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塔の陰  作者: 礎衣 織姫
第一部
19/47

19.今に至る過去

 翌日。佐兵は柴門を屋敷内にある茶室へ案内し、みずから茶を()て、もてなした。

「どうぞ」

「お点前(てまえ)いただきます」

 柴門は茶碗を取り、数回口をつけて飲みきると、一息ついた。

「結構ですな。娘から話を聞いたときは、もっと気の休まらない正月を迎えると思っておりましたが」

「はっはっは。挨拶と申しましても本当に、ご尊顔を拝してありきたりの文句を申し上げるだけでございます。出立前は晩の膳を共にいただきますが、それまでは自由です。敷地内の施設もこうして利用できますし、余暇と思ってのんびりなされるとよろしいのでは」

「そうですか。それを聞いて安心いたしました」

「このあと庭などをご案内いたしましょう。そちらのご塔主からもご案内があるかもしれませんが」

「いや、有り難い」


 それから二人は庭へ出た。佐兵はあれやこれやと説明しながら、鯉が泳ぐ池までやって来た。どの鯉が高いとか珍しいとか話しつつも、肝心の話題について切り出す機会をうかがう。

 そもそも柴門の娘が羅山に見初められたという話自体、佐兵は怪しいと思っていた。慎太郎を疑っているのではない。娘も確かに美しい。だが羅山にそんな世間並みの感情があるというのは、意外すぎた。

 佐兵は幼少期からの羅山を見ている。心があるやらないやらは分からないが、冷めた思考の持ち主であることは知っているのだ。よしんば真実だったとしても、どこで見初めたのか。実はこの父親が図ったのではないか。そんなことまで考えた。

 しかしそれは勘ぐり過ぎというものだった。

「鍵崎様とご息女のなれ初めなどお聞かせ願えれば、旅の土産になりますが」

 そう聞くと、柴門はにがい顔をした。

「まったく突然のことで。どこで見初めたのやら。マナをもらいたいと聞かされた時には、心臓が止まるような思いでした」

 語る表情に嘘は見受けられない。苦渋にゆがんでいるのは、どこかで慎太郎に申し訳なかったと思っているか、あるいは存外、幸せではないせいであろうと、佐兵は推測した。

 いずれにしても惜しいのは、慎太郎を手放してしまったことである。誠実で言うところのない男だ。黙って娘と祝言を挙げさせてやれば、今頃は宮入りしていたかも知れない。「娘婿が無理なら宮廷長官の地位に据えれば良い」と帝が考えていることは明白だからだ。現在、宮廷長官を務めている三宅寛造は、そろそろ後継者を考えてもいい年である。慎太郎がすでに婚姻を結んでいれば、すぐさま京へ呼び寄せ、三宅のもとで学ばせていたはずなのだ。

 破談にしても、道場をやって大事にしてやれば誠意くらい伝わっただろう。仮にも一度は娘婿にと望んだ相手だ。良い縁談が舞い込んだからといってないがしろにするなど、もってのほかである。


「保倉様」

 佐兵は無意識に声を落とした。旅をして、西の都に落ち着き早八ヶ月あまり。月日としては短いが、情が移るだけの時は過ごした。慎太郎が心を閉ざしがちなのは承知のうえで、皆すでに家族も同然の付き合いをしている。その男に深い傷を負わせた者として、わずかばかり憎しみをわかせたのだ。

 紫苑が慎太郎を想うかぎり、慎太郎の傷は紫苑の傷となる。そう考えればなおさらである。

「そちら様の道場は、長く塔へ仕えているというお話ですが、どうです? 有望な若者はおりますか」

 なかば怒りまかせに切り出した。むろん心苦しいところもある。だがすべては真崎家のため、紫苑のため、慎太郎のためと、佐兵は割り切った。先々を考えれば、保倉家での慎太郎の様子を知り、柴門の考えを確かめておくことも大切だ。

「はっはっは。いやいや。そこそこですな」

「ご謙遜を。噂では右に出る者なしとうたわれる剣士がいらっしゃるそうではありませんか」

 柴門は笑みを消し、厳しい顔をした。まあ当然だろうと佐兵は思った。事情を知りながらこんなことを聞く己はどれだけ人が悪いのだ、と苦笑しつつ。

「確かにおりましたが、昔の話です」

「ほう? では、独立でもなされたか」

「いやまさか。独立するほどの年でも腕前でもない」

「左様ですか? これも噂ですが、その剣士のいた田舎では、獅子のごとき眼差しで龍のごとく舞うと評判だったそうで」

「いやいや。噂とはそうしたものです。それは私も聞き及んでおりましたが、まあ……負け知らずではありました。まるで習ったことがないと言うので、さっそく型などを教えてやりましたら、すぐに覚えて自分のものにしてしまうあたりも、天才的でありました。しかしそれまで。行く末は小さな道場の師範として生計を立てることもできましょうが、大業を成し遂げるほどの腕前ではありません」

