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次の透過撮影の準備に黒い板の間に新しい紙を挟んでいるロイドにアーリスはそっと近づき話しかけた。
「エクター医師、さっきの写真僕も見せてもらってもいいですか?」
「いいわよ。やっぱりお兄ちゃんとしては妹ちゃんの成果は気になっちゃう?」
少しからかいを含んだ口調のロイドに、しかしアーリスはふんわりと笑う。
「実はこういう事はザナとコージーが揃ってたらよくあるんです。僕には理屈とかさっぱり分からないんですけど、いつもすごいなーって思ってます」
「ああーん、お兄ちゃんイイ子ね〜。お名前聞いてもいいかしら?」
「これは申し遅れました。イザンバの兄のアーリス・クタオと申します」
「アーリスちゃんね! エクター医師なんて固いからロイ姉って呼んでね! あと頭撫でていい?」
「え? あ、はい、どうぞ?」
「あらやだ、髪の毛サラサラじゃない! アーリスちゃんの雰囲気と相まってすっごく癒されるわ〜いくらでも撫でられちゃう!」
アーリスはとても幸せそうな表情のロイドにされるがまま。その触り心地を心行くまで楽しんだ後、ロイドはもう一人の患者へと向き直った。
「じゃあ子爵も頭と膝を続けて撮るわね。はーい、じっとしててくださいね」
妻の様子を見ていたからだろうか。その声かけにルサークは素直に従った。
ところが目の前で術式が展開されると瞬きを忘れたのかと言うほど真剣に魔法陣を見つめ、そして天にも昇る心地になった。
「ああ、火の天使様の術式を浴びる日がくるなんて……」
「うっとりしてるところ悪いけど術式展開してるのも浴びてる魔力もアタシなのよ。あと頭部撮ってるから喋らないでね」
「すみません」
ロイドに真面目な声音で釘を刺され浮かれていた子爵もちゃんと口を噤む。
四回分の撮影は時間を要したが、ロイドは一枚一枚しっかりと検分すると子爵一家に向かってにっこりと微笑んだ。
「うん、どの骨も異常なし。問題ないわ。気を失ったのは脳震盪というよりも感動がキャパオーバーしちゃった感じね。それにしても本当に火の天使が好きなのねー」
「それはもちろん!」
激しく同意を示すように何度も頷くルサークだが、これにロイドがノッてきた。ただし火の天使とは別方向で。
「分かるわー、医療部でもイザンバちゃん人気なのよ。この前なんかこの術式がなかったらマゼランちゃん……あ、さっき氷漬けになってた研究員ね。あの子何回腕ぶった斬ってたか分からなかったから」
「え? 腕をぶった斬る?」
何やら物騒な単語が聞こえたが、ついおうむ返しをしてしまったルサークにロイドは頬に手を当てながら困ったように吐き出した。
「そうなの、研究員って知的好奇心を満たすためならなんでもやるから厄介なのよ〜。透過撮影の術式ができたのってね、たまたまトラブルで研究員の姿が変わっちゃったからなのよ。それも一つじゃなくて幼児化と巨人化と性転換」
指折り挙げられた変化に喜色満面で反応した者がいる。そう、カティンカだ。青空色の瞳はこれでもかというほどキラッキラである。
「何その夢溢れる展開! 私もそこに混ざりたい!」
幼児化も性転換も大好物。イザンバの幼児化にあっさり順応した事や使用人たちに混ざって撮影を楽しんでいたカティンカを知るクタオ兄妹は「彼女ならそう言うだろうな」と微笑ましく受け流し。
「カティ⁉︎」
「なんでそんな嬉しそうなの⁉︎ やめてちょうだい!」
「夢じゃなくて危険が溢れてんだよ!」
父、母、弟と子爵一家のツッコミは当の本人の耳を華麗に通過していった。これぞ馬耳東風と言えるだろう。
そんな対照的な彼らの反応にロイドはけらけらと笑った。
「そうよ、やめときなさい。あなたみたいな可愛い子が幼児化したら巨人だけじゃなくて脳筋騎士にもぷちっと潰されちゃうわよ〜」
「ぷちっと⁉︎」
なにせ幼児は死角に入りやすい。子どもの存在に慣れていない者は特に気付きにくいだろう、とロイドは至極軽い調子で言うが、ルサークは一気に青褪めた。なに、彼の子が幼児化したわけではないのだから安心して欲しい。
「ただでさえ脳筋騎士は無茶してあちこち怪我も骨折もしてくるし、魔術馬鹿は威力高めようなんて馬鹿やって魔力回路ぐちゃぐちゃにするし、研究員は時々こっちが見たこともない症状で来るし。揃いも揃ってなんなのかしら……。まぁそのせいでアタシたちって割と忙しいのよ」
国の平和を守るために騎士や魔術師たちは日々訓練しているのだが、若く血気盛んな者は往々にしてやり過ぎる。
「流石のアタシも巨人を治した事はないし、あの子達が満足するまで何回も付き合わされるなんてやってらんないわ! でもイザンバちゃんが研究員たちに透過撮影の術式の提案してくれたから切断から治癒のエンドレスリレーは免れたってわけ!」
そう言って親指を上げたロイドの笑顔もなんと眩いのだろう。
防衛局に治癒魔法が使える者がいるとはいえ魔術師の中でもその割合は少ない。その上、能力には個人差がある。重症者を瞬時に治せる者なぞさらに数が限られる。誰もが同じように出来るわけでもないため、彼らは通常の医術もしっかりと学んでいる。
