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塔の陰  作者: 礎衣 織姫
第一部
18/47

18.謹賀新年

 さて。話はふた月ほど、さかのぼる。


 年の暮れも迫って、みな忙しく、町の賑わいも最高潮に達したある日。実継は菊と実之に後を頼んで京へ向かった。年明けの挨拶をするためだ。

「それでは行って来る」

「お気をつけて」

 実継の旅の伴は、もちろん佐兵である。歩を踏み出してまもなく、佐兵は実継に話しかけた。

「今年は視察に見えられませんでしたな」

「うむ。紫苑様がいらっしゃるからかもしれぬが、まあ、そのあたりは行ってどちらかに伺おう」

 どちらか、というのは七伏か三宅のことである。

「なにか手土産を持ちましょうか」

 佐兵は気を利かせて提案したが、実継は一笑にふした。

「ふん。東と比べられていい気はせぬ。はじめから持たぬが花よ」


 こうして二人は道中、あれやこれやと話しながら、ひと月後に京へ到着した。帝が住まうのは、広大な敷地を囲う朱色の塀の中の、同じく朱色の柱と屋根を連ねる大きな屋敷である。すべて平屋で、遠くより眺めると平たく伸べられているように見えるが、実際に寄れば目が回るような規模で堂々と建立されている。

 神社を模しているようにも見えるのは、事実、それを隠れ蓑としているからだ。この地は霊験あらたかであるとして国が設置し、管理していることになっている。帝はいわゆる神主であり、周辺の住人からは雪御津(ゆきみつ)様と呼ばれ、「神懸かり」として通っているのだ。


 さておき。門をくぐり、歩くこと半里。二人はようやく、帝が謁見の間として使用している御殿へと辿り着いた。三段ある階段の手前で草履を脱ぎ、座へ上がる——と、鍵崎羅山が一足先に来ていたようで、いましがた帝の前で正座をし、一礼した後だった。

 羅山は帝の目線と背後の気配に、少し肩を引いて振り返った。羅山の横では、いまだ頭を下げたままの女と男がいる。女は若そうだが、男はやや高齢だ。

 佐兵は、女のほうはおそらく奥方であろうと察した。つまり、慎太郎が未練を残した女である。意識して知らぬふりを通そうとは思うが、冷や汗が吹き出るのを抑えるのは至難の業であった。

「遅かったですね。道中で何かあったのかと心配しましたよ」

 羅山の挨拶に対し、実継は皮肉げに口の端を上げた。

「さほど遅れてはおらぬ」

 実継は吐き捨て、羅山たちが座っている並びに正座し、帝へ向かって頭を下げた。

「明けましておめでとうございます。今年もなにとぞ、よろしくお願い申し上げます」

 帝は五間(約九メートル)ほど離れたところにある一段高い場所で、扇子をパチンと閉じた。

「東も西も息災でなりよりだ。互いの塔主が顔を見せ合うのも年に一度。共にゆるりとしていくが良い」


 挨拶が終わると、両者はそそくさと御殿を出た。先には宮仕えの者がおり、泊まる部屋まで案内をしてくれる。が、この案内。どうにか別々にできないものかと、佐兵は思った。毎年である。さなかに実継と羅山が平穏であるはずはない。様々なことで競い合わざるを得ない東と西だ。

 案の定、さっそくつつき合いが始まった。

「ご子息もいいかげん、よいお年でしょう。そろそろ引退されてはいかがです」

「死ぬまでは譲らぬ」

「おやおや。それではご自分の代でお家を閉じられるご予定ですか」

「馬鹿な。真崎家は贅沢をしておらぬというだけのこと。そちらが危ぶまれているようなことは一切ない」

「そのような強がりがいつまで通用いたしますやら」

 嘲笑するような羅山の言いように、実継は思わず足を止めた。

「ご両親から礼儀というものを学ばなかったようだな。……いや、十三代も奥方も早くに亡くなられた。学ぶ(いとま)もなかったか」

 今度は羅山が足を止め、顔を凍りつかせた。

「余は尊敬するに値せぬ者へ礼儀は示さぬ」

 実継は「はっ」と笑った。

「どちらが強がりだ。のう、十四代目。おぬしは哀れな子供よ」

「なんだと?」

 挑発めいた発言をしておいて、実継は不意に同行している年のいった男と若い娘を見やった。

「そちらは、どなただ」

 羅山はこわばった顔を一瞬きょとんとさせた。しかし話題がそれたのを幸いと思い、紹介した。

「妻とその父親だ」

「ほう! 父親か。義理でも父は父。そのほうから学びを得ると良いわ」

 実継は言って、再び歩を踏み出した。羅山も急ぎ、それに続いた。

「幼少期から散々いろいろなことを叩き込まれた。これ以上学ぶことなどない」

「わしは人生のいろはを学べと申しておる」

「くだらぬ」

「ふん。やはりおぬしは哀れよ」

「ほざけ」


 ののしり合いながら遠ざかる互いの主人を、父と娘と佐兵は呆然と見送った。やがて佐兵は溜め息をつきながら手ぬぐいを出し、額の汗を拭いた。

「毎度のことではあるが、よくもまあ飽きもせず言い争えることだ。実は仲が良いのではなかろうか」

 この呟きに、娘が反応した。

「いつも、なのですか?」

 思わず話しかけられて、佐兵はドキリとした。娘はキリッとした表情と女らしい顔立ちが上手い具合に共存している美しい女だ。佐兵は、これはなるほど未練も残る、と妙に納得してしまった。だが紫苑と見比べれば影をひそめてしまいそうなものだ。慎太郎ほどの男が何故この女にこだわるのかとなると、やはり分からなかった。

 佐兵はなんとなく娘から視線をそらせ、父親であるという男を見た。

「確か、保倉様では」

 白々しいとは思いつつも、問うてみる。すると男はわずかに目を見開いた。

「いかにも。私は保倉柴門。娘はマナと申します」

「やはり。開かれている道場は東で五指に入る名門だとお伺いいたしております。あ、申し遅れました。私は佐兵と言います。各地を行脚しておりますが、基本は実継様に仕える身でございます。そうめったにお会いすることもありませんが、これも何かの縁。ぜひお見知りおきを」

「いやいや、こちらこそ。京へ来るのは初めてでして。右も左も分からぬ有様。作法など手ほどきいただたけましたら幸いでございます」

 互いは会釈し、軽く握手を交わした。柴門のほうに他意はない。だが佐兵のほうにはあった。

 柴門が知る慎太郎というものに興味があったのだ。なにしろ真崎家の未来をかけた大事な存在である。あらゆる角度から根掘り葉掘り調べ尽くしてみても損はない。

「どうですか。旅の疲れが取れましたら、一緒にお茶でも」

 佐兵は挨拶を社交辞令で終わらせないために言った。柴門はこれにまんまと引っかかった。

「おお、いいですな」

「では、のちほどお誘いにお伺いいたします」

「お待ちしております」

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