40.岐路に立つ
それから四日後。
塔の高さから飛び降りるという話は準備もいることなのでさておいて、慎太郎と聡馬の試合が組まれた。形式は二対一。聡馬は一対一での勝負を望んだが、それは一度戦ってみたあとに考えても構わないだろうと、却下された。
聡馬とともに慎太郎へ挑むのは、むろん三宅である。用いるのも木刀ではなく真剣だ。ただし、斬れないよう加工してある。互いに将来の国を担う者同士。試合中にうっかり殺しましたでは洒落にならない。だが木刀では折れてしまうかもしれないと、考慮されたのだ。
宮中の者が試合会場となる演習場へ詰めかける中、向かい合った三名は緊張に顔をこわばらせた。
三宅は慎太郎との初手合わせを思い出し、己が無事であることを祈った。
聡馬は、勝利をもぎとることだけ考えた。たとえ一人でも成し遂げてみせると意気込んでいたのだ。三宅と一緒なら取れると踏んでいた。慎太郎が強いと言われるのはおそらく、体力的なこともさることながら、技術力の賜物であろうと予想するからだ。
というのも昨日、急に柴門から話があると呼び出されて聞いたことが影響している。
***
「あの慎太郎という男は、実は三年間ほど、うちの道場にいた」
聡馬が驚いたのは言うまでもない。柴門は暗い表情でうつむいた。そこから聡馬が読み取れることはなかったが、話の続きは黙って待った。
「奇才と言うべき男だった。教えた型は一度で覚え、すぐに使いこなす。手合いをさせれば負け知らず。あのように強いのはなかなかいるものではない、と思っていた」
「道場を出たのは、帝に買われたからですか」
「いいや、違う。こんなことになるとは当時、夢にも思わなかった。あれはつまり、事実上の破門だ」
「破門!?」
「私が悪かったのだ。間違いだった。しかしここでおぬしに話したいのは、そんなことではない。さきほども言ったとおり、慎太郎は奇才だ。だが、おぬしより強いとはどうしても思えんのだ」
聡馬は眉間を寄せた。誰もが慎太郎は強いと口をそろえる中で、初めて異を唱えられたからだ。
「とはいえ、あれから二年。その間さらに腕を上げたのかもしれん」
「……ようするに、技術力の問題ということですか」
「そうだ」
柴門の返事に、聡馬は気を良くして口角を上げた。
「いいことを聞きました。ありがとうございます」
聡馬は軽く会釈して立ち去った。
帝や三宅があまりに強いと脅すので自信を失いかけていた聡馬だったが、柴門の言葉で取り戻したのだ。注意をおこたるつもりはないが、それでも負ける気はしなくなった。神懸かりと言われる聡馬でも、人間が持てる力の限界というものを、どこかで定めてしまっていたのだ。
***
聡馬は再度、気持ちを奮い立たせて慎太郎を見据えた。苦戦はするかもしれないが、きっと勝ってみせるという意気込みを見せた。
受けて立つ慎太郎は、二人を見て苦笑いした。やりづらいことこの上ない、と。一人で百人の力を有する相手が倍である。本気を出さねばならないにもかかわらず、観戦者の中には柴門がいるのだ。
いまさら理解が欲しいわけではない。だが反応は怖かった。本来の力を隠していたことへの、後ろめたさもある。
なにゆえそうせねばならなかったのかは、柴門自身に覚えのあることだろうが、正直さを欠いていたことは否めない。それがわずかに良心をうずかせるのだ。
とはいえ、力を捨ててもいいという覚悟があったことくらいは、分かってほしいと思った。そんなに切実だった人間を裏切ったのだということくらいは——そうでなければ、慎太郎はやっぱり救われないのである。
気持ちは晴れないまま、試合が始まった。戦いぶりは実に微妙であった。慎太郎と戦った千の兵も呆気にとられる始末である。
慎太郎は猛追してくる二頭のイノシシを払うように攻撃をそつなくかわすだけで、決して自分からは行かなかった。これでは勝負にならないと思いながらも、いまいち立ち向かえなかったのだ。
