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塔の陰  作者: 礎衣 織姫
第四部
45/47

45.結納

「紫苑。向かって右に父の孝太郎、左に母のたえがいる」

 紫苑が盲目であることを事前に手紙で知らせていた慎太郎は、両親の前で遠慮なく説明した。

「紫苑と申します」

 紫苑は慎太郎の両親の前に三つ指をついて、頭を下げた。艶のある真白な髪と輝く黒い瞳の美少女を前に、慎太郎の父は目を泳がせ、母は硬直した。

 紫苑の容姿ばかりに動揺しているのではない。

 村には早朝から塔の使者らがやって来て、先日建ったばかりの宿を手入れしたり、慎太郎らが到着すると馬や荷物をすばやく預かり、うやうやしく頭を下げて出迎えるという異様な光景が目撃されたからだ。

 慎太郎を盛大に出迎えてやろうと意気込んでいた村人たちは、狐につままれたようにして立ち尽くしていた。中でも世話役の男は、一行に聡馬がいるのを認めることができたので余計だ。

「ありゃあ、いつかの大会で優勝した男じゃねえか」

「え? そりゃ本当かい?」

「ああ。この目でバッチリ見て来たんだから間違いねえ。一体全体、なにがどうなってやがるんでい」

 世話役の男はぼやきつつ、腕組みして首をかしげた。

 今も慎太郎の実家の周りは、塔からの使者が警備と称して固めている。瓦も葺いていない貧しい農家に不釣り合いな緊張感が漂っているのだ。そして狭い居間では紫苑と帝が並んで正座し、その後ろには実之と菜々と聡馬が座している。動揺するなというのは無茶な話だ。

 が、慎太郎は落ち着いた様子で両親の横へ座り、順に紹介していった。

「こちらが紫苑のお父上、そちらが真崎実之殿と、その奥方の菜々殿。そして川原聡馬殿だ」

「雪御津と申します」

 紹介を受けた帝が名乗りながら会釈すると、次いで実之が頭を下げた。

「このたび、仲人を務めさせていただくことになりました。西の次期塔主、真崎実之です。以後、お見知りおきを」

 聡馬も、ならうように頭を下げた。

「今後は慎太郎様のもとで働き、精進して参りますので、なにとぞよろしくお願い申し上げます」

「あ、ああ、こちらこそ」

 戸惑いながら返したのは孝太郎である。慎太郎の父親らしく背が高い。一方、たえはピンと背筋を伸ばしたまま、一行を見据えていた。そこはかとなくある美しさと気品は、これまた慎太郎の母らしさをうかがわせるものだ。

「息子が、めずらしく長い手紙をよこしたかと思えば、とても信じられないような内容で、こうしてお目にかかるまでは、騙されているのではないかと疑っておりました」

 おもむろに語り出すたえに、興味をそそられたのは帝である。百姓の妻とは思えぬほど毅然とした態度で、しっかりと話す。その様子に、やはりただ者ではない男の生みの親もただ者ではない、と感じたのだ。

 不器用だが背が高く強そうな男と、物事に動じない気品ある女。双方の血がうまい具合に交わったものだ、とも。

「率直にお聞きします。息子にあなたのお役目が務まるでしょうか」

「むろん。慎太郎殿にしか務まらぬと思えばこそ、こうして挨拶に伺った」

「……世間では鳶が鷹を生んだなんて言われたりすることもありますが、私はこの子を鷹だなどと思ったことは一度もありません。寺子屋にも通わせておりましたが、秀才というわけでもなく、普通に育てて参りました」

「しかし剣の腕前は、普通とは言いがたい」

「ええ。剣士としては立派です。でも国を治めるとなると話は別です」

「案ずることはない。娘にそれなりの教育をほどこしているし、参謀も信用がおける」

「当人の頭は並で良いと?」

「まあ、これから学んでもらうことも多いが、つまりはそういうことだ。といって別にお飾りにするつもりもない」

「戦でもなければお飾り同然です」

「いや。国を治める者に要求されるのは目下、神懸かりかどうかだ。それを満たさねばお飾りにもならぬ」

 たえは眉をひそめた。

「かみがかり?」

「平たく言えば、なにかひとつに秀でた者のことだが、上へ立つ者には、さらに尊敬と信頼を集められる力が必要だ。それぞれの技能に優れたる者を率いる器がいる。慎太郎殿がそれに値するということは、親でも分かるだろう。いや、親なら分かるだろうと問うべきか?」

