


「頼むからサリヴァン先生の授業真面目に受けろよ! むしろ仕事中も後ろに立ってもらえ! なんなら変わってもらえ!」


「私の事なんだと思ってんの⁉︎ あんたこそもう一回管理官様に診てもらいなさい!」


「絶対嫌だ!」


 結局言い合う子どもたちに父は頭が痛いとこめかみを摩り、母はただじっと二人の様子を見ていた。

活動報告に退室したクタオ兄妹たちの会話劇をアップ予定です。

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― 新着の感想 ―
早々この部屋にヴィーシャもいたんですよね~( -д-) あれ、これって今回は見逃してくれたのでしょうかどきどき(((((゜゜;) でもジンシード子爵の皆さんの中でアーリスお兄様の好感度が凄いことに な…
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