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塔の陰  作者: 礎衣 織姫
第一部
20/47

20.京与条殿にて

*訳注

 寝殿造り…平安中期に成立した貴族の住宅形式

 侍所さむらいどころ…平安時代、院・親王・摂関・公卿家などに仕え、その家の事務をつかさどった侍や警護の武士の詰め所

 釣殿つりどの…池に面して東西に設けられた建物。舟遊の際の乗降場にあてられたり、納涼や月見、雪見の場所として用いられる。

 実継らが寝泊まりしている部屋……というより屋敷は、帝と謁見した御殿から西に十町(約一キロ)の地点にある。来客用であるため、中身はそこら中にある宿屋と同じ造りだ。部屋数は二十。内、松の間が二室、竹の間が八室、梅の間が十室である。塔主は松の間に、その家族は竹の間に、家臣は梅の間に泊まるのが決まりだ。

 一方、帝は真反対の東に位置する寝殿造りの京与条(きょうよじょう)殿に住まいしている。出立前の晩の膳はこの正殿でいただく。それまでの期間は四日だ。

 塔主である実継と羅山はこの四日を宮仕えの者への挨拶回りに費やす。身分的には塔主が上だが、実権は帝のそば近くに仕えている者が握っているといっても過言ではないからだ。

 家族や家臣はそのあいだ自由である。連れ歩いても良いが、正月くらいは休暇をやろうというのが両塔主の歴代から続く考えなので、ここへ来て覆されることはない。それについてまた、宮仕えの者も物申したりはしない。あくまでも位は塔主が上であるからだ。


 とはいえ次期塔主ともなれば話は変わる。京を訪れたなら何はともあれ挨拶をしておくに越したことはない。そのせいか、実継は実之を連れて来ない。

「跡目を継げば嫌でも毎年せねばならん。今からやる必要はない」

 と言ってそっぽを向くのだ。それは愛情からくる過保護な考えである。若い時の苦労は買ってでもしろという世の中で、若いうちから苦労しなくてもよい、というのが実継であった。

 これに佐兵が諫言することはない。実之は甘やかされても軟弱にはならないからだ。生まれつきの性格もあろうが、幼い頃から町の者と家族同然に触れ合っていれば、物事の程度はどこまでが適当であるのか、ということは自然と身に付く。父親の甘やかしが度を越せば、みずから退いてやり過ごす知恵も備わっているのだ。


 さて。挨拶回りが開始されるのは東も西もおおよそ同じ時刻からであるが、当然目上から目下の者へと回ってゆくので、まずは宮廷軍師、宮廷長官のもとを訪れることになる。しかし双方かち合うのは好まないため、暗黙の了解で東はまず軍師を、西は長官を訪ねるのが通例となっている。今年もそれにしたがい、実継は長官・三宅寛造のところへ足を運んだ。三宅は京与条殿の侍所にいる。

「三宅様、明けましておめでとうございます」

 実継は侍所前の縁より手前で膝をつき、挨拶した。これを受けた三宅は顔をのぞかせ実継を手招きした。

「まあ、そのようなところで挨拶せずともよい。こちらへ上がって、少し話を」

 実継は小首をかしげた。いつもはただ普通に受け答えて終わるものを、今回にかぎって上がるよう命じられたからだ。しかも口調はやや急かすようである。

 実継は戸惑いつつも、膝を地から離して座に上がった。

「失礼いたします」

「いやいや、良いからそこへ座れ」

「は、はあ」

 そして、実継が勧められるまま膝を折るのが早いか否か。三宅は早口に言った。

「今年はおぬしが来るのを心待ちにしておったわ。で、どうだ。例の剣士は」

「……例の剣士、ですか」

 三宅の意図が分かった実継は、心の中で早々に立ち去る準備を始めた。

「ご期待のところ申し訳ありませんが、その話なら手前より家臣の佐兵が詳しゅうございます。お望みなら後ほど足を運ばせますが」

「おお、そうかそうか。おぬしも挨拶回りが忙しいのにすまないな」

「いいえ。お気遣いありがとうございます。では、失礼いたします」

 と、実継はいったん頭を下げ、腰を上げかけたものの、肝心なことを思い出して動作を止めた。

「ああ、ところで。前年はお見えにならなかったようですが、ご体調でもお崩しになられたのですか」

「ははっ、そのようなことはない。まあそのうち行く」

「左様でございますか」


 実継はそのまま、無難に三宅のもとを去った。次は軍師・七伏良司への挨拶である。ここでも例年であれば挨拶をして終わりだが、少し違う様子がして実継の足は重かった。確かに西の事情は前年と同じではない。三宅や七伏がそれに反応しないわけはないのだが、視察に来なかった理由を濁されたのは痛かった。三宅と七伏とのあいだで口裏が合わされていることは確実だからだ。