 なるほど、と佐兵はうなずいた。あの太刀を誰にも見せていないというのは本当だったか、と。別に嘘をついていると思っていたわけではないが、よく抑えていられたと感心するのだ。そしてそこから、意固地に型を守り通した慎太郎の真意も見えてきた。


 右も左も分からぬ都へ出て、はじめて通う道場で型を教えられ、飲み込みが早いと褒められれば、純朴な少年ことだ。それを忠実に守るのが良いのだと素直に思ったことだろう。

 佐兵はふと、実之の話を思い出した。慎太郎が「道場とはそういうところ」と発言した件についてである。そのときは呆れたが、こうして背景を知れば得心がいった。

 しかしそれだけでは、あの力を振るわなかった理由にはならぬと、佐兵は首をかしげた。出過ぎて打たれないためとも言い訳していたが、打つこともできぬ神業であるため説得力に欠ける。となると、もののけに憑かれていると言われたことが響いている可能性は高い。とはいえ……

「噂になるほどの腕前は確かだったのでは? 田舎で振るっていた剣を見てみようとは思われなかったのですか」

 疑問に思ったことは率直に聞いてみるのがよかろうと尋ねてみると、柴門は失笑した。

「遊びの剣など……剣の道は高尚で厳格なものです。教えも、はじめが肝心。田舎で自由に振るっていた剣はここでは通用せぬと、諭しておりますゆえ」

 佐兵は唖然とした。慎太郎の剣を封じてしまったのは、ほかならぬ師匠であったかと。剣一筋にやってきた道場主の考え方としては正しいかもしれないが、なんとも後味の悪い話である。

 あれほどの剣を三年ものあいだ見過ごしたとは、末代までの大損だ。

 そう思いつつも、佐兵は胸元で腕を組んだ。

 腹を立てて逆らわなかった慎太郎も慎太郎だ、と。柴門から遠回しに「チャンバラごっこが強いだけで、いい気になるな」と言われたようなものである。若ければ若いほど、力に自信があればあるほど、憤りを感じてもおかしくない。だが慎太郎は堪えた。その理由は、おそらくマナである。

 柴門を伸してやれば気は晴らせたかもしれないが、破門されて田舎に帰るのでは格好がつかない。なにより惚れた女と別れねばならなくなる。慎太郎は自尊心よりマナを選んだのだ。

 そうまでして愛した女に捨てられるというのは、どんな気分だろうかと、佐兵は思いを巡らせた。柴門を立て、マナのために己を殺し続けたことは結局、仇となって返った。だからといって腕を振るえば、やはり破門されたかもしれない。

 慎太郎にできることはとどのつまり、普通に強い剣士として生き、理想の娘婿を演じることだけだったのだ。


 未練も残ろうというものよ。すべて捧げるつもりでやって来たことが、まさか一粒の実にもならないとは誰も思わぬ。どこかに(よすが)を残してもバチは当たらない。その一心で女の愛に望みを託したやも知れない。


 佐兵は慎太郎の胸中に心から同情した。しかしこれも「神懸かり」としての運命ではなかろうか、と思った。


 神懸かりとは、その名のとおり神霊の類が人身に降りることをいうが、ここではただ「それらしい」というだけで、本当に降りているわけではない。あくまで物のたとえだ。だが現在、この国を治める者には不可欠な要素だとされている。

 帝の右腕、左腕とされる七伏や三宅も「神懸かり」であり、優れた知能と技量の持ち主だ。七伏の知略と三宅の腕があれば負け戦はしない、と言われるほどである。慎太郎は、そこへ与するに相応しい力を有しているのだ。


 実現すると問題なのは保倉柴門である。鍵崎家の身内となったからには、遅かれ早かれその時は来るだろう。因縁の再会だ。

 告知しておいてやるべきか、と佐兵は迷った。が、いかんせん家臣の身分では判断しかねた。第一、慎太郎本人も知らないことを先んじて柴門が知ることは、なにか道理に反するとも。

 佐兵は池を見つめたまま溜め息ついた。

「そろそろ部屋へ引き上げましょうか。あまり主人を放っておくわけにも参りませんので」

「おお、そうですな」

 佐兵は何事もなかったようにして、柴門を連れ庭から引き上げた。

 この男と向き合って何を言い、どうするのか。決めるのは慎太郎のほか誰もいないと結論をつけたからだ。

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