ちなみにだが、戦闘中の負傷ならばゴットフリートも状況に応じて治癒魔法を使うが、好奇心からの負傷は治さない。防衛局長は甘くないのだ。
ここまでの話を聞いてアーリスは心底感心したような声を出した。
「それは……ザナ、お手柄だったね」
「そうなのよ〜! コージャイサンちゃんのためっていうのが大きかったらしいけど本当に助かったわ〜!」
「コージャイサンちゃんのため……」
アーリスとロイドのやり取りを聞いたルサークの口から零れ落ちた小さな呟き。けれども効き目を感じたロイドはそのままニコニコと話を続けた。
「で、その術式を活用して首席が魔力回路用も作ってくれてね。それをアタシたちが診察に使ってるんだけど、今まで体の中の状態って人に見せられないし説明しても理解しない馬鹿……あらやだ失礼。まぁそんなのが多数居たから手を焼いてたのよねー。それが可視化されたっていうんだからもう素晴らしいって医療部全員で拍手喝采! イザンバちゃんサマサマなのよー! 是非医療部にも遊びに来てね! そうそう、これ渡しとくわ!」
「まぁ、ありがとうございます」
手渡されたのは医療部特別招待券。そこにはイザンバ専用である事とロイドの署名が特徴的な字で書かれている。
まさかここでお目見えするとは誰が思おうか。物珍しさに感心する兄の隣でイザンバは未だ手元にある三枚を思い出して少しだけ遠い目をした。
「うふふ、待ってるわ〜! 一人で不安ならコージャイサンちゃん呼んどくわよ。あ、せっかくだから二人の白衣も用意しとこうかしら! 職場恋愛ごっこしちゃいなさいよ!」
「わぁー、コージーが白衣とか絶対に似合うだろうし、ザナもいつもと雰囲気変わりそうだね。また写真見せてね」
呑気なアーリスの発言も淑やかに微笑み流すイザンバの前で悲劇が起こった。なんと友人の口がツルッと滑り。
「二人で禁欲的な白衣プr……」
「ああーっと、手が滑ったー!」
「いったーーーい!」
カティンカの発言に被せるような棒読みと中々に軽快な張り手の音がした。
——カティンカの興奮の高まりも鎮まるほどに
——両親が一瞬で青褪めるほどに
——ロイドとクタオ兄妹が驚くほどに
顔を押さえて蹲っていたカティンカだが、怒りを露わにハマルに鋭い視線を向けた。
「何すんのよ!」
「馬鹿姉! 変な妄想すんな! つか、口に出すな!」
「だからって叩く事ないでしょーが! あんた加減ってもんを知らないの⁉︎」
「黙れ! 反射で物言うなって言われてただろ! その腐った脳みそ何が詰まってんだよ⁉︎」
「夢と希望と推しよ!」
「もっと違うもん詰めろ! 不敬罪で氷漬けにならなかっただけマシだと思え!」
やいやいと言い合う彼らに父の怒号が飛ぶ。
「二人ともやめなさい!」
「オンヘイ小公爵夫人とクタオ伯爵令息の前でも失態を晒して……なんであなたたちはそうなっちゃうの……」
コージャイサンの前でも同じ事をやらかした子どもたちに対する母の深い嘆き。
「いや、オレは止めただけだし」
不貞腐れながらも両親の怒りから逃れようとするハマルをきっと睨んだ後、カティンカがそろそろとイザンバたちを見れば、花嫁は少し目を伏せ、そして恥ずかしそうに言った。
「もう、カティンカ様ったら……流石に目の前で想像されたら恥ずかしいです……」
「あぁー、イザンバ様ごめんなさいぃぃぃ! 萌えるシチュについ……!」
「ふふ、いいですよ。でも今後は控えてくれますか?」
「はい! 今も本番は妄想してないから安心して」
「カティ!!!」
娘の発言に堪らず大声で怒鳴った父の胸中は計り知れない。今日一番の大声だった。
「火の天使様に何を言ってるんだ! 変な妄想ばかりしてるからこうなるんだ、この馬鹿娘が! だからオタクを辞めろと言ってるんだ!」
「それ今関係な……」
父に反論しようにもギロリと睨まれてカティンカは口を噤む。いくらオタク友達とはいえ人前での発言としては際どかった自覚はある。
「娘の重ね重ねの失言、そして私共の教育の至らなさによる子どもたちの無礼、誠に申し訳ございません! どうぞ煮るなり焼くなり、いえ、親として共に氷漬けを受けたく存じます!」
子爵夫妻はベッドから立ち上がると揃って膝をつき罰を乞うた。どうやら夫妻の中では氷漬け一択らしい。審判を待つ夫妻の顔色は悪い。
けれども、彼らの耳に届いたのは変わらず穏やかなイザンバの声だった。
「お二人とも、頭を上げてください。カティンカ様はすぐに謝ってくれていますし、私も気にしていませんから」
しかし、それに否と言うように彼らは頭を下げ続ける。
「いいえ。火の天使様に対してあるまじき無礼にございます」
「そんな事ないですよ。私とカティンカ様は友人ですから」
「ですが……」
「大丈夫ですから、ね? まずはロイ姉様の治癒を受けましょう」
恐る恐る頭を上げた夫妻だが顔色は相当悪い。
それでは示しがつかないのでは、なんて子爵の心境もイザンバの浮かべる柔らかな微笑みの前では形を保っていられなかった。
「ロイ姉様、お願いします」
「オッケー、任せてちょうだい。ほら、心が落ち着くように鎮静効果マシマシで治癒かけるから二人とも座ってくれるかしら」
ロイドに促され二人はのろのろとベッドに腰掛けた。




