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塔の陰  作者: 礎衣 織姫
第三部
35/47

35.京の町

 この国の陰で権力を握っている人物とはいかなるものだろうかと、聡馬は訝った。

 ろくなものではないと思うが、いい加減なものでもないはずだ。近隣諸国から攻め入られることもなく、内政は整っているし、塔を見れば建築技術が優れていることもうかがえる。建築技術が優れている国というのは、ほかのことも発展していることが多い。たとえば軍事や食料自給率、商業、学問、物資や生産力などである。

 それらが滞りなく循環しているのなら、その国の指導者は指導者として足る人物に違いないのだ。が、国民に広く知られていないのは何故なのか——聡馬には考えがおよばなかった。

「その方にお会いして、どうしろと?」

「分からぬ」

「……は?」

「ただ東で一番の剣士を寄越せと言われただけなのだ」

 聡馬は思い切りしかめ面をした。

「目的も知らされず、言われるままに従ったのですか」

「逆らえぬからな」

「なぜ」

「帝は国の柱だ。国のために死力を尽くすのが務め。その言葉は国のためにしか発せられない。ゆえに聞かねばならない」

 聡馬は唖然とした。

「では、東で一番の剣士を選ぶことが国のためだと?」

「帝は兵を有している。帝の兵は国の兵。強い剣士は必要とされこそすれ、不要ではないだろう」

「……俺にその一人として駒になれと?」

 聡馬は不敵な笑みを浮かべて羅山を睨んだ。せっかく東で一番の剣士という名誉を手に入れても陰の権力者に使われるのでは、一生日の目など見られないではないか、とでも言いたげである。

 口ほどに物を言う目を見て、羅山は苦笑した。

「京へ行かないのであれば、賞金は半分だ。名誉と半分の賞金だけを手にして、みずから道を切り開くのも良いだろう。しかし京を見れば考えは変わる。国の中心をのぞいておいて損はないと思うがな」


***


 その一ヶ月後。

 羅山の言うとおり、高い丘から京を見下ろした聡馬は考えを一変させた。雄大な土地に描かれる朱色と規則正しい町並みが圧倒的な規模で展開し、想像をはるかに越えたところで花開いている。そんな、まさに国の中心と呼ぶにふさわしい美しさと存在感に、胸が震えたのだ。

「素晴らしい……」

 思わず感嘆の声をもらす聡馬のそばでうなずいたのは、羅山と柴門、そして三人の従者である。帝のお達しで選んだ剣士を送り届けるために塔主が立つのは当然として、それに従者がつくのも普通であるが、柴門がついて来たのは本人の希望だ。

 聡馬は名実共に東で一番の剣士となったが、まだ京に仕えると決まったわけではない。帝が気に入らないという場合もあろうし、聡馬が話を蹴ることだって充分にありうる。そうなった時には、己の道場に引っ張る良い機会だと思っているのだ。

 そう。彼は一度や二度断られたからといって、聡馬ほどの剣士を諦めたりしなかった。それは剣一筋に生き、道場主として、また師範としてやって来た男の、意地と誇りだ。慎太郎や聡馬に夢があるように、柴門にもある。それは、「国に名を轟かせるような一流の剣士を、己の道場から出すこと」だ。すなわち、保倉流の素晴らしさを世に知らしめることである。

 しかし一から教えて育てるには、少々老いているため時間がない。ならば、すでに優れた剣士を鍛えてやるほうが近道である。むろん、少年の頃から鍛え、骨の髄まで保倉流の剣技をしみこませるのが理想だが、考えているとおりのことができれば誰も苦労はしない。

 そこで柴門は妥協点を探したのだ。聡馬はその妥協点にぴったりと当てはまった。聡馬の荒削りな部分を矯正し、保倉流を学ばせさえすれば、力は充分だ。彼ほど理想の剣士はいない。ほかに夢の実現を果たしてくれそうな剣士は、どこを見回しても存在するわけがない、と信じられた。


 が、柴門の期待とは裏腹に、京の町へ足を踏み入れた聡馬の鼓動はいっそう高鳴った。保倉流など学びどころではない。

 東の都にも負けぬほど多くの人が行き交い、商店も軒を連ね、活気と華やかさに溢れている。それでいて情緒を醸し出す景色の中、晴れ渡る空が天井一面を覆う。発展した町にいながら、信じられないような開放感を味わえる所。それが京という町であった。

 この開放感は、建物を一般のものより低く設計し、かつ道幅を広く取り、町全体をよく見通せるようにしているため、得られているのだ。空も建造物に遮られることなく向こうの端まで見渡せるので、二重の効果である。