しかし、羅山と柴門だけは目を見張っていた。三宅と聡馬が二人でかかっているのに、どの攻撃も成果を発揮しないからだ。二人が必死に攻撃を繰り返しているのは明らかで、懐に飛び込もうとする足にも振るう刀にも遠慮は見られない。だがいずれも、慎太郎は巧みにかわしてしまう。このかわし方というのが、はっきり言って尋常ではなかった。
後方に二間、三間飛び退くのは当たり前で、左右にも変幻自在に飛び退いてかわす。それが時には四間、五間という距離を叩き出すのである。さすがの三宅や聡馬でも、追いつくだけでやっとだ。届いたと思って振る刀が、むなしく宙をかすめること三十回。ようやく打ち合っても、すげなく払われてしまう。
三宅はある程度の予想をしていたので、わりと冷静に根気よく慎太郎の姿を追った。一方、聡馬は翻弄された。
通常ならひと蹴りで相手の懐に飛び込む……否、飛び込みすぎて突き飛ばすこともあるほどの健脚だ。三宅に対しても実力を証明してきた自慢の足である。それが慎太郎にはまったく通用しないのだ。ふた蹴りしても距離は縮まらない。聡馬が三回地を蹴って進む距離を、慎太郎はひと蹴りで移動してしまうからだ。
とうとう息を切らせはじめた聡馬は、三宅と並んでぼやいた。
「戦う気があるんでしょうか」
三宅も息を弾ませながら、口元をゆがめた。
「さて」
それからも、追撃と後退の流れは変わらなかった。他愛ない試合である。観ていた帝もついにシビレを切らせ、座椅子から立ち上がった。
「本気で戦えと言わなかったか!」
帝が意外に大きな声で檄を飛ばしたので、全員が注目した。もちろん、試合をしていた三名も立ち止まって見た。遠目にも、帝に睨まれていると感じた慎太郎は困り果てた。その様子に目をやった聡馬は、あることに気づいて唖然とした。慎太郎の息が少しも乱れていないという点である。
そこにあるのは、体力差だ。技術だけではなく体力も上となると、勝機は下がる。ただでさえ届かない攻撃に気力をそがれていた聡馬は、ますます闘志をもがれた。
やはり周囲の者がささやいている慎太郎の強さこそ真実であり、柴門の見解が間違っているのではないか、と。
そんなことを考えていると、帝が手を二度打ち鳴らした。
「仕切り直しだ! 兵を一万投入する! 婿殿!」
呼ばれた慎太郎は、刀を下ろして身体ごと帝に向いた。
「もともと一万の兵を倒すという約束だったな! 倒してみせろ! 一万の兵と戦ったのちに、三宅と聡馬、双方と戦え! 勝たねば紫苑はやれないぞ!」
会場にどよめきが起こった。
「い、一万、だと?」
と、驚愕したのは聡馬だ。三宅は神妙な顔で慎太郎に向かった。
「お受けしますか?」
慎太郎は三宅を見た。その目が戸惑っていることを、三宅は悟った。
「一度に一万はいくらなんでも横暴です。お断りしてもよろしいかと」
すると慎太郎は首を横に振った。
「いや、倒せというなら倒さなければ」
「紫苑様をやれないというのは、この場かぎりの言葉の綾。心配はいりませぬ」
「しかし帝が求めているのはきっと、俺の本当の力だろう。そうでなければ、わざわざこんな試合を組ませることもないはずだ」
慎太郎は言ってうつむき、胸に手を当て、目を閉じた。
一万の兵ならば、生ぬるい戦い方などしてはいられない。あとに待っている三宅と聡馬との手合いも同様だ。確実に疲れているはずの身体で二人と立ち合うには、どうでも本気を出さねば勝てない。帝が狙っているのもそれだろうと思うと、慎太郎の気持ちは揺れた。
慎太郎は、胸へ当てたままの手に力を込めた。
過去を断ち切る勇気を、俺にくれ。紫苑——
見えない分、いつでもまっすぐに慎太郎を映している紫苑の心を思いながら、慎太郎は目を開いた。
獅子のような眼差しで帝を見据える姿は、鬼神でも憑依したかのごとく闘気を発散し、さっきまで晴れていた空に雲を呼んだ。




