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塔の陰  作者: 礎衣 織姫
第三部
41/47

41.龍のごとく

 兵との対戦は木刀である。前回の経験から、兵士は一刀も振る機会を得られぬまま敗退する可能性が高く、仮に折れても、代わりは辺りに散らばっているだろうと予想されるからだ。

 慎太郎は深く息を吐き、やや身を低くして木刀の先を地につけた。一見隙だらけのまるで基本を無視した構えであるが、飢えた獅子さながらの鋭い眼光により、鉄壁の守りと凄まじい攻撃性を感じる姿勢である。

 目前には一万の兵。彼らの気合いも高まっている。慎太郎が持つ木刀の先は、その気を絡めとるように動いた。


 身体を一回転させながら地表に円を描き、前線へ躍り出る。それによって生まれたゆるい風が慎太郎を包みつつ、足元を浮かせた。いや。実際には軽く地を蹴って風に乗るようにフワリと舞ったのだが、はたから見ているとそのように映った。

 跳んだ高さはしれている。膝の上くらいだ。だがもとより背の高い慎太郎である。一刀は馬上から下ろされるのと同じ威力を放った。

 兵士らは慌てて後退した。真上に五間跳んだ場合の対策やらは講じていたが、およそ二尺の高さを保ちながら水平移動距離五間を記録するという、異常に滞空時間の長い上からの攻撃は予想していなかったのだ。

 大半の兵士は退きながら、慎太郎の足が地につくのを見計らおうと構えた。だがそれは一瞬なので、とらえどころはない。

 慎太郎は再び身を宙に躍らせつつ、周囲の兵士をなぎ倒していく。時に回転し、時に前後転を繰り返しながら、踊るように攻撃を繰り返した。千の兵を相手にした時のような、突き刺さる鋭さはない。しかし舞うように続く攻撃の手は休まず、相手の太刀をなぎ払い、打ち落としていった。

 これは体力の消耗を極力おさえながらいく戦術である。さすがの慎太郎も、以前のような戦い方では逆に後半がもたないと判断したゆえだが……太刀にはキレがあり、人垣を削っていく速さにあまり遜色は見られなかった。

 緩やかに見えて実は鋭いという懸隔が、兵士らを翻弄したのは言うまでもない。


 観戦者や、まだ間合いに入らぬ兵士らは、慎太郎の戦いぶりにみとれ、唖然とした。ほとんど一定の高さで浮遊しながら前進する様は、大地をゆっくりと横切る巨大な幻獣に似ている。

 攻撃を寄せつけぬ堅い鱗をまとい、さえぎる者を爪の先で薙いでゆく。その姿はまさに、風を生み、雨を呼ぶ、大いなる存在だ。

「獅子のごとき眼差しで、龍のように舞う——これが」

 シンと静まり返った会場に、佐兵の呟きが響いた。声は、柴門の胸にグサリと刺さった。

 去年の正月。「田舎で振るっていた剣の腕前を確かめなかったのか」と尋ねられたことを思い出したのだ。その時すでに慎太郎を西に呼んでいたのか、あとに呼んだのかは定かでない。が、いま思えば噂の真偽など確かめたうえでの質問だったのではないか、と。

 一服もられたような、なんとも言えない後味悪いものが柴門の中に広がった。

 演習場からは強い風が吹きつけてくる。さきほどから舞っている慎太郎が生んだ風である。ひと振りごとに巻き起こる風が絶え間なく生み出されることによって、束になったのだ。

 柴門は目を細め、遠くにかすむ龍の姿を眺めた。すると、夢見たものが壊れ、薄暗がりに消えてゆくのが見えた。

 二年前と変わらぬ眼差しの慎太郎だが、保倉で振るっていた剣の面影など微塵も見せない。それが意味することを考える時、天にそびえる皓白の牙が漆黒の影を落とすように、心の明暗がハッキリと浮かび上がってくるのである。

 慎太郎は消してしまったのだ。マナを失ったと同時に、己の剣を殺す不必要な技を、すべて葬ってしまったのだ。国で一番の剣士の腕に保倉なし——そう証明するかのごとく。


 そして、ついに千人目の木刀が宙に弾き飛ばされた時。慎太郎の木刀が折れた。瞬間。

 これぞまことの神懸かり、といわしめんばかりの慎太郎の剣を見ていた聡馬の目に、鳥が映った。雲間からのぞいた青空を、横切ったのである。

 否。鳥ではない。上空まで飛ばされた兵士の木刀を、慎太郎がとらえたのだ。

 聡馬は目を剥いた。五間を越える跳躍である。

 慎太郎は木刀をつかむと、くるりと前転し、落下の勢いに任せて腕を振った。下で待ち構える兵は一気に八名が吹き飛んだ。ついで間髪をいれず右に左に兵士をなぎ払い、再び身を躍らせながら龍に化ける。