 紫苑がいるという理由なら、そうあっさり答えればよい。だが口をついて出なかったところをみると、他に何かあるのだ。こういう場合はたいていお小言で、軍師である七伏の口からされることが多い。

 よもや、いいかげんに年貢一割を廃止せねば、これ以上の融通はきかせられぬと言うのではなかろうな。

 実継はそのように危惧した。以前から最低二割は確保しろと言われ続けているのだ。無理を承知でどうにか現状維持を懇願し、口添えを頼んで帝へ通してもらっていたわけだが、そろそろ愛想をつかされても仕方ない頃合いではある。

「人口が増えれば問題ないのだが、さすがに間に合わぬか」

 実継は、なかば諦めたように肩を落としつつ七伏を探した。本来なら七伏も詰め所となる侍所へいておかしくないのだが、双方の塔主を気遣っているためか、毎年この日は別々の場所にいるのだ。


「七伏様。明けましておめでとうございます」

 やや探し回って釣殿の先端にいる七伏の姿を認めると、実継は近づき、膝を折って挨拶した。七輪に手をかざしながら餅を焼く七伏は顔を上げ、笑みを浮かべた。

「おめでとう。西は息災か」

 実継は苦笑いした。

「ようやく兆しは見えておりますが」

「ほほお。それは良い。毎度ぎりぎりの納め量では、こちらも胃が痛む」

「申し訳ございませぬ」

「いやなに。ところで紫苑様はお元気か」

「はい。もちろん」

「例の剣士は?」

「それは手前の家臣の佐兵のほうが詳しゅうございます」

 さきほどと同じ台詞を繰り返すと、七伏は人が悪そうに口の端を上げた。

「塔主は関心なしか」

「いえ、決してそんなわけでは」

「では敬遠せずに話すがよかろう?」

「敬遠しているわけでは」

 実継は慌てて否定し、冬だというのに汗をかいた。三宅に使った手は七伏には通用しないと改めて知ったのだ。そして焦るあまり、

「——思いのほか」

 と言葉をもらした。七伏は眉をひそめた。

「思いのほか、そうでもないか」

「い、いえ。思いのほか紫苑様がご熱心で」

 この言葉がよほど意外だったのか、七伏は大きく目を丸めた。

「ほお? 例の剣士はそれほどの男なのか」

「実之や佐兵の言うことが事実なら……神懸かりかと」

「なんと」

 七伏は思わず身を乗り出した。

「重佐衛門が貰ったという手紙の内容を三宅殿つてに聞いてはいるが、そう何人もの人間に言わしめるとは、まことであろうな」

 重佐衛門と聞いて、実継は八神千吉の顔を思い浮かべた。

「はあ。詳細までは存じませんが、そのようかと」

「……なんとも他愛のない返事よな。まあよい。そのうちこの目で直接確かめてやるわ」

 そんな言葉に実継は驚いた。

「直接!?」

「なにを驚く。紫苑様もご熱心で周囲の反応も良いというのであれば、最終的に見定めるのが我々の役目ではないか」

「そ、それはそうですが、あの剣士は、まだ」

「まだ?」

「まだ……紫苑様のことは、その」

 言いよどむものの、先はおおかた予想のつく台詞である。七伏は一瞬、絶句しかけた。

「あのように美しい少女に想われて何ともないというのか」

「さ、さて。どうも、昔の女に未練があるとかないとかで」

「なんと」

 七伏は乗り出していた身を、今度は引いた。そうしてしばらく思案する様子で黙り込み、やがて言った。

「とにかく、実際に見てみないことにはな。何を差し置いても良いくらいの腕ならば、宮廷へ迎える価値がある」

「それでは近日中にお越しになられますか。それとも、こちらから」

 昨年来なかった理由の追及も含めて実継が聞くと、七伏は察したようで、また人が悪そうに笑った。こういう仕草は帝の癖が移ったものと思われるが、七伏のほうが一段と悪そうに感じるのは、参謀を担っているという肩書きへの先入観であろう。

「民に優しくあろうとするそちらの考えを尊重し、帝を納得させる調書を作成するというのは、なかなかに骨が折れることなのだぞ? その苦労を、紫苑様がいらっしゃるという理由で特別に免除されたのだ。赴いたとしても、視察は勘弁してもらいたい」

 やっと訳を聞き出せたのは良かったが、同時にきつい一言をもらった実継は、とりあえず深く頭を下げて立ち去った。

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