その1 義妹メイド誕生!
書籍版P131、WEB版第10話の直後のお話です。
一部書籍版 準拠の設定があります。ご容赦いただければありがたいです。
お湯が煮立ち始めました。
ゆらゆらと揺れるかまどの炎を眺めているうちに、視界が歪み始めます。瞳が潤むのは、きっと煙のせいだけではありません。
先ほど、お義兄さまは、「皆が身支度を整え終えたら、この屋敷を出てノイシュバイン城砦を目指す」、そう仰られました。
その言葉を耳にして、ワタクシは恐ろしくなってしまったのです。
もし、お義兄さまが「お前はここに残れ」、そう仰ったらどうしよう、と……。
ワタクシは炎を見つめたまま、そっと涙を拭って、背後でじっと佇んでいるメイドへと問いかけます。
「ねえ……ロジー。ワタクシは……これからどうすれば良いのでしょう」
「知りませんよ、そんなこと」
等級Aの恩寵を発現して次期当主の座も確定。ワタクシの人生は順風満帆のはずでした。それが夜会の一夜を境に、全てが泡のように消え果ててしまったのです。
蝶よ花よと育てられてきた貴族の娘に、独りで生きていく術などあろうはずがありません。
お義兄さまのお気持ち一つで命が尽きる。そんな頼りない存在が今のワタクシなのです。
そんな状況にまで転落してしまうなんて、昨日、この屋敷を出発する時には想像もしていませんでした。
もちろん、これまでお義兄さまを虐げてきたのは私自身なのですから、もはや取り返しがつかないことは、痛いほど分かっています。
ただ、言い訳をすれば、ワタクシがお義兄さまを虐げてきたのは憎かったからではありません。
今となっては定かではありませんが……たぶん、悔しかったのだと思います。裏切られた、そんな想いがワタクシの身を焦がしたのだと思います。
お義兄さまが当主になってくだされば、そしてワタクシを娶ってくだされば、もうワタクシの前から居なくなったりはしないのだと、お兄さまとは違うのだと、そう思いたかったのです。
「う、うぅ……うぁ……」
時を追うにつれて感情は高ぶり、ついに涙腺が決壊しました。とめどもなく涙があふれてきます。
思わず顔を覆って項垂れた、そんなワタクシの肩に、ロジーがそっと手を載せました。
「……惨めなエルフリーデ」
その声音は意外なほどに優しくて……。
ワタクシはそっと顔を上げて振り返りました。
「どうしたらよいか……でしたね。強いていうならば、あなたにしかできないこと……それを探すことです」
「そんなの……無理ですわ。ワタクシには何も無い。何も無いの。あなたは良いですわよ。料理もできて、掃除もできて、お義兄さまにも頼られて……」
「ええ、その通りです。さらに付け加えるのであれば、今の私は、等級Aの恩寵を発現しております」
その一言に、ワタクシは思わず目を見開きました。
「……ウソ」
「ウソではありません。私にもあなたと同じように、お嬢さまと呼ばれていた時期がございます。これでも貴族の子女でしたので。当然、恩寵も所持しております。昨日までは等級Eでしたけれど」
この時の感情をどう表現すれば良いのでしょうか?
嫉妬、羨望、諦め、哀しみ、そんな寒々しい感情がマーブル模様を描きながらワタクシの胸の内で渦巻いていました。
――どうしてあなただけ!