 一連の鮮やかな動作を脳裏に焼きつけながら、聡馬は固まった。額から流れる汗が地にシミを作っていくのも構わず、立ち尽くした。五間の高さからの攻撃。それが慎太郎の跳躍によって実現した技なのだと知り、冷や汗がとまらなかった。

 剣を交えたことのある三宅が、聡馬の渾身の一撃を受け止められたはずである。東の都で会場がわいた技を、宮の者が静観できたはずである。慎太郎の跳躍を見たあとでは、どのような超人技も色あせてしまうというものだ、と。


 同じことを羅山も思っていた。

「……なるほど。これが正体か。それにしても、本当に東にいたというのなら惜しいことだな」

 その独り言を耳にした柴門は、青ざめつつ、口元をゆがめて答えた。塔主などという肩書きはこのさい構わず、娘を不幸にした男への日頃のうっぷんを吐き出したのである。

「あなたがマナをもらいたいと言いさえしなければ、ずっと東にいたはずです」

 羅山は目を見開いて柴門の顔を眺めた。そして、苦渋に満ちた表情からすべてを読み取った。しかし後悔も絶望もなかった。ただ、この皮肉な巡り合わせに苦笑を浮かべるだけである。

 さほどうろたえない羅山を見て、焦燥にかられたのは柴門のほうだ。ゆえに思わず、

「娘には、なんの責任もありませぬ」

 と口を滑らせてしまった。羅山は凍てついた視線を向けたまま、口の端を上げた。

「余は好きにしてよいと言った。マナ殿が純愛を貫けば、幸せにしてやろうと思っていたのだ。まあ、そう願ったのも欲かもしれん。欲は身を滅ぼすものだな、保倉殿」

 羅山は己をあざ笑うように言い捨て、目をそらした。感動のない横顔には、不安もない。そんな羅山を、柴門は初めて不気味に思った。

「立場が悪くなるのでは」

 そう投げかける言葉も、羅山は一笑にふした。

「帝は私情より国益を優先するのが務め。東を傾けさせるような真似はできまい」

「しかし」

「どのみち誰からも好かれておらぬ。いまさら何も痛まぬわ」

 食い下がろうとする柴門を制してキッパリと言ってのける様子には、羅山が塔主たるゆえんも窺える。が、一見たのもしいその姿に、柴門はうなだれた。痛める心も持たぬ男に大事な娘を嫁がせてしまったのか、と。


 そうしていると、また会場がわいた。どうやら二本目の木刀も折れてしまったらしい。慎太郎が高く跳躍し、大きく身をそらせつつ、上空へ飛ばした木刀を越え、後転しながらつかみ取った。上で取るのは、多くの兵に隙をつかれないためである。

 兵士は今度こそと思いながら、下で待ち構えた。ところが慎太郎は地表を目指さず、構えられた木刀を蹴って再び宙に舞った。蹴られたほうは、たまったものではない。もちろん木刀を握ったままにはしていられなかった。無理して手放すまいとすれば、捻挫のひとつもしただろう。

 腕に走る激痛に兵士はのたうちまわった。普通に弾かれても応えるのだ。超人的な跳躍を実現する足で蹴られてはひとたまりもなかろうと、ほかの者は同情に満ちた目で兵士を見ながら、己の木刀を引っ込めた。

 慎太郎は、兵士らの頭上をすれすれに飛びながら、群れの密度が薄いところを狙って着地した。崩しやすそうなところから崩していこうというのである。だが、皆ここぞとばかり寄ってくるので、簡単に崩せるのは最初だけだった。

 背後をとられぬように、慎太郎は全力疾走した。目の前の兵を倒し、右に左になぎ払いながら、疾風のごとく駆け抜けた。以前、千の兵を相手にした時と同じ戦い方である。

 ようやく二千人目を倒す頃だ。このまま二千五百人目まで突っ走り、そこからはまた龍と称される技を用いて体力を温存しながら戦おうという腹づもりである。


 それにしても、すでに奇跡を越えた戦いぶりだ。こうなると、あとはどこまで記録をのばせるかということに、観戦者の興味は移る。五千はいくと言う者や、七千、八千はかたいと言う者。一万を達成すると言う者。様々である。

 まごうかたなき最強の剣士が、生来の剣を振るう。それは解き放たれた鳥のように自由で、獅子のように雄々しく、龍のごとく伸びやかだ。見る者は圧倒されつつも、その姿に憧れ、技に酔いしれた。

 そんな中、柴門は一人、静かに立ち去った。

 保倉では決して振らなかった腕。そこに秘められていた慎太郎の心を(おもんばか)るも、やはり受け入れられない力だったからだ。ならば、やることはひとつである。

 黙って引き下がること。かつて慎太郎がしたように、何も言わず消えることだけが、柴門にできる唯一の償いだった。

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