「さあ。私からはなんとも言えません」

「ではこちらから言おう。帝というのは隣国の脅威となる存在でなければ務まらぬ。一人で一万の敵を払える人間などいない。この男以外、どこを探してもな」

 結納の挨拶というよりは、説得である。だが慎太郎をもらうためには、この母親を説き伏せねばならぬと、帝は直感的に悟っているようだった。

 たえは肩でゆっくりと息を吐き、まぶたを閉じた。

「わかりました。でも約束してください。決して裏切らないと。死が互いを分かつまで、誠実につとめると。それさえ守っていただければ、ほかには何もいりません」


***


 欲のなさは母親ゆずりか、と帝は急きょ建てさせた宿屋の天井を眺めて思った。納めようとしていた品々は今、手元にある。置く場所もないし、誠意は伝わったので結構だ、と断られたのである。

「いかにも、おぬしの母親よ」

 挨拶が終わり、家を出る際に言ってやると、慎太郎は苦笑いした。こうなることは経験から予想済みだったというわけだ。無理に荷物を減らさせたのも納得である。

「本当に受け取っていただかなくてもよろしいのでしょうか」

 紫苑はそんな心配をしていたが、帝は、

「一度断ったものを受け取るような性格には見えぬ。またこちらも、断られたものを強引に押し付けるような真似などできん。言われたとおり速やかに引いたほうが、お互い格好がつく」

 となだめた。

「それに、いずれ京へ呼ぶのに荷物を増やしても悪かろう」

 とも付け加えた。


***


 ところで、宿は三室しかないため配分が限られるわけだが、万が一なにかあった時を想定して、帝と紫苑は別々にいなければならない。一緒にいてはもろとも……という可能性があるからだ。血統を途絶えさえないための策である。よって、帝、紫苑と菜々、実之と聡馬、という部屋割りになった。

 聡馬は腰の刀をはずし、畳の上に腰を下ろしながら脇に置いた。実之も同じようにしてあぐらをかいた。

「急いで建てさせた割にはいい」

 実之の感想に、聡馬はうなずいた。構造は一般的だが、柱も梁も畳も上等な材料が使われ、棚なども(しつら)えてある。

 それらをひととおり眺めてから、聡馬はまたうなずき、不意に言った。

「だが驚いた」

「ん?」

「俺はてっきり、慎太郎様はその……」

 自分から言い出しておいて口ごもる聡馬を、実之は不審げに見やった。

「なんだ?」

「その、良家の生まれかと」

「ああ——話してなかったか。まあ、あの容姿と態度では、そう見えてもおかしくないが」

「いや、どう見ても百姓の子ではない。母親も聡明そうだった」

「しかし身分詐称などしていないはずだぞ? 幼い頃は貧しすぎて苦労したらしいし、畑を守るため、毎日のように野生動物を追い払っていたようだからな。剣の腕はそこで培われたと言っても過言ではなかろう」

「……なるほど」

 そうして黙り込む聡馬を、実之は興味深げに観察した。

「どうした。百姓出の男に仕えるのは嫌か」

 聡馬は驚いて顔を上げた。

「まさか。あのような剣士に仕えることができるのなら、身分などどうでも」

「ほほお? ずいぶん買ってるな」

「それは当然」

「ハハハッ。まったくな」

 実之は笑って膝を叩き、開け放した窓越しに空を見た。慎太郎が子供の頃から舞っていた空は青い。そして、すがすがしい風に混じる土の匂いと爽やかな日差しは、真新しい畳の上に踊る。まるで今日の日を祝福するかのような穏やかさに、実之は目を細めた。

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