「塔もこの町も、設計したのは帝だ。もちろん今の帝ではないが、それらの技術は確実に受け継がれている」

 と、聡馬に説明したのは羅山だ。羅山は柴門の思惑に反して、どうにか京を気に入ってもらいたいのである。

 神懸かり的な力を持つ剣士となれば、帝が見逃すはずはない。しかし剣士のほうにごねられては厄介だ。いかに手駒として欲しい人材でも、嫌がるものを強引にとどまらせる意味が、宮廷側にないからだ。それほど人手に困っているわけでもないし、三宅は年だが現役として務まる強さである。一人にふられたところで動じるものではない。そうなると、面目がなくなるのは羅山だけなのだ。

 だが羅山は、ふと聡馬の顔を見て、余計な心配だったかと苦笑した。聡馬はすっかり京に見入られている様子で、羅山の説明もうわの空である。

 京で暮らし宮廷に仕えるということが、どれほどの名誉なのか——聡馬は聞かずとも理解したようだった。


 宮廷の門をくぐると、聡馬の目はますます見開かれた。朱色に統一された瓦と柱の連なりの見事さに、心を奪われたのである。もともと、どのような人間が見てもそれらは美しいのだが、聡馬は造形の美に対する感受性が人一倍強いらしかった。

 その目に、屋根の曲線は打ち寄せる波のごとく、立ち並ぶ柱は静かなる林のように映った。

「……すごい。このようなものを創造できるとは」

 羅山はそれに、したり顔で答えた。

「まさに神業、だろう?」


 こうしてようやく謁見の間に入り、帝と対面した聡馬だが……彼の目が険しくしかめられたことは言うまでもない。

 一応、体裁として羅山と並び正座はしているが、頭を下げる前に彼はこっそり聞いた。

「人間なのか?」

 聞かれた羅山は口元をゆがめた。

「さて」

 これを帝の脇に控える両者、三宅と七伏が咎めた。

「これ、無礼であるぞ」

 羅山と聡馬は「しまった」というような顔をし、そろって頭を下げた。

「お約束どおり、東で一番の剣士をお連れいたしました」

 羅山は早々に来訪の目的を告げ、横では慌てた様子の聡馬が答えた。

「お初お目にかかります。川原聡馬と申します」

 帝は閉じた扇子の端を唇に当てながら、「うむ」とうなずいた。

「一報は届いておる。なかなかに見所がありそうな若者ではないか。なあ、三宅」

 三宅は懐から出した手ぬぐいで首の汗をふいた。

「はあ」

「……生返事だな」

「あ、いえ、そのようなことは決して」

「いや、おぬしは思っている。なぜ東で一番の剣士を塔主に選ばせ、寄越させたのか、と」

 三宅は帝をじっと睨んだ。

「分かっていらっしゃるなら、教えてください」

「なに。ちょっとおぬしと手合わせしてもらおうと思ってな」

 三宅は驚き、羅山と聡馬も思わず顔を上げた。

「どういうつもりで」

 三宅の問いに、帝は不敵に笑った。

「後継者が欲しいと言っていたではないか」

「そ、それは確かに。しかし」

「婿殿はやれぬ。となれば新たに探すよりほかなかろう」

 帝の言葉には誰もが反応したが、中でも羅山はある一言に注意した。

「婿殿……? 紫苑様はお相手を決められたのですか」

 帝は羅山を見やって、クッと口の端を上げた。

「面倒な男だが、あのような者は二人といまい。紫苑はたいそう気に入っているし、俺も気に入った」

「それはそれは。おめでとうございます」

 羅山はうやうやしく頭を下げた。そうして、

「で、お祝言はいつ頃」

 と再び頭を上げると、帝は苦々しい顔で目をそらした。

「婿殿が決める。それよりも、川原聡馬と申したな? どうだ。この三宅と勝負してみる気はないか」

 聡馬は三宅に目をやった。六十半ばだが背筋はピンとのびて、筋肉質で、背もある。なかなか強そうな人物だと思った。

「勝負をして、俺になんの得がありますか」

 率直な質問に、帝は笑って答えた。

「三宅に勝って、我こそ後継者にふさわしいと示せば、この国で二番目の権力を握ることができる。東と西の塔主の上だ。見返りは充分にあると思うが」

「負けた場合は」

「好きに生きればいい。宮仕えをして将官を目指すか、東へ戻って一介の剣士として生きるか。それは自由だ」


 むろん、聡馬は引き受けた。己が負けるなどとは夢にも思わぬことであるし、いかに腕が立つとはいっても、相手は老骨だ。ここで成功するということが、どんなに重要なことであるのか、すでに承知してもいる。受けて立たぬ理由は少しもなかった。

 国の中心を捕るのだ。この美しい宮廷と町を高見から見下ろせるのだ。

 聡馬は謁見の間から出て早々、はやる気持ちで空を見上げた。もとより一介の剣士で終わるつもりなどなかった彼だ。降ってわいたような好機に胸が踊った。

 その高い空に舞う鳥を、おのが目に焼きつける日が来ようとは思いもせず。

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