36.勝負
羅山の一行が引き上げたあと、三宅は帝と向かい合った。
「いったい、どういうことですか」
帝は溜め息ついた。
「さきほど説明したではないか」
「なぜ東だけかと、お伺いしているのです」
「それも答えた」
「は?」
三宅は眉をひそめたが、横にいた七伏は理解して苦笑した。
「ほら、あれですよ。婿殿はやれぬ」
三宅は呆れた。
「それなら慎太郎殿を除いてやれば済むこと。もし東だけに次期宮廷長官探しを委ねたと西に知れたら、もめるかも知れませぬぞ」
「だが慎太郎を差し置いて西の一番は決められまい」
三宅は言葉をつまらせた。確かにそんなことをしては、慎太郎の剣士としての誇りを傷つけかねない。ただでさえ心に傷を負って婚姻を先延ばししている状態に、追い打ちかけてどうするという話だ。
「真崎に文句は言わせぬ。国と紫苑の将来に関わる大事だ。東と西の機嫌など、うかがっておれぬわ」
七伏はふと帝を見据えた。流してしまえないことを聞いたからだ。
「紫苑様の将来?」
三宅は無反応だった。次期宮廷長官が誰になるのかという問題は、国と紫苑の将来に関わると考えて自然だったからだ。ところが七伏にはひっかかったのである。この聡い男を見て、帝は笑った。
「まあ見ておれ」
***
一方、羅山は正月に寝泊まりするいつもの屋敷へ向かいながら、首をひねった。次期宮廷長官の候補を求めているという、羅山も真っ先に考えた内容と実際は一致したが、どうも素直にそれだけとは思えなかったのだ。
三宅と勝負させる前に西の一番と勝負させるなり、宮仕えの兵と戦わせてみるなりしてもいいはずが、それは省いてしまっている。これで明日もあさっても西の者が現れなければ、羅山の読みは外れて西には何のお達しもなかったことになるのだ。それは妙を通り越して不吉である。
西には期待していないのだと高をくくっても良いが、形式だけでも同じに扱うのがこれまでであった。なぜ今回にかぎって偏らせたのかという疑問は、どうしても残るのだ。
とにもかくにも、三宅との勝負である。羅山は念のため聡馬に注意するよう、うながした。
「三宅様はおぬしに匹敵するほど強い男だ。年寄りと思ってあなどるな」
自分の戦いぶりを見ていた羅山が言うことだ。聡馬は慎重に受け止めた。
***
羅山の所見は的確だ。
と、聡馬は思った。今は真剣での鍔迫り合いになって、どちらが押し切るかという場面である。
例によって訓練場での勝負だが、その広さを存分に生かした二人の戦いぶりは戦場を行き交う矢のようで、観戦する側も追うのに苦労した。数尺飛び退けば追いつく。追いつけば飛び退く。重い一撃を受けては払い、払っては食らわす。互いに一歩も譲らぬ戦いである。
それが静止したのは、刀がガッチリ噛み合い、引いたほうが斬られるという緊迫した状態になった時だ。
聡馬は唸った。三宅は齢も見た目も老人だが、そこらの若者よりよほど立ち回れるし、活力にあふれている。そもそも、この速さについてこられるのであるから常人ではない、と。
三宅も、聡馬の思わぬ強さに舌を巻いていた。神懸かりと言われた三宅に引け劣らぬ健脚で移動する様も、重い太刀も、意外に滑らかな動きも、どれもが秀逸である。
「東で頂点に立っただけのことはある」
聡馬を睨みながら三宅が言うと、聡馬は苦笑いした。
「なんの。まだまだ」
そこで、三宅の腕にいっそう力が込められた。埒のあかぬ状況にシビレを切らせたのだ。聡馬はその力に押されるままにし、勢いをつけて後方へ飛び退いた。しかしこのままでは斬られる。三宅の足の速さは折り紙付きなのだ。
案の定、三宅はここぞとばかり飛び込んだ。聡馬は、「今だ」と心で叫んで一歩踏み込み、二歩目で跳躍した。六尺の高さである。
三宅はとっさにとどまり、刀を構えた。聡馬は力の限り腕を振った。
聡馬の跳躍に羅山と柴門と三人の従者は改めて唸り、感嘆した。この驚きは、当然場内にもどよめきとして起こらねばならなかった。観戦者は帝や七伏のほかにも、宮に仕える兵士や使用人らが数千人いる。
だが帝が、「ほう。なかなかやるな」と言った以外、たいした反応がなかったことで、羅山は不審に思った。
戦場に目を戻せば、三宅が六尺の高さからの一撃を、見事に受け止めている。様子は動じることなく冷静だ。
これでとどめだと考えていた聡馬は、予想外のことに動揺した。全体重と怪力に高さ六尺の勢いが込められた一刀である。東の都で最も会場をわかせたその技が通用しないことに衝撃を受けた。
三宅はそんな心情を察し、言葉を紡いだ。
「落ち着け。戦いに集中しろ」
しかし聡馬は真っ青になって答えた。
「これで倒せなかったら俺の負けだ」
「しっかりしろ。おぬしは勝てる」
「だが」
「ここは私のほうに分があったのだ。経験が物を言った。伊達に年は取っておらぬ。さあ、前を見据えて戦え」
聡馬は対戦相手を懸命に鼓舞する三宅に感動し、柄を握り直した。
「お願いします」
***
それから約半時。勝敗はついた。三宅が一瞬だけ見せた隙をついて聡馬が一本取ったのである。
瞬間、会場から盛大な拍手が起こった。
「歴史に残る名勝負だった」
帝は二人に向かって言った。何にも勝る労いの言葉である。三宅と聡馬は固い握手を交わし、安堵の息をついた。
互いにさっぱりと汗を流したあとは晩餐である。広い謁見の間を宴会場として、役付が詰めかけた。聡馬は次期宮廷長官として認められ、宮中の者から祝杯を受けたのだ。そんな嵐を抜けて一息つこうと三宅の横に座った聡馬は、改めて礼を言った。
「試合中は、ありがとうございました」
「いやいや」
「互角の人間と戦ったのは初めてです」
「はっはっは。私もそう返したいところだが……いや、おぬしは強いな。この先も鍛えれば、私などあっというまに倒してしまえるようになるだろう」
「そんな」
「まことだ。これからも精進し、国と帝を支えていってもらいたい」
「喜んで」
聡馬は笑顔を見せて、杯にあった酒を飲み干した。
「ところで、帝のご息女はどちらに?」
「ん? ああ、今は西に。お選びになった方がそちらで仕事をしている都合上」
「……将来は帝になるというご身分で?」
「はっはっは。まあ心の準備期間といったところだろう。国の柱になるということに、ためらわれているご様子もあった。しっかりとした覚悟が備わるまでは、しばらくかかる」
聡馬は眉をひそめた。それほど躊躇するような気構えの人間に任せて大丈夫なのか、と。しかし帝も姫君も気に入っているとなると、他人が口を挟めることはない。頼りないなら次期宮廷長官となる己がしっかりすれば良いと思うことにした。
その聡馬が三宅と並んで酒を酌み交わす様子を横目に見ながら、羅山は七伏のそばに寄った。
「いかがですか?」
酒を勧められた七伏は、軽く首を振った。
「いや、結構」
「酔うと口が滑りますか」
微笑を浮かべる羅山を、七伏は目元をしかめつつ見やった。
「なんのことだ」
「西の者がいない理由——とか」
「はっ。そんなもの、分かっていたら苦労はない」
羅山は笑みを消し、目を丸めた。
「七伏様も知らされていらっしゃらないのですか」
「信用がないのだろう」
「まさか」
「ああ、まあそれは冗談として。西を呼ばなかった理由はいろいろとある」
「と、おっしゃいますと」
「紫苑様のお相手を預けている手前とか、そのお相手が西で一番の剣士であるとか、そのようなことだがな。しかし帝の真の目的は分からぬ」
「紫苑様のお相手が?」
驚いた羅山を見て、七伏はニヤリと笑った。
「強いぞ? あの三宅殿も負けを認めた。木刀で骨を断つ勢いの剣を振るう。おそらくあの聡馬殿も歯が立たぬのではないかな?」
「まさか」
「ふっ。二度目のまさか、だな。しかし今度は冗談ではない。あれは真の剣士。塔の高さすらものともせぬ、最強の剣士だ」
羅山は眉根を寄せた。
「塔……?」
七伏はクッと口の端を上げ、人が悪そうに笑った。
「その男、塔のてっぺんから飛び降りて、平然としていたらしいぞ?」
「なっ!? そんなっ、馬鹿な」
「ところが実之以下、塔に仕える者のほぼ全員が目撃者だ。間違いあるまい。まるで不死鳥のごとく華麗に舞い降りたとか。なんにしても、とんでもない男だ。あんなものを西にくれてやるなんて、東も惜しいことをしたな」
七伏の言葉に、羅山はゾッとした。むろん、その男がもともとは東にいたことを差していたからだ。
「なぜ西に」
なぜ西に行ったのか、とは羅山にとって至極当然な疑問である。同じ成功をするなら、人口も発展具合も上である東のほうが名声を得られるからだ。
だが七伏は呆れたように、またからかうように、笑って肩をすくめた。
「なぜ? それをおぬしが問うか。ふむ。そうだな……」
七伏はあぐらをかいた膝に肘を乗せ、頬杖ついた。
「西にあるほうが己らしく生きられた。己の剣を殺さずに済んだ。そんなところじゃないのか? まあ飲め。俺の酌でよければついでやる」
羅山は釈然とせぬ心持ちで杯を取った。
西にある剣士が真実に七伏の言うような男で、最強だというのなら。それが紫苑の相手となるのなら……東はすべてにおいて西に勝ちを譲ったようなものではないか、と。しかしそれ故に、帝は宮廷長官の候補を東に偏らせたのかもしれなかった。片方に分がある場合、もう片方に対抗できる機会を与えることもまた、帝としてあるべき姿だからだ。