思わず口をついて出そうになったその言葉を、ワタクシはどうにか飲み込みます。そうです。ワタクシにそれを言う資格などないのです。
「よ、良かったではありませんか。それでは……もう、メイドなどという下働きをする必要はありませんわね」
ワタクシが自嘲気味にそう口にした途端、ロジーは突然、ワタクシの両肩をつかんで振り向かせ、鼻先へと顔を突きつけてきました。
「あなたは何もわかっていない!」
そして、心底見下げ果てたとでも言いたげな目で、ワタクシを見つめました。
「何がっ!」
まるで痩せ犬が吠えるがごとくに食ってかかるワタクシを、彼女は燃えるような瞳で見据えました。
「恩寵などどうでも良いのです! 神様だかなんだか存じませんが、他人に与えられた力などなんの頼りにもなりません。メイドとしての技能。それが! それこそが! ワタクシがこの手でつかみ取った生きていく術! 坊ちゃまの側にいるために必要な力なのです!」
ワタクシは呆然としました。
ワタクシが信じて疑いもしなかった恩寵の価値。ワタクシが失ってしまったそれを手にしながら、このメイドは『どうでもよい』と、そう言い切ったのです。自分には、それ以上のものがあるのだと……。
おかしな話だと思います。いえ、きっと頭がおかしいのです。
ですがこの時、ワタクシは貴族ではなくただのメイドであるはずの彼女のことを、本当に……心の底からうらやましい。そう思ってしまったのです。
その瞬間、感情があふれ出しました。
「ワタクシも……そんな風になれるがだぁぁ」
最後の方はまともな言葉になりませんでした。
気が付けば、ワタクシはボロボロと涙をこぼしながら、スカートの裾を握りしめていました。
両肩を掴んでいた手の感触が消えて、優しく髪に触れる掌の感触。
思わず顔を上げたその時、ワタクシは信じられないものを目にしました。
「なれますとも……あなたが本当に望むのなら」
あの、ロジーが優しく微笑んでいたのです。
そして、彼女はこう言いました。
「あなたも、私のように立派なメイドになれます」
えーと……こんなことを言ってはなんですが、ワタクシは自分で生きていく力が欲しいと思っただけで、別にメイドになりたいわけではありません。
「そ、そうじゃなくて……」
ワタクシがそう口にしようとした次の瞬間――
「良いですか、惨めなエルフリーデ。メイドとは職業ではなく、概念なのです。この世界でただ一つの真実と言い換えても良いでしょう」
「は?」
唐突にロジーの話が、斜め上へと突き抜けました。
戸惑うワタクシをよそに、ロジーは講義する教師のような顔をして滔滔と話を続けます。
「極端な話をすれば、メイド服さえ着ていれば周囲からはメイドとして認識されます。逆に着ていなければ、どれだけ熟練のメイドであろうともそれはお手伝いさんでしかないのです」
「はぁ……」
「さらに言えば、メイドとは全てに優先する上位概念ですので、そこに属性を付け足すこともできます。武器を携帯すれば武装メイド、ヘッドドレスを残して水着姿になればビキニメイド。首輪を身に着けて愛玩メイドなどなど。まあ、ワタクシぐらいの熟練メイドになれば、そんな細かな属性など必要ありませんけれど」
あ、あれ……? どういうことでしょう? ワタクシにはロジーが何を言ってるのか、さっぱりわかりません。
「あ、あの……ロジー?」
「残念ながら、私もメイド服で産まれてくることは出来ませんでしたが、死ぬときはメイド服で。そう、あなたが身に着けるべきメイド道とは、死に直面するその瞬間までメイドであるその覚悟。その覚悟なくして坊ちゃまの側にはいられないのです!」
やっぱり、何を言っているのかさっぱりわかりません。
もしかして、ロジーはいわゆる近づいたらダメな類の人なのでしょうか?
ですが、そんな無茶苦茶な発言の中に、聞き逃せない内容がありました。
メイドとしてなら……お義兄さまの側に居られる。
思わず、喉がゴクリと音を立てました。
「じゃ、じゃあ……メイドにさえなれば、ワタクシもお義兄さまに許していただけたり……とか」
ですが、そう口にした途端、ロジーの顔からスッと表情が消えました。
「それで許されると思っている方が、どうかしてますよね」
「ですよねー」
そこはウソでもいいから、肯定して欲しかったです。
「ですが……」
ロジーは、かすかに微笑みながらこう言いました。
「いつか、許される日がくるかもしれません。坊ちゃまがあなたを必要とする……そんな日がくるのならば」
ともかく、こうしてワタクシはメイドとしての第一歩を踏み出すことになったのです。
お読みいただいてありがとうございます。
これは書籍版の店舗特典用に書き下ろして使用しなかったSSに一部加筆修正したものです。
次回以降はWEB用の書き下ろしとなります。
ロジーの頭のおかしい発言を覚えておいていただけると、後の話で少し楽しいかもしれません